liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

2020年02月

昨日引用した書籍から、今日もひとつ(↓)。

----------引用開始
国際ランキングの「よい結果」には喜びすぎないほうがいい。
何しろ日本はアメリカなどと比べて教育制度として負荷が低い国なのだ。
たとえるなら、「アメリカ(の教育制度)」は、筋カトレーニング用の重りをつけて走つているようなもので(大きな経済格差、多様な人種・文化・言語の生徒たち)、さらに筋肉の一つひとつが脳の指令に従わないこともある(地方分権が強い)。
しかも身体のあらゆるところは疲労骨折している(極端な貧困地域が国中に数多くある)。
一方、「日本(の教育制度)」は、重りはまだ軽く、教育熱の高い親たちから配給と応援を受け、学習塾に至つては直接背中を押してくれている。
身体も痛む箇所はあれどアメリカほどではなく、まだ走れないわけではない。
この競争で「日本」が勝利したところで、それは「制度」のまっとうな評価にはならないのだ。
今後、国内でSES(社会経済的地位)格差、それに地域間の大卒居住割合の格差が拡大し、地方分権の名の下に教育予算の格差が広がれば、「日本」はアメリカのような重りをつけて痛みと共に走ることになる。

『教育格差--階層・地域・学歴』 松岡亮二著(2019)ちくま新書 より
----------引用終了

書名のサブタイトルにもあるとおり、本書では「地域」格差についても言及しています(とは言え、露骨に「地名」は出てきません)。
上記の箇所を読んで、以前に書いたブログを思い出しました(こちら、もう3年も前のことか('A`))。
大都市圏においては、既にセグリゲーション(棲み分け)が進んでいることが明確です。
当地のような地方では、まだまだ選択肢がそんなに豊富ではないため、小中学校は「公立」が一般的。
しかし、これからはそーゆー中からも小中学校でさえ、教育実践における「名門」が登場してくるかも知れません(今や広く知れ渡った麹町中学校のように。いや、麹町中学校は「名門」復活、と称すべきなのか!)。
ただ、公立の場合は異動があるからなぁ。教育実践って、結局、属人的な要素が大きいと思うのですよ。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。昨日とは打って変わって、青空。
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今日のストームグラス(↓)。天気が変わったのに、昨日と大きく変化無し('A`)。
DSCN1031

先日来、「槇原敬之容疑者、覚醒剤取締法違反で逮捕」のニュースが、アチコチで報じられています。
で、
名曲「世界に一つだけの花」も彼の作品であり、そして、この曲が小学校の「道徳」の教科書にも掲載されていることから、マスコミ各社はこの教科書の出版元である光村図書出版にも取材しているみたいです(↓)。
光村図書出版では、担当者が対応し、「今日(14日)の段階では何もお答えできません。教育のことなので、いろいろな角度から慎重に検討していきたい」と話した。(Yahoo!ニュースのこちら、より転載)。
「作品は、作品」として評価しましょうよ。
そーゆーことをアレコレつついていくと、国語の教科書に載っているような明治の文豪なんて、今で言えばスキャンダルまみれだったりした人もいたわけで、「で、どーなのよ?」ってなるんじゃないかなぁ?(今と当時は時代が違うだけじゃなく「法律」そのものも、ね。姦通罪とか(_ _))。
先日、たまたま上記の内容とは別の新書を読んでいたら、「世界に一つだけの花」に言及していて、

「うむ、確かに。」

と、得心。その部分を以下、引用します。

----------引用開始
この政策(BLOG主注:カリキュラムの「個性化・多様化」を推進した人たち)の例に関連して付言すべきは、教育の中でどれだけ表面的な平等を取り繕い「夢」を煽ったところで、わたしたちは労働市場において冷徹な評価を受けるということだ。
有名な曲の歌詞にあるように、花屋の軒先には様々な種類の花が並んでいて、価値観によってどれが美しいと思うかは個々に違うだろうし、ナンバーワンを決めることは野暮だろう。
ただ、花屋のたとえをするのであれば、すべての花は商品であり、異なる数字の値札が貼られているのだ。
もちろんすべて同じ値段ではない。
「個性」や「多様性」をどれだけ主張したところで、100円は100円であり、1万円は1万円なのだ。
わたしたち一人ひとりは代替することができない存在であるはずだが、労働市場においては値札が貼られるのだ。
この現実が存在しないかのように学校の中で振る舞ったところで、労働市場に出なければならない時期が来る。
同様に、反学校的な若者グループの中で独自の価値体系を持つたところで、遅かれ早かれ労働市場における価値基準で評価されることになる。
学校や若者グループのような小さな「世界」で「個性」を認めたり「仲間」として連帯したりすることで一時的な居場所を確保し、資本主義の現実から匿ったところで、(死が訪れるまで一切の外出を禁じるカルトでもない限り)何の解決にもならない。
少なくとも「理想」に基づいたカリキュラム改革で、主に低SES(社会経済的地位)層の進学機会を閉ざし、実際の就業機会に繋がらない教育をしたところで、生徒一人ひとりが数十年にわたって生きていける助けにはならないのだ。

