4~5月の大型連休前に実施していた飯田高校の強歩大会。
この時期の風物詩だと思っていたんですが、どーやら今年は、なくなったみたいです(年間行事予定表を見ても「強歩大会」の文字がありません。こちらpdf)。
てっきり私は4月の第4週に実施するモノだと思って、「飴ちゃん(大阪のオバチャンふう)」を用意しておいたんです。でも、それも要らなくなりました( ^.^)( -.-)( _ _)(x_x)。
ということで、
当店の入口ドアを開けた場所に(↓昼間は見やすい)、
暗くなると(↓)、わかりづらい・・・かも。
強歩大会だと20袋以上用意した飴ちゃんが、1時間程度で無くなります。
が、
この場所では、どーなるでしょうか?
さて、
強歩大会のような学校行事について、です。
以前、佐藤優さんが母校(県立・浦和高校)の杉山校長と対談していた記事を思い出しました。
----------以下引用(強調BLOG主)
(前略)
佐藤:絶対に正しいことは複数ある。
それから、教会であるとか、王であるとか、伝統というのは非合理であっても、存続しているところに--―中世の格言である「有限は無限を知ることができない」という意味からも--―存続していること自体に意味がある。
だからそこは尊重したほうがいいという、それが非認知能力と関係すると思うんですよ。
浦高行事というのも、一見すると非合理のように見えるのですが、これは最終的には、非合理なものが不条理を防いでいくという機能なのではないでしょうか。
杉山:非合理が不条理を防ぐ。なるほど。
浦高は非合理というか、無駄だとか無理なことをやっていると言う人がいますよね。
でも、その無駄や無理というものが、実は長い人生で生きてくる。
よく「一見遠回りに見える道が一番の近道なのだ」ということも言われるのですが、私はそのとおりだと思いますね。
実は公立の伝統校では一晩中歩いたり、真冬に寒稽古を行ったりと、非合理に見える行事はけっこう例があります。
やはりその非合理な行事にも何らかの効果があるということを、伝統校では理解・体得しているのだと思います。
佐藤:そうですね。だから、そういった伝統校というのは、世相に合わせて「受験刑務所」型の学校に変えるようなことは、決してしないんです。
----------引用終了
授業時間確保のために行事を見直して、その教育的効果が低いと思われるモノをピックアップし、近視眼的観点から優先順位をつける。
きっと強歩大会は真っ先にやり玉に挙がったんだろうナ。
あ~~、勿体ないことをしましたね。
新入生への教育的効果は、強歩大会を経ることで「高松菌」の植え付けに成功する---私はそんなふーに思っていたんですがねぇ。
応援団による校歌練習も例の刺殺事件によって、応援団そのものが無くなり、通過儀礼としての「洗礼」が、この強歩大会だったハズ・・・・・・(だから4月のこの時期に実施していたんじゃなかったんですか?)。
(若しかして、そーゆーような考え方が通用しないような現実が、飯田高校に起こっているのかもしれん。)
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
今日のストームグラス(↓)。