liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

2017年05月

今話題の「うんこ漢字ドリル」。

そこにも掲載されている例文が、大人目線からすると、とてもシュールです(↓)。

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小学生、特に低学年では、うんこへのレスポンスが異常に高い---そんな反応から、これは受けるのも宜なるかな。

私だって、やってみようって思いますモン(というよりも正確には、どーゆーふーな例文で出題されているのかが気になります(^_^))。

公式ホームページは、こちら

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今日の飯田の予想最高気温は29℃。昨日は暑うございました。飯田の最高気温が33.8℃でしたから(゚∀゚)。

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今日のストームグラス(↓)。

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以前、新潟県長岡市栃尾(平成の大合併で栃尾市は長岡市に編入)へ取材で行ったときのこと。

道の駅で、油揚焼き定食を食べました(こちらのブログ)。

それ以来です、「栃尾の油揚げ」。

スーパーの陳列棚で発見(↓)。

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フライパンで焼いて、ネギ(としめじ)+鰹節+ショウガ醤油で、できあがり(↓)。

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シンプルだけど、素材のよさでじゅうぶん美味しくいただけます。やはり「油」はうまい(^_^)(「美味しゅうございました by 故・岸朝子ふう)。

今度は、「かんずり」を買ってこなけりゃなりますまい(^_^)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。飯田の今日の予想最高気温は32℃(まだ5月名のに(`_´))。

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今日のストームグラス(↓)。

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5年ほど前にいただいたハーブ等、駐車場の車止めと建物との間にある約1mほどのスペースに、適当な間隔で植栽。

それから幾星霜。殆ど放置プレイ状態だったんですが、だいたい勢力図が決まりました(↓)。

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生存競争で勝利するには、どーゆー戦略でいくのがいいのか---ハーブの植生からだけですけど、これからニンゲンの社会における生存戦略、ひいては地域の生存戦略へとアナロジーが見えてくるようです(妄想なのかも(^_^))。



昨日、用事(会議)があり、店はお休みにして松本へ行ってきました。

塩尻から久しぶりに、眺めのいい東山山麓線を通って、中山地籍経由であがたの森公園に近くなると・・・・・・。

カーナビの渋滞を示す赤線が、あがたの森公園周辺に何本も表示されていて、それでも暫く走ると、立て看板。

「クラフトフェアまつもとは、駐車場がありません。公共交通機関や徒歩等でおいで下さい。」

という趣旨でした。

あっ、今日はクラフトフェアか。

クラフトフェアまつもとは既に30年を超え、その分野では草分け的な存在。ここへ出店(出展)出来るには、それソートーの実力者(作家さん)でなくては・・・・・、とか。

松本民芸家具の歴史を有する松本ですから、「ものづくり」の土壌がある---そんな素地の上に築かれてきたものでしょう。

数年前、来場者のマナー、特に違法駐車が問題となり、開催の是非を含めて、突き詰めた話し合いが行われたと聞いています。

私は駅近くの会場が目的地だったので、駅前通を西へ。

信号機に引っかかるたび、人の波があがたの森公園へと向かっているのです。

スゴイ集客だなぁ~。

こーゆーのを目にすると、クラフトフェアで集客---というところもアチコチにでてくるでしょう。

今は便利なモンで、「クラフトフェア・カレンダー」なるものもまとめられており(こちら)、出店者のほうもこれを参考に、日本中をジプシーさながらの「週末はお祭り(fair)」状態が続いていきます。

晩秋以降クラフトフェアはなくなり、冬期間は製作に勤しんで、また春になって暖かくなったら動き出す---そんなライフスタイルも見えてきますネ。

そーいえば、

当地の近くでも、先週末(5/20-21)はクラフトフェア飯田でしたし、今週末(6/3-4)は駒ヶ根でくらふてぃあ杜の市が開催されます。

これだけ乱立してくると、目利きの来場者はフェアを「選んで」足を運ぶことになるでしょう(主催者にとって、何を目的に開催しているのか---たぶんこれからは、そーゆーのが問われてくるのだと思います)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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オ・マ・ケ(↓)。飯島町の道の駅から、中央アルプス。青い空、白い雪、紺色の岩肌、新緑、煉瓦色の屋根のコントラストが綺麗でした。

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先日のブログの続編です。

『捨てられる銀行2・非産運用』 橋本卓典著(2017) 講談社現代新書

書名にもあるとおり、今回は「資産運用」がお題。それが、「非産運用」になったり、さらに「悲惨運用」になったりと、金融機関のえげつなさがターゲット。

まずは、いい話から(↓)。

-------------引用開始

日本に信託が正式に輸入されたのは1905年という。

日露戦争後の経済復興のための資金調達策として担保付社債信託法が制定され、金銭、有価証券、不動産などを管理運用する信託業務として発展してきた。

特に興味深いのは太平洋戦争敗戦時のエピソードだ。

戦前、日本に進出していた米フォードやIBMが日本国内に残した資産は戦時中「敵国資産」とされた。

当時は「鬼畜米英」のスローガンが公然と掲げられており、競売に掛けられ、軍費調達に転用されて然るべきところだが、なんと、三菱信託など当時の信託銀行が管理してきたのだ。