『教育格差--階層・地域・学歴』 松岡亮二著(2019)ちくま新書 より
----------引用終了

この新書は、これまでの教育をめぐる論議に対して、ちゃんとエビデンスをもとにして「緩やかな身分社会」化してきている日本の実態を描き出しています。
が、
著者をして、データ貧国・ニッポンのお寒い現状を次のようにも指摘。

----------引用開始(強調BLOG主)
結局のところ、「教育改革」のやりっ放しなのである。
アメリカのようにデータが豊富で膨大な研究が常に行われている社会であれば、様々な観点から「改革」の功罪を検証し、建設的な議論に繋げることができるが、日本は改革前後でまっとうなデータを蓄積していない。
査読付き論文のデータとして利用できるぐらいの学術的に耐えうる水準ではない、都合の良い適当な数字や感想文の切り貼りによる結論の決まった報告書(らしきもの)は「効果」の「証拠」にはならないのだ。
さながら、テストの解答用紙を返却され点数だけ一瞥して不機嫌になった中学生が、何がどのように間違っていたのかを確認もせずにゴミ箱に捨てるようなものである。
児童・生徒に「ちゃんと見直して自分の弱点を把握しなさい」と言う資格はわたしたちにはないのだ。

前出、新書より。
----------引用終了

上記の引用を読んだ後で、今日のタイトルに戻り、再度、疑問に思うフレーズ。
「で、『世界に一つだけの花』を用いて、いったいどーゆー【道徳】の授業をしているのだろう?」
きっと、アンチョコ(教科指導書)には、手取り足取り指導案(授業展開案)が記されているのでしょう。それをアレンジして・・・・なのかなぁ?

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。終日、雨の予報。何も見えません(きっと「下界」からもこっちは何も見えないんでしょうね('A`))。
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今日のストームグラス(↓)。
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一昨日のYahoo!ニュース(こちら)。
見出しは「パン屋の倒産が過去最多 “高級食パン“が注目を集める一方、小規模事業者は業況厳しく」
ニュースソースは帝国データバンクなので、数字に基づいた客観情報です。
翌日、信毎Web(こちら)。
見出しは「高級食パン専門店続々 県内企業出店 価格高くても人気」---とあって、県内各地に出店が進む高級食パンのお店の様子を報じています。
オモシロイ(と思った)のは、飯田市にあるローカリズムが松本に「おいで信州」という高級食パンのお店をオープンしたこと。地元、飯田ではなく松本で、です。
ナンとなくわかるのは、きっと、こーゆーことなんだろうと思う(↓信毎Webの記事から)。
高級食パン人気の火付け役とされる「乃が美」(総本店・大阪市)は松本市と長野市に計2店、専門店「一本堂」を120店以上展開するIFC(東京)は長野市に1店を構える。
高級食パン市場は、県内であれば長野か松本くらいの市場規模がないと、やっていけないのではないか?---伊那谷の中央、駒ヶ根市にある「盛屋」さん。オイシイ食パンをつくってくれていて有り難いのですが、伊那谷でお店をもっと大きな規模にして店舗展開をしようとすると、それを支えるだけの市場が、ココにはありません。
そう、「存在確率」という考え方がビジネスにも必要なんですね(この日のブログでも触れています)。
で、
一昨日、ダイヤモンドオンラインからYahoo!ニュースへの転載記事を見て、納得しました(こちら)。
ニッチなところに目をつける、そこに商機があるという見本、です。

