角川Oneテーマ新書 『さとり世代--盗んだバイクで走り出さない若者たち』 原田曜平著(2013)
「ゆとり世代」と称されることを自ら望んだわけでもなく、「上」の世代やお役所の教育政策によって行われた「ゆとり教育」の世代が社会にでて、ほぼ20歳代後半へ。
彼ら彼女らは「消費しない」という視点で書かれた故・山岡拓日経新聞記者(彼ってもしかしたら、高三の時のB類講座で私の後ろに座っていた彼だと思う)の『欲しがらない若者たち』に絡んで、2chで発せられた「ゆとり世代」にかわるレッテルであるらしい。
まさにその「さとり世代」の大学生(博報堂ブランドデザイン若者研究所(略「若者研」)所属の現場研究員=東京あるいは首都圏在住の大学生が中心で、61名を抽出し1回あたり5~6時間、合計6回議論)を集めていろいろなテーマで話し合い、それを活字に起こしたお手軽新書。
各章の最後に著者のまとめが書かれているので、それだけ読めば十分です(↓)。
-----------------以下引用(長いです)
第1章 さとり世代の誕生
この章での一番の発見は、さとり世代の根幹を形作った二つの因子が見えてきた点にあります。
一つ目は、長引く不景気という因子。
景気の良かつた頃の若者たちか、見込み期待で行動できた、言わば「足し算発想」だったのに対し、不景気しか知らないさとり世代は、見込み損失を考え、行動できなくなっている、言わば「引き算発想」に陥っていることが分かりました。
「失われた20年」しか知らないさとり世代は、不景気により、「さとらざるをえなかった世代」とも言うことができるかもしれません。
さとり世代からすると、見込み期待で行動し続けることができた上の世代の人間を、浮き足立ったおぼつかない存在に感じるようです。
もう一つの因子は、ソーシャルメディアの普及。
幼い頃からケータイを持ち始め、ソーシャルメディアで人とつながったさとり世代。
ソーシャルメディアによるいじめも体験し、人間関係の面倒臭さやしがらみとともに「ソーシャルメディア村社会」を生きてきました。
人間関係数やコミュニティ数が劇的に増えたので、「空気を読む」という特徴を持ち、空気が読めない人を「イタイ」と判断するようにもなっています。
特にここ1年で爆発的に晋及しているラインが、この傾向に拍車をかけているらしいこともわかってきました。
第2章 さとり世代のちょこちょこ消費
一番重要なのは、ソーシャルメディアが彼らの消費を大幅に変えてしまつたということです。
もちろん、長引く不景気により、お金自体がなくなっていること、世代論的に見れば、生まれた時点では最も裕福な世代であったこと(だから、もともとお金にがつがつしていない)、「安かろうそこそこ良かろう」のデフレ商品・サービスに触れて育ってきたので、お金を出さなくてもある程度満足した消費ができてしまっていること、なども彼らの消費スタイルに影響を与えているとは思います。
しかし、それ以上に、ソーシャルメディアの影響が大きい、ということがわかってきました。
例えば、ソーシャルメディアの普及により、さとり世代の人間関係数やコミュニティ数が増えたので、彼らは男同士でもカフェをハシゴするなどの「お付き合い消費」がとても増えています。
いわば「少額ちょこちょこ消費」が増えてしまっています。
このため、消費を切り詰め、ひたすら貯金をし、草を買う、海外旅行に行く、などといったかつての「高額単品消費」を行いにくくなっています。
また、ソーシャルメディアにより、様々な口コミ情報が得られるようになっているので、買わなくても、行かなくても、わかったような気になってしまう。
さとり世代はいわば「既視感」に覆われていて、これも彼らの消費の阻害要因になっていることが分かりました。
ただし、ソーシャルメディアは、彼らの消費にマイナスの影讐だけをもたらしているわけではありません。
例えば、ソーシャルメディア上で友達から「いいね!」を貰いたいから消費をするといった「いいね!消費」。
ソーシャルメディアでつながったたくさんの友違と行う「思い出消費」や「経験消費」。
友達に笑ってもらうための「ネタ消費」などがこれにあたります。