敗戦を迎え、連合国軍総司令部(GHQ)が進駐してきた際、こうした敵国資産が開戦前と同じ状態できちんと保管されていたことに米国側は驚いたという。

特にIBMの社史には「スリッパ一足に至るまで我々の財産は保全されていた」と明記されているという。

理性を失っていておかしくはないはずの戦時下でもフィデューシャリー・デューティーを日本の信託はちゃんと果たしていたのだ。

フィデューシャリー・デューティーは、日本に馴染まない概念では決してない。

むしろ、遺失物の財布やカメラですら「困っているだろうから」と届け出たり、預かった荷物に手を付けない日本人の誇るべき伝統的良心に最も近しいのではないだろうか。

少なくとも、顧客無視で自己都合の商品を売りつけることを平然と行い、降って湧いたようなフィデューシャリー・デューティーを煙たげにしている銀行、証券の精神ほど、本来の日本人として唾棄すべきものはない。

フィデューシヤリー・デューティーは何も新しい概念ではない。

個人の資産形成サービスにおいては、建前だけの顧客本位を何食わぬ顔をして掲げている現在の銀行や証券の方が異常なのだ。

-------------引用終了

「唾棄すべきもの」---とは(↓)、

自己都合の営業ノルマで顧客無視の商品を、アドバイスというレベルにすら達していない誘い文句で売りつけようとする銀行や証券会社、そうした販売会社に従属している資産運用会社

さらに、こうまで仰っています(↓)。

こうした無責任な金融機関を後世に残してはならない責任が我々にはある

で、

まっとうなアドバイス(↓)。

-------------引用開始(強調BLOG主)

森長官が信頼を寄せる資産運用のプロは、

「自分のお金で運用をすると、どうしても『この辺で良いかな』という感情に流され、パフォーマンスが十分とはいえない結果になる。

我々のようなプロでもだ。

ましてや一般の個人投資家がめまぐるしく変転する相場の状況を常に的確に読み切って、行動するのは不可能に近い。

であるならば、相場を読もうとするのではなく、毎月決まった投資を続ける分散投資で、リスクと時間を分散しながら運用していくのが正しい

と、語った。

この人物に、銀行・証券などの系列、独立系など、資産運用会社のあるべき姿も質問した。

「どう書くかはお任せしますが、我々が任せている資産運用会社で運用パフォーマンスが良いのは、独立系とグローバルな生保系の資産運用会社です。

販売会社が強い国内金融系列の資産運用会社のパフォーマンスは悪いです。

パフォーマンスが悪ければ我々は切り捨てます。

販売会社の手数料のために仕事をしているような系列の資産運用会社は、自然に淘汰されるということです

-------------引用終了

『捨てられる銀行』と並べて、例の棚に置いてあります(↓)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。だいぶ雪が溶けてきました。

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今日のストームグラス(↓)。

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長野県を愛する大人の情報誌「KURA」。

6月号での、次のような誤字を見つけたとき、「ハッ!」と閃きましたo(^-^)(↓)。

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赤線箇所、ここ以外にも同じ表現でもう一箇所出てきます。が、そこでも「身に着ける」('A`)。

私はPCの辞書機能はATOKを使っているので、

「みにつける」 → 「身に付ける」 と一発変換してくれます。

慣用句として、ちゃんとそーゆーふーに登録されているのだと思います。

ところが、

MS-IMEで同じように入力してみると、

「みにつける」 → 「みに + つける」という文節に分かれていて、それぞれ変換しなければなりません。その最上位に「着ける」があったのでしょう。「付ける」もあるのに、ねぇ。

慣用句としての「みにつける(身に付ける)」は、広辞苑にも載っていて、

身に付ける
①体に密着させるように所持する。
②衣服を着る。
③知識・学問・技術などを習得する。

とあります。

赤線箇所の「生きる力」は、明らかに③番でしょう(誤変換した編集の人は②番に近い感覚だったから、「着ける」にしたのかも?)。

結局、編集現場においても、AIに取って代わられるような人材とは、こーゆーことが分かっていない人なんだと思います。

→ 結論。やはり「人」です。

記事「阿部知事が行く」に登場している轟さんや知事もいいこと言ってるのに、ザンネンですね。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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店主の焙煎によるコーヒー豆が新しくなりました。

今回の豆は農園で出荷するまでの製法を見直した---そーゆー豆だそうです。

ご賞味いただけたら、幸いです。

先日、長野県内からとはいえ、120km超の距離をバイクでおいでいただいたお客さまがおられました。

ありがたいことでございます。

メニューの一番上に記されている店主焙煎のコーヒーをご注文なさいました。

「おいしいです。」

のお言葉をいただくことができ、こーゆー時にこそ、「やってってよかった(cf 「♪開いててよかった!7-11いい気分!」」と思う瞬間です。

メニューの一番上には、焙煎がいちばん深いブレンドが記されています。

ふと、

食べ○グで、「全国 → コーヒー専門店」の絞り込みをしてみると(↓)、

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上位には、名だたるお店の名前が並んでいます(偶然というか、こーゆー絞り込みをする以前に、3店とも伺っています(^_^)。なんせ、ランブルさんは日本の「自家焙煎」の歴史を築いてきたお店ですし、北山さんはオールドビーンズの可能性を極めているお店です)。

