liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

2014年01月

2月のお休みは 今のところ  3・10・15・25・28日 の予定 です。 

よろしくお願いいたします。

週刊文春2014.01.23号の、平松洋子「この味」(連載121回)で取り上げられていたのが、今日のタイトル「パンケーキとホットケーキはどう違うのか?」

どうでもいいことだとは思いつつ、しかし当店でも「ホットケーキ」がメニューにある関係上、目を通してみました。

-----------------以下引用(強調BLOG主)

「パンケーキとホットケーキはどう違うのか」

「ホットケーキはニッポンの洋食。

明治期以降に定着したカレーやとんかつと同じ」

四角いバターが柔らかくなったところにメープルシロップをたらりとかけ、ナイフを入れる瞬間を思うだけで目がとろける。

油断すると口中の水分をもっていかれて、ケホッとむせぶのもご愛嬌。

それはともかく、正調スタイルが二枚重ねなのは、どら焼きと兄弟だから

和菓子のどら焼きは、大正期に入って上野の店で売り出されたといわれるが、もともとはホットケーキとあんこを合体させたフユージョン作品だ。

いっぽう、パンケーキの立ち位置は「食事」である。

小麦粉、卵、牛乳があればすぐつくれるから、欧米では朝ごはんや軽食に食べることが多い。

ふっくらさせたいときはべーキングパウダーを入れたりブルーベリーやバナナを混ぜて焼くこともある。

アメリカに留学していた友だちは、べーコンと卵続き、サラダを添えるパンケーキが日曜の朝の定番だったと言っていた。

とまあそんな具合で、ホットケーキとパンケーキの関係は、ライスカレーとインドカリーのようなものか。

-----------------引用終了

強調した箇所が「へぇ~!」な部分。

どら焼きと兄弟だったのか、ホットケーキは!

因みに当店でもちゃんと「正調スタイル」でご提供しておりますが、ホットケーキをお席にお持ちした際、初めてご注文されたお客様は、「!?」的な反応をなされます。

どうしてなのかは「百聞 < 一見」ということで・・・・・・。

当店のメニュー表には写真等の画像を載せておりません。ただ、一行解説で済ませています。

ご来店、お待ちしております。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。快晴なれど風強し。飯田の今朝の最低気温はな~~んと5.6℃。

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今日のストームグラス(↓)。

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邸内見立て洛中洛外図・部分(↓)。

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教王護国寺 → (教王)午後九時

今だからこそわかること、歳をとってくるとそーゆーことが多くなります。

あの当時は「渦中」だったので見えなかったものが、今ならわかる---自分史的観点から振り返ってみると、「そーゆーこと」だったのね。

例えば、『下に見る人』 酒井順子著(2012) 角川書店刊

酒井氏は男女雇用機会均等法3期生(!?)。で、博報堂へ総合職として入社。

時は(たぶん)1989年。バブル入社組のど真ん中。

彼女の目から見えた「線」とは・・・・・・・。

-----------------以下引用(長いです)

短大を出て就職する人というのは、いわゆる事務職であり、若いうちに数年働いたら職場結婚をして寿退職、というのが一般的パターン。

短卒者は、事務職要員であると同時に、花嫁要員であったわけです。

しかしその後、さらに時代は変わりました。

一九八六年に男女雇用機会均等法が施行され、女性総合職という人種が、登場するようになったのです。

しかし女性が全て総合職というわけではもちろんなく、総合職として働くか、一般職(事務職)として働くか、自らが選択することとなった。

総合職とはすなわち、「男並みの労働」をすることを意味します。

仕事の責任も、賃金も転勤等の条件も一緒ですよ、というもの。

対して一般職は、「そこまで仕事に気合いを入れるつもりはありません」という人向け。

結婚もしくは出産後は仕事を辞めます、という人はこちらの道を選ぶこととなります。

私が就職活動を始めたのは、この男女雇用機会均等法が施行後三年目の就職シーズンでした。

この法律の内容をきちんと理解はしていなかったものの、「男並みコース」か「女の幸せコース」、どちらかを選ぶ分かれ道が目の前にあることだけは、漠然と感じていた。

そして私は、結果的に言えば「男並みコース」を選択したのでした。

「せっかく大学まで出してもらって、腰掛け程度に働くのでは親にも申し訳なかろうよ」などとも思ったのですが、最も大きな理由としては、「女の幸せコース」の方が「下」に思えたから、なのだと思います。

