「国家戦略会議フロンティア分科会の報告書(案)」に、「40歳定年」という提言が盛り込まれた。
という話は昨年の夏頃に話題になりました。
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「グローバル化に乗り遅れた日本は、新興国との競争に敗れて基幹産業を空洞化させ、環境産業などの国際的な成長分野においても競争力を失う。
人口減少ともあいまってマイナス成長が続き、経済規模は縮小。国民がアイデンティティを喪失し、中核的国益の維持も危ない」
国際的な競争力の低下を食い止める切り札として、
「若者、女性、高齢者など、潜在的に持っている力を十分に発露しきれていない人たちの力を活用していくことが求められる」
のだそうだ。
そして、そうした人たちの力を活用するためには、全員参加と新陳代謝の人財戦略を打ち立てる必要があるとし、「40歳定年」を打ち出しているのである。
「企業内人材の新陳代謝を促す柔軟な雇用ルールを整備するとともに、教育・再教育の場を充実させ、勤労者だれもがいつでも学び直しができ、人生のさまざまなライフステージや環境に応じて、ふさわしい働き場所が得られるようにする」
「具体的には、定年制を廃し、有期の雇用契約を通じた労働移転の円滑化をはかるとともに、企業には、社員の再教育機会の保障義務を課すといった方法が考えられる。
場合によっては、40歳定年制や50歳定年制を採用する企業があらわれてもいいのではないか」
「もちろん、それは、何歳でもその適性に応じて雇用が確保され、健康状態に応じて、70歳を超えても活躍の場が与えられるというのが前提である。
こうした雇用の流動化は、能力活用の生産性を高め企業の競争力を上げると同時に、高齢者を含めて個々人に働き甲斐を提供することになる」
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な~んてことが書かれているのですが、これを読んだ河合薫氏は次のように喝破します。
「『「働く人のための提言』であるかのごとく書かれているが、結局は、『人はあくまでもコスト』だと考える企業のための提言にしか、私には聞こえない。
「40歳定年にしちゃって、必要のない人には出て行ってもらうようにしなさい。
企業だってコスト削減したいんだから、40歳を過ぎて大した仕事もしていない人に高い給料を払いたくないでしょ。
使い勝手の悪い人には出て行ってもらってもいいように政府も後押しするからさ」と。
既に多くの企業が主に40代以上を対象に早期退職を勧めたり、役職定年制を取り入れたりしているものの、もっときっぱり40歳で辞めてもらって、「その人のレベルに見合った職に移ってもらいましょうよ」。
ただそう言いたいがための提言としか思えないのである。
結局は、「40歳定年」という看板に身を隠した解雇の自由化。それを「政府も容認しますよ。だって、それしか日本が生き残る道はないんです」と言いたいだけ。
「一部の優秀な人以外は、うちの会社では要らないから、10年目のサバティカル休暇で40歳以降の身の振り方は、自分でちゃんと考えてね」 と。
とにかく「40歳定年」を取り入れたいというのが、“本音”なのだろう。」
これは野田佳彦首相を議長とする政府の国家戦略会議のフロンティア分科会での話だったので、安倍晋三内閣になってからその後はどうなっていたのかと思ったら、週刊文春4月4日号のこの記事(↓)。
「あっち側」の人たちは、どうも本気でそう(『人はあくまでもコスト』って)考えているらしい。
そのための理屈を「中高年層の雇用確保のために、若年層が犠牲になっている」というふうに、もっともらしく単純化して主張しています。
(「そう指摘されても当然!」という40~50歳代がいることも、確かなわけではありますが・・・。)
若い人たちは20代から「自分はコスト扱いされないだけの付加価値がある」ような働き方を身に付けておくことが必要になってくるみたいです。
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。雨がパラパラ。