かれこれ5年前、ロンドンオリンピックが終えた頃に書いたブログ(「オリンピック、獲得メダルの数え方 考)にアクセスが急増しています。
私はメダル至上主義者でもなければ、関心が全くないわけでもなく、それを「スポーツ国力」としてみたら、どーゆーふーになるんだろう?---と、別の切り口もあるのでは、と思ったのですね。
(そーいえば、むかしある水泳選手がマスコミの執拗な追っかけに対して「メダルき○がい!」って発言したこともありました。)
さて、
1週間ほど前、『大豆田とわ子と三人の元夫②』坂元裕二著(2021)河出書房新社刊が発売されました。
同書①は第1話から第5話まで、②が第6話から最終話(第10話)までのシナリオ本です。
装丁も凝っていて(↓)、2冊並べてみると、
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カバーを1枚剥がすと(↓)、
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このカバーの裏側は(↓)、
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このカバーも剥がすと(↓)、
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こんな感じです。
②の第7話で、小鳥遊(たかなし)大史(ひろし)(オダギリジョー)が、言っていた台詞が気になっておりました。
主人公・大豆田とわ子(松たか子)の幼少期からの親友・綿来かごめ(市川実日子)が急死してから1年後、とわ子はかごめのことを時々忘れてしまうことに自覚的で「またひとりにさせちゃった」とか、「こんなんだったらそっちにいってあげたいよ」と、孤独感に苛まれることがあると告白。
それに対しての小鳥遊の台詞(↓)。
----------引用開始

大史
「あのね、過去とか未来とか現在とか、そんなのどっかの誰かが勝手に決めたことだと思います。
時間って、別に過ぎて行くものじゃなくて、場所っていうか、別のところにあるんだと思います。
人って現在だけを生きてるんじゃないと思う。
五歳、十歳、二十歳、三十四十、その時その時を人は懸命に生きてて、それは別に過ぎ去ってしまったことなんかじゃなくて。
あなたが、笑ってる彼女を見たことがあるんだったら、彼女は今も笑ってるし、五歳のあなたと五歳の彼女は今も手を繋いでいて、今からだって、いつだって気持ちを伝えることは出来る。
人生は小説や映画じゃないもん。
幸せな結末も悲しい結末もやり残したこともない。
あるのは、その人がどんな人なのかってことだけです」

とわ子「(かごめを思って)・・・・」

大史「だからね、人生には二つルールがある。
亡くなった人を不幸だと思ってはならない。
生きてる人は幸せを目指さなけれぼならない。
人は時々ちょっと淋しくなるけど、人生を楽しめる。
楽しんでいいに決まってる」

とわ子「・・・・」

大史、ハンカチを差し出す。

とわ子「何ですか?」

大史「(白分の頬を指さして)こぼれてますよ」

とわ子、目元に触って。

とわ子「ほんとだ」

とわ子、ハンカチを受け取って涙を拭いて、見ると、力タツムリの刺繍のハンカチだった。

『大豆田とわ子と三人の元夫②』坂元裕二著(2021)河出書房新社刊 より

----------引用終了
小鳥遊はけっこう難しい数学が理解できているので、それを踏まえた時空間に対する数学的な理解をもとに、とわ子を元気づけようとしているのでしょう(たぶん?)
人は自分の物語を紡ぎながら生きていて、それは思い出として蓄積されていく。
ただ記憶としてなのだけれど、これも曖昧なところがあって、自分の記憶の中のそれは、時々、上書きされていく。
こうあってほしかったとか、こうだったよね---というような自己の願望が反映されていく。
「死人に口なし」だからこそ、それを埋め合わせるように私たちは自分の中でその人を育てていくのかもしれません。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ(↓)。三日坊主めくりカレンダー。今日は「親子の日」だそうな。でも、こーゆーふーに言われると、「パパ、傷つく!」(by 佐藤二朗 スズキ自動車・スペーシアのCM)。
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