今まで、男女の差など一応は無いものとして暮らしてきた。

だというのにいざ就職となると、女が急に半人前視されるとはどういうことだ。

男のアシスタントみたいな仕事につくなんて、ダサいではないか、と。

私自身も、女より男の方が上だと思っていたからこそ、女の幸せコースを下に見たのでしょう。

女の幸せコース側の人は、業務よりも、女を売ることを優先するという印象も、私は持っていました。

女の幸せコースの仕事とは、やりがいを見つけるとか出世するとか良い賃金をもらうための仕事ではなく、良い婿を見つけるための仕事。

そんなコースに進むなんてねえ……と。

しかしその視線には、多分に嫉妬が交じっていました。

(中略)

おそらくは、女の幸せコースにいる人たちも、男並みコースに並んでいる私達のことを、下に見ていたのだと思います。

「可哀想にあの人達、モテないから男みたいに働くしかないのね。

いくらバリバリ働いたって、婚期が遅れるだけなのにねえ。

親は何のために大学に行かせたのか、わかってるのかしら?良い結婚をするためじゃないの」と。

今になってみると、女の幸せコース側の人達は、ズルをしていたわけでは全くないことがわかります。

彼女達は、自分の適性というものを、早くから知っていた人々。

男に伍してぼろぼろとなって働くよりも、条件のよい男性と早くつがいになることが幸せへの近道だということを、早くから理解していたのです。

(中略)

一方でこの法律は、女性の中に見えない線を引くことにもなりました。

女の幸せコースに並ぶ人というのはつまり、「私、つがいを作ることに必死になります!」と宣言している人達。

「しばらくはつがい作りのことは忘れ、必死に働きます!」

という宣言をせざるを得ない男並みコースの人とは、どうしても距離ができてしまう。

そして時が経つと、男並みコースの人は、“条件の良い独身男性”という限られた資源を、女の幸せコースの人達に不当にかっさらわれたような気がしてきてしまうのです。

…と、そんな未来が待ち受けていることはつゆ知らず、私はとある会社に総合職として就職しました。

その会社には一般職の女性もいたわけですが、私は一般職女性の前において、どうにも居心地の悪さを感じたものです。

-----------------引用終了

私は会社に所属していたことがないので、そーゆー組織の中での「あれこれ」には関心がなく、これまでず~~っと過ごしてきました(「組織」には、いました。教員だったので。ただ、総合職・一般職という「線」引きには無関心だったなぁ、そーゆー制度がなかったし、「学内政治」にも距離を取っていたし・・・・)。

今はさらに総合職と一般職の間にエリア職(転居を伴わない地域限定総合職)があったり、同じ職場に「ハケン」の方がいたり、アルバイトの人もいたりと立場だけダイバーシティ。

同一業務同一賃金になっていないニッポンの職場では、この立場によって「線(賃金)」が引かれています。

だから、

次のような悲喜劇が4月当初にアチコチの職場で見受けられるらしい(ホント!?)


新人の総合職より、ベテランのバイト(のほうが使える)!


毎年繰り返される光景とはいえ、「なんだかなぁ(阿藤海ふう)」

あっち側の人による「分断統治」を見ているようです(古代ローマの時代からイギリスの植民地統治まで、やっていることは「今」の職場も変わりなし!?)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。こ~んなに晴れてますが、今朝の飯田の最低気温は-1.5℃(暖こうございました)。

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今朝は三日月と金星がランデブー(↓6:11撮影)。

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8分後(6:19)には、もう金星は微かな光のみ(↓)。

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今日のストームグラス(↓)。よく見ると手前から三段構え。

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既にアラジン・ブルーフレームJ39型があったものの(なんせ天井が高くてなかなか暖まらないので)、さらに古い【16型】を入手(もちろん、中古)。