「珈琲トラム」さんは、大坊さんのところで修業をされていた方が、3年ほど前に開いたお店です。

共通しているのは、皆さん「深煎り豆」であること。

食べ○グは、かつて「やらせ投稿」が問題になりましたが、集合知がよりよいものを生成させるという手法を応用して、たくさんの投稿によって、逸脱している投稿を駆逐させる---そんな設計思想になっています。

「悪貨が良貨を駆逐する」の反対バージョン。

酸っぱいコーヒーを推進(!?)している皆さんは、どこ?????????


当店店主の「原点」は故・標さんの「もか」でいただいた珈琲と故・本郷さんの「東雅茶房」です。

到底、まだまだその足元にも及びません(_ _)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。終日雨の予報。

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今日のストームグラス(↓)。

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この場所で、3箇所目になります(↓)。

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マティスの「ジャズ」。

このパネルは、まだまだ拡張性がありそうなので、来月以降もそのまま、で。

『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』 延江浩著(2017) 講談社刊---を読んでいたときのこと。

松任谷正隆さんが幼少の頃を振り返って書いた作文「お風呂」が引用されていました(何歳頃に書かれたものなのかは、明記されていません)。

-------------引用開始

『お風呂』 松任谷正隆

我が家のお風呂は五右衛門風呂だった。

鉄がものすごく熱いから、外側には触れないようにそおっと入る。

どうしても触れてしまう床面には木製のスノコ状のものを敷く。

それでもやはり触れてしまうときがあって「アッチイ!!」なんて言いながら入った。

そんなお風呂の思い出はたくさんある。

ある日の昼、僕は大変なショックを受けていた。

近所の弘美ちゃんと立ちしょんをしようということになって、並んでしたところ、弘美ちゃんのあそこには何も付いていないことを発見したのだ。

子供には性欲というものがないのだとすると、あの感覚は何と呼ぶのだろう。

心臓がえぐられるかと思った。

早速、その日のお風呂で母親に報告である。

「弘美ちゃんにはおちんちんがなかった……」

と言いかけたとき、母親はなんと「そんなつまらないこと言うもんじゃないの!」と怒り出すではないか。

まあ、今なら母親失格。

当時も失格だな、ありゃ。

幼い心の中に植えつけられた初めてのタブー。

その後、僕が異常者にならなかったのは奇跡とも言える。

しかし後日、父親は、母の挽回をしようとしてなのか、こんなことを言い出した。

「おまえ、赤ちゃんはどこから出てくるのか知っているか?」

「もちろん、お腹でしよ?」と答えると、「違う、このあたりだ」と指をさし、ストレートに答えを告げ、「その証拠に、お前のお母さんのお腹に傷はないだろう」と言うのだった。

僕は烈火のごとく怒って言った。

「お父さんは最低だ!」と。

おやじはこれに懲りて、二度と性教育なんかしまいと心に誓ったそうだ。


松任谷家の長男・正隆が生まれた昭和26年。日本は朝鮮戦争特需の真っ只中だった。

-------------引用終了

ユーミンの連れ合い、松任谷正隆さんの父は「三田出身」のバンカーで、旧東京銀行横浜支店長、父方の祖父は環八沿いの地主で、その庭にはテニスコートがあるようなお家だったそうな。

正隆さんも幼稚舎からの生粋のKOボーイ。

彼の上記のような記憶は、昭和30年代のものでしょう---当時、男の子に対して家庭で「性教育」と呼べるようなものは、皆さん、していたのでしょうか?

子どもは子どもで、「なんとなく、そーゆーモノなんだ!」というふーに分かっていく。

なんか、阿吽の呼吸とでもいいましょうか、子どもの世界はその世界で、そっちの方面にもちゃんと知識が広がっていく---アヤシイ情報を取捨選択しながら、リテラシーが身に付いていったのかもしれません。

2017年から眺めると、「昭和は遠くなりにけり・・・・」ですね。

あっ、そーそー、

松任谷家と頭山家は、正隆さんの(腹違いの)伯父が、頭山満の孫と結婚したことで系図が繋がります。

帯にもあるとおり、「ユーミンも知らなかった両家の歴史がここにある!」---きっとそーだと思います。

1970年代以降、ニューミュージックに括られる一連の登場人物の皆さんは、こーゆーふーだったのね---と、自分史ともオーバーラップできる世代にとっては、「ナルホドねぇ」の世界(本の作りはエピソードや事実、それらを繋ぐ創作、これらがモザイク状です。ですから、プロローグとエピローグを含めて全35章という構成)。

この本、スタッキングシェルフに置いてあります。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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