企業側はソーシャルメディアによって生み出されるさとり世代の新しい消費に着目し、新たなマーケティングの機会の創出をしていかないといけません。
第3章 さとり世代は恋より友達を選ぶ
ここでもソーシャルメディアによって、さとり世代が大変恋愛しにくい状況に陥っていることがわかりました。
異性と連絡が取りやすくなっているので、恋愛もさかんになっているだろうと上の世代は考えがちですが、まったく逆の現象が起こっているのです。
ソーシャルメディアの影響で、彼らの恋愛は常に周りに筒抜けになってしまいます。
だから、余程好きでないと異性にアタックできないし、付き合ったら付き合ったであふれる口コミにより疑心暗鬼になり、お互いへの束縛が激しくなつてしまう。
そうした面倒から逃げるために、「女子会」や「男子会」など、居心地の良い同性コミュニティが彼らの中では重視されるようになってきています。
若年層の恋愛や結婚が難しい状況は、今後も当面続いていく、むしろかつてよりも難しくなっていくであろうことが推測できる状況です。
そうした中でも彼らは、「完全な男女平等を描かない」や「年上女性も狙う」などといった方法により、この問題と向き合おうとしている姿も垣間見られました。
かなりポジティブだと思われる変化としては、彼らの親子仲が大変良くなってきているということがありました。
ソーシャルメディアは、親と子のつながりも常時接続にするため、恐らくかつてよりも親子間コミュニケーションを密にしているであろうことが見えてきました。
「友達親子」現象は更に促進され、親子による消費も更に広がっていくことが予想されます。
第4章 さとり世代と日本の未来
まず、彼らの「労働」意識についてですが、不景気しか知らずに育った彼らが、「そこそこの生活」を望んでいることがわかりました。
過度に仕事に期待は持っておらず、周りと同調しながら、お友達のような上司に恵まれ、ワークライフバランスを保ちながら暮らしたい。
旦那のほうがたくさん稼ぎ、奥さんの方もそこそこ稼いで、そこそこ裕福に暮らす未来の生活を思い描いていることが分かりました。
次に、さとり世代の現時点での「満足度」は、大人が思うより高く、彼らは世間で言われるほど日本に悲観していないことがわかりました。
不景気しか知らず、ぼろぼろだと言われている日本しか見ていないので、過度な期待を持っていないことがこの原因だと考えられます。
生まれたときから生活水準のべースが高く、何不自由なく育ってきたという事情も前提にはあります。
また、政治への不信感は根強いことが分かりました。
政策も自分たち少子化世代を見て作られているものはなく、人口の多い高齢者ばかりを見て作られていると、ある種の被害者意識を強く持っていることがわかりました。
とは言え、消費税が上がろうが、別に反抗するつもりはなく、かつての若者のように、社会や大人に反発して自由を勝ち取ろうという思想はありません。
世の中の動きを受け入れ、それに適応しようとする体質を持っていることもわかってきました。
さとり世代は人口的にはマイノリティなので、自分たちの世代が世の中を動かす、動かせるという意識は希薄のようです。
-----------------引用終了
はじめから母集団が首都圏在住の大学生中心という偏りがあるので、「そーゆー階層」を代弁してまとめている---ともとれますが、「若いモンのことはサッパリわからない」世代からしたら、そこそこ「そーゆーモン」であるとざっくりとした理解は進むと思います。
ただ、格差社会における意識の差異は階層・地域・男女によっても違ってくるので、「個体差」を前提としてひとりひとりをみていかなければならないのでしょう、きっと。
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今朝は冷えましたね。飯田で-2.9℃( cf 軽井沢は-5.0℃)。
今日のストームグラス(↓)。
邸内見立て洛中洛外図・部分(↓)。
一条戻橋と言えば、晴明神社。ちゃんと襖には「五芒星」。
「戻橋」 → もどり箸(箸が途中でUターン)
武者小路千家の「官休庵」 → 「杏」の缶が9つ並べられています。