コアなファンの方がおられて、「日本におけるアラジン・ブルーフレームの歴史」というページを開設されています。

それによると、これは【シリーズ16(後期型)】のようで、発売は1970~71年らしい。

するってぇと、これはもう既に40年以上前のもの(↓)。

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当たり前ですが、耐震自動消火装置は付いていません(目の届く範囲で使用すること、それが前提。さらに灯油の状態もこまめにチェックする必要もあります。空焚きしないように)。

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この当時のものは、“MADE IN ENGLAND” で、それを梁瀬商事が輸入していました(↓)。

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梁瀬商事とは、現ヤナセのこと(あの輸入車代理店の、ベンツやVWでお馴染み)。

油量計の目盛りが「!」

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あくまで目安でしかないとは思いつつ、1/2のラインが“F”と“0”の真ん中ではなく、“F”寄りのおおよそ6割の位置に付いている!

ちょっとした発見でした。

アラジンの凄いところは、「今」でも消耗品としてのパーツ類を提供・販売していること。

J39型の芯は私でも交換できたくらいですし、ね。


エアコンや石油ファンヒーター等の快適さに慣れた人にとっては、扱いが「メ・ン・ド・ク・サ・イ」ストーブであることは確か。

そーゆー意味では「使う人を選ぶ」ストーブだといえるでしょう。

ストーブを操作するときに「面倒くさい」とか「手がかかる」とか、「気を遣う」とかいったことを厭わない人にのみ、使用する資格がある---そんなストーブです。

定期的に7-11の「棚」を見に行きます(見てるだけではなくて、ちゃんと購入もします)。

先日、エナジー・ドリンク系の棚を見たところ、スタバ・リフレッシャーズにナナコポイントが100付いているというPOPを発見。

店頭価格200円のスタバ・リフレッシャーズにポイントが100ということは、実質50%OFFという大盤振る舞い。

その横にはモンスター・エナジーがあって、こちらは20ポイントとあります(10%OFF)。

その横にはレッドブル。

レッドブルは定価販売のまま。

王者レッドブルに挑戦していたスタバ・リフレッシャーズは、「価格」でしか勝負できないのか? などと勘ぐってしまいました。

(まぁ、1/31までの期間限定ではありますが。)

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買いました(refreshしたかどうかは?)。

レッドブルで思い出した、日経ビジネスの記事。

-----------------以下引用(長くなります。強調BLOG主)

レッドブルが「非アメリカ的」、つまり「ヨーロッパ的」な企業であることを示すエピソードはたくさんある。

 世界165カ国で販売するグローバル企業になっても、オーストリアとスイスでしか生産しないし、砂糖などの主要な原材料はヨーロッパ産に限定している。

そして、税金は本拠地のあるオーストリアに嬉々として納める。

また、生産を委託している企業との間には、なんと今でも契約書が存在しない。合意したときの「男と男の握手」に何よりも価値があるとマテシッツは考えている。

(中略)

(社長の)マテシッツの経営は「独立自尊」を原理原則としている。

会社設立の経緯があって、ビジネスパートナーとなったタイの実業家が出資しているが、資本に占める割合は限定的だ。

財務面でも、今後手に入るかもしれない金ではなく、実際に儲けた金だけを活用する。

「銀行にだけは借金をするな」というぐらいだ。

レッドブルの販売開始から3年目にして黒字を達成しているが、それ以降、赤字に陥ったことはなく、新市場の開拓もすべて手持ちの資金でまかなわれた。

資本政策が手堅いのは、彼が保守的な人間だからではない。

「自分で全部動かせる」という経営の自立性を確保するためである。

会社を上場させないのもそのためだ。

上場すれば、短期的な収益を求める外部の圧力が働き、長い時間をかけて強いブランドを構築するのを妨げたかもしれない。

1987年にレッドブルの販売がスタートしてから、1999年まで配当をしていなかった。

創業社長であるにもかかわらず、給料しか受け取っていなかったのである。

ストック・オプションがばらまかれ、上場して創業者利益を得て、パーッと華々しくやりましょうという「チャラチャラしたベンチャー起業家」の側面は微塵もない。

-----------------引用終了

アメリカのビジネス・スクールで教えられている経営手法とはまったく違う成功への道。

ふとみた7-11の棚から、経営における【欧v.s.米】の違いを垣間見た瞬間でした。

経営に「定石」はあるのかもしれないけれど、それだけが成功の道ではないということをレッドブルは教えてくれています(でも、タイで大正製薬のリポビタンDにインスパイアされたのが創業のきっかけだったなんて、本家の大正製薬はいったいなにやってんだか・・・・)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今朝の飯田の最低気温は-5.3℃(まだ寒いじゃん)。