2月下旬は18・19・23・25・28日がお休みの予定です。よろしくお願いいたします。

1968年2月12日に「ボンカレー」が発売されたことから、この日が「レトルトカレーの日」になったんだそう。
でもって、
在庫を探索してみると、大塚食品のお品が見当たらず、地元のこれ(↓)をいただくことにしました(_ _)。
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ジビエを用いたカレーです。大鹿村産のジビエと言えば、「鹿」(↓)。
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「鹿肉」はわかるけれど、地元特産の「ブルーベリー」まで入れちゃうことが、カレーにとってどーゆーモンなのか??
大鹿村で獲れた「鹿」の肉を使っていることはわかりましたが、地元でこーゆーふーな商品化までは無理なようで、製造元はこちら(↓)が担当。
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「製造所」はサンハウス食品。“What ?”
ハウス食品と関係あるのかなぁ?---と思いつつ、「ポチッ!」となをしてみると・・・。
あった、ハウス食品のグループ企業だったんだ(こちら)。
で、
OEMで提供しているところを見てみると・・・、ありました、大鹿村ジビエカレー(こちら)。
さて、いただくことにいたしましょう(↓)。
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鹿肉がルーの中に埋没してしまったため、探索開始(↓)。
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1cm*1cm*2mm(以下)の大きさにカットされた鹿肉を10数枚ルーの中から発見。
食べてみると、
「なんか、燻製肉のような・・・・(燻製の風味はしないけど)、そんな食感。」
ルーは辛めで美味しゅうございました。
(ブルーベリーの存在は、あたしにゃ、わかりませんでした(_ _)。)

それにしても、サンハウス食品は最少ロット3000程度で、【思い通りに自分で考えたカレー】を商品化してくれるのか! 
ククレカレーからJAXAスペースカレーまで製造するノウハウを持っているところだから、きっと、我が儘なカレーの希望にも、相談に乗ってくれることでしょう(_ _)。

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今日の南アルプス↓11:00撮影(↓)。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ(↓)。今朝6:50頃、10時を過ぎても「下界」は霧の中でした。
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昨日のブログの続きです。以下の記述は、これ(↓)だけ(=人口数)からの考察ですので、お気になさらずに(_ _)。
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帝国書院刊『中学校社会科地図帳』「日本各都市の人口」(昭和25年発行)。
この表には江戸時代、各藩の中心となって栄えていた都市と明治以降の近代化(①殖産興業・②富国強兵)による人口移動の結果(工業諸都市の発生)が表れていて、かつ、この後の高度経済成長期に進行した三大都市圏への人口集中の「前」の状況を垣間見ることができます。
で、
イロイロと考えてみました。
①殖産興業で勃興した諸都市(1947年の人口→近年の人口)
・夕張(8.2万→1万)
・平(3.1万→合併していわき市となり34万)
・田川(7.6万→4.8万)
・直方(4.7万→5.6万)
・飯塚(4.7万→13万)
・大牟田(17万→12万)
---これらは炭田を擁する都市群として発達。
・室蘭(9.6万→9万)
・釜石(2.9万→3万)
・日立(5万→19万)
・若松((7.8万)+八幡(17万)+戸畑(6.8万)+【小倉(17万)+門司(11万)】→北九州市となり99万)
---これらは製鉄をはじめとした工業都市として発展。
・桐生(9.1万→12万)
・岡谷(3.6万→5.2万)
・諏訪(3.5万→5.1万)
・一宮(6.2万→37万)
・貝塚(4.7万→9万)
・泉大津(3万→7万)
・倉敷(4.8万→47万)
---これらは各種織物工業を中心に発展。
ここで驚くのは、桐生市。実はこの時点では高崎、前橋を抑えて、群馬県でいちばん人口が多かったのです(*゚゚゚∀゚)。
②富国強兵によって人口集積が見られる都市(1947年の人口→近年の人口)の例として、鎮守府が置かれた4つの都市を見てみましょう。
・横須賀(26万→41万)
・舞鶴(9.2万→8.9万)
・呉(19万→24万)
・佐世保(18万→26万)
さて、ここからが本題です。
1947(昭和22)年の時点で、県庁所在都市が既にその県においてプライメートシティ(首位都市)となっていたところは、以下の通り(同一県内に人口数的にライバルがいない、2位以下を大きく引き離している、ぶっちぎりな都市ということです(_ _))。
・岩手、盛岡(11万→29万)
・宮城、仙台(29万→103万)
・秋田(12万→32万)
・栃木、宇都宮(9.7万→51万)
・新潟(20万→81万)
・石川、金沢(23万→45万)
・福井(7.7万→26万)
・山梨、甲府(11万→19万)
・岐阜(19万→41万)
・高松(10万→41万)
・松山(15万→51万)
・徳島(10万→26万)
・高知(15万→34万)
・熊本(25万→73万)
・鹿児島(17万→60万)
---これらの都市は、もうこの時点でその県においてエスタブリッシュメント化されていたと考えられます。
一方、
同一県内にライバル市があったところはというと、以下、列挙してみましょう。他市と較べて1947年当時と現在の人口に注目してください。
【北海道】
札幌(26万→190万
旭川(11万→35万)
小樽(17万→13万)
函館(21万→28万)
【青森】
弘前(6.4万→18万)
青森(9万→30万
八戸(9.1万→23万)
【富山】
富山(13.7万→42万
高岡(13.3万→17万)
【長野】
長野(9.4万→37万
松本(8.4万→24万)
【鳥取】
鳥取(5.7万→19万
米子(5.5万→14万)
【岡山】
岡山(14万→70万
倉敷(4.8万→47万)
津山(5.1万→10万)
【広島】
広島(22万→117万
呉(19万→24万)
【福岡】
福岡(33万→145万
北九州(連合)市(若松・八幡・戸畑・小倉・門司)(60万→99万)
【佐賀】
佐賀(6.5万→23万
唐津(5万→12万)
【長崎】
長崎(20万→44万
佐世保(18万→26万)
【大分】
大分(8.6万→47万
別府(9.7万→12万)
*なんと、別府のほうが1947年時点では人口が多かった!
【宮崎】
宮崎(9.2万→39万
都城(7.1万→16万)
延岡(7.3万→13万)
---こーゆーふーな県庁所在都市を称して、「県庁利権都市」と木下さんは言っているのではないでしょうか(斯く言う私も)。
しかし、47もある都道府県の中には、今も、県庁所在都市よりも人口が多い都市があって、それらも上に倣って列挙してみましょう。
【福島】
福島(8.7万→29万)
郡山(6.4万→33万)*交通の要衝
若松(5.9万→12万)
(3.1万→34万)*広域合併していわき市。
【群馬】
前橋(9万→33万)
高崎(8.8万→36万)*交通の要衝
桐生(9.1万→12万)
【静岡】
静岡(21万→71万)
浜松(13万→81万)*産業の集積
【三重】
津(6.9万→28万)
四日市(11万→30万)*産業の集積
【山口】
下関(18万→28万)*交通の要衝+産業の集積
宇部(11万→17万)
山口(9.8万→19万)
---県庁に関連したオイシイ情報が集まる県庁所在都市に、オカネのニオイを嗅ぎつけて、人口や産業が集積してくるのではなく、自分のところで産業を育てたり、たまたま交通の要衝であったりした僥倖を活かして、そこに住まう人たちが生活をより豊かなものにしていこうという、そんな気概を太字の都市群には感じます(持ち上げてます(_ _))。

「静岡のやめまいか、浜松のやらまいか」

静岡(駿河)の保守的なスタンスに対して、浜松(遠江)の進取の気風を指す言葉です。
いいなぁ~、浜松(当地より、暖かいし、便利だし・・・)。

接写した画像を以下貼付します(↓)。
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因みに、オモシロイのは、東京都には3つしか「市」がなかったのに対し(東京・八王子・立川)、
1:北海道・大阪(12市)
3:福岡(11市)
4:山口(10市)
5:兵庫・愛知(9市)
7:神奈川(8市)
---というふーになっている点。山口県に10市あったというのが、意外!

この当時の日本の総人口は約7800万人。まだ「市」に住んでいなかった人々も多かったはず(計算していないんです、その比率は(_ _))。

---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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一昨日のブログで触れた人口【佐久>飯田】に関して、どーゆーわけか、その日はアクセス数がいつもより上昇しました。
それに気をよくして(^_^)、今日も人口に関しての内容です(_ _)。
1920(大正9)年から5年ごとに実施されている国勢調査。その1947(昭和22)年のデータが興味深いのです。
本来ならば1945年に実施しなければならなかったものの、WWⅡ末期~敗戦の年にかけての時期だったため(10月1日実施が基本)、その年は実施せず(できず)、2年遅れたんですね。
とはいえ、1947年はまだ戦後のドサクサの中、この時点では未だ復員してきていない人もいるし、外地から戻ってきていない人もいるし、シベリアに抑留されている人もいるし・・・・と、そんな状況だったことでしょう。
で、
『地図帳深読み』今尾恵介著(2019)帝国書院刊に、興味深いデータが載っているのです(↓)。
DSCN0876
帝国書院『中学校社会科地図帳』(昭和25年発行)の「日本各都市の人口」。
この時点で日本には「市」が245しかありません。さらに、人口20万人以上の都市は、18しかなかったのです(上の画像の赤枠で囲まれた都市群)。
長野県のところを見てみましょう(↓)。
DSCN0877
【長野VS松本】の話はよ~~くネタとして話題になりますが、「平成の大合併」以降、現在の人口を較べると、【長野37万 > 松本24万】と大きく開いています。
でも、この時点では1万人ほどの差しかない。これくらいだと、ライバル心って生じてきますよね。
長野市は「昭和の大合併」以降も、隣接の(市となっていた)篠ノ井や、松代(町)を合併して、どんどん周辺地域を長野市に組み込んでいきます。
だから、人口も増えた!?---のでしょうか?

「(それもあるけど)いや、それはね『