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今日のストームグラス(↓)。

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みているだけでは「音」が聞こえてくるわけではないけれど、お気に入りの「円盤(LP)」にムーブメントと短針長針を付ければ、「ハイ、出来上がり!」

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時間がわかりやすいようにレーベル部分へ数字を書いたシールを貼れば、完璧。

『ユーミンの罪』以外にも数冊酒井順子氏のエッセイを読んでみました(読みやすいですね、難しいこと書いてないし)。
その中の一冊、『この年齢だった!』 酒井順子著(2012) 集英社刊。

著名人の転換点となった年齢に焦点を当てて書いた、軽いエッセイ。

長谷川町子さんに関して、次のように記されています。

-----------------以下引用

サザエさんといえば、家族全員で楽しむことができる、健全な家庭漫画。

画風を見ていても、清潔感と作者の育ちの良さが感じられます。

長谷川家は敬虔なクリスチャンかつ教育熱心な家庭だったので、町子はさぞかしあたたかくて健全な家庭生活の中で生活していたのだろう、と思われるものです。

しかし長谷川家の歴史を見ると、必ずしも幸せなことばかりがあるわけではないことに気付くのでした。

まず、町子達姉妹の父親は、前述の通りまだ若い娘達を残して早世。

長女・毬子は戦争中に結婚したものの、夫は戦死。

末っ子の洋子は戦後結婚して二女をもうけたものの、夫は三十五歳で病死。

……ということで、長谷川家には女性ばかりが残されるのです。

そして長谷川町子はといえば、生涯独身。

町子は、サザエさん一家のような家庭に身を置きながら、あの漫画を描いていたわけではないのです。

長谷川家はとても仲がよかったけれど、夫や父という立場にある人は欠けていた。

つまり、波平もマスオさんもカツオもいない家庭の中で、町子は『サザエさん』を描いていたわけです。

サザエさん一家が、どんな家庭よりも普通の家庭らしいのは、そのせいなのかもしれません。

明るく前向きな母のもとで成長していったけれど、お父さんが大好きだった町子は、自分が夢見た平凡な家庭を漫画の上で描いていった。

女形の役者が、時に本物の女性よりも女らしく見えるように、サザエさん一家もまた、完壁な家庭で育ったわけではない作者が描いたからこそ、日本のどの家よりも普通な家庭らしさを持っているのです。

-----------------引用終了

NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」のモデルとして描かれていた長谷川家(マー姉ちゃんは町子の姉の毬子で、熊谷真実、町子は田中裕子が演じていました)。

ドラマでも長谷川家の様子が描かれていたけれど(と、書いてはみたもののず~っとみていたわけではなく、知識として知っている程度)それを上記のような「文」にしてみると、長谷川家も戦争に翻弄されていた部分が垣間見られます。

一度、こーゆー情報をアタマの中に入れてしまうと、次から『サザエさん』をみるときに、どうしてもそーゆーフィルターを通してしまう---、ヒトのアタマはそーゆーふーにできているみたいです。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。快晴無風。一昨日の飯田の予想最低気温は-10℃、昨日は-8℃だったので、覚悟していたのです、そーとー寒いだろうって。でも-6.2℃でした(軽井沢は-10.6℃)。

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今朝のウォーキング時、東の空(6:10撮影、ぶれてます)。

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古地図を持って巡検するのが、いま中高年でブームらしい(火付けは「ブラタモリ」だと思う)。

それを裏付けるようにそっち系の出版物が次から次へと発刊されています。

江戸東京博物館で開催されている「大浮世絵展」のついでにミュージアムショップへ。

「江戸」と「東京」を一枚に表現した「お江戸電車めぐり」地図を購入。

江戸時代の地図に電車・地下鉄網をレイヤーしたというもので、場所の特定がしやすくて、見やすい。

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ど真ん中の江戸城は、現・皇居というのは知っての通り(↓)。

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このほか、有名どころでは

古地図の表現 → 現在の場所(何になっているか)

加州 → 東京大学本郷キャンパス

尾張殿(複数あるのですが、市ヶ谷近くの敷地) → 防衛省(自衛隊市ヶ谷駐屯地)

紀伊殿(複数あるのですが、四ツ谷近くの敷地) → 迎賓館

毛利甲斐 → 六本木ヒルズ(毛利庭園に名を残してます)

水戸殿(複数あるのですが、水道橋近くの敷地) → 東京ドーム・後楽園

本所御職地 → 両国国技館・江戸東京博物館

内藤大和 → 新宿御苑

御薬園 → 小石川植物園

というふうに、なかなか見応えがあります。

新宿・渋谷・池袋の3副都心は、「郊外」です。

それらの駅周辺は「ハタ」というカタカナがイッパイ。

そう、「畑地」だったのですね、あの時代には。

現在、4種類のカレーメニューをご提供しておりますが、そのうちのひとつが新しいものになりました。

ご賞味いただけたら幸いです。

(このカレーにも「物語」がありそうです。)


昨日ご来店いただいたお客様には、「かりんとう」をサービスでご提供いたしました(↓)。

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赤→トマト

黄→とうもろこし

緑→エンドウ豆

それらしいお味でした(既に提供は終了いたしました)。

昨晩のEテレ23:00、「幸福学 白熱教室」。

4回シリーズの第3回で、「挫折や逆境から立ち直るために」というものでした。

個人的には週の「あなたの仕事と幸せの関係」のほうが面白うございました。

というのも前野隆司氏(慶應義塾大学教授)の「煉瓦職人」の話が具体的でとてもわかりやすかったから。

どうも「煉瓦職人」の話というのは多少のバリエーションがありながらも、コンサル業界や啓発セミナー業界では有名な話であるらしい。

-----------------以下引用

イソップ寓話「3人のレンガ職人」

世界中をまわっている旅人が、ある町外れの一本道を歩いていると、一人の男が道の脇で難しい顔をしてレンガを積んでいた。

旅人はその男のそばに立ち止まって、

 「ここでいったい何をしているのですか?」

と尋ねた。

 「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。

あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、風の強い日も、日がな一日レンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり」

男は自らのひび割れた汚れた両手を差し出して見せた。

 「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、まったくついてないね。もっと気楽にやっている奴らがいっぱいいるというのに・・・」

旅人は、その男に慰めの言葉を残して、歩き続けた。

もう少し歩くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会った。

先ほどの男のように、辛そうには見えなかった。

旅人は尋ねた。

 「ここでいったい何をしているのですか?」

 「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね。」

 「大変ですね」

旅人はいたわりの言葉をかけた。

 「なんてことはないよ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。

俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べていくことに困らない。大変だなんていっていたら、バチがあたるよ。」

旅人は、男に励ましの言葉を残して、歩き続けた。

また、もう少し歩くと、別の男が活き活きと楽しそうにレンガを積んでいるのに出くわした。

 「ここでいったい何をしているのですか?」

旅人は興味深く尋ねた。

 「ああ、俺達のことかい?俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」

 「大変ですね」

旅人はいたわりの言葉をかけた。

 「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ!素晴らしいだろう!」

旅人は、その男にお礼の言葉を残して、

また元気いっぱいに歩き続けた。


-----------------引用終了

前野氏はこの話を簡潔にまとめて話されていました。

自分の仕事と社会との接点、その先にあるものをどこまで見通すことができるのかどうか?

同じ仕事(行為)であっても、仕事に対する姿勢の動機づけとして、「自分の内なる意義」の必要性を痛感。

それで思い出したのが、大成建設の有名なコピー。

「地図に残る仕事」

これって、ゼネコンの矜持を感じます。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今日の飯田の予想最高気温は12℃。

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今日のストームグラス(↓)。

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昨日は全県的に(北信も)快晴であったようで、FMラジオで八方尾根スキー場の人が「素晴らしく快晴!」を連発(「事件です!」)っていっていました。

昨日14:58の南アルプス(北部↓)。

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当店の駐車場から(↓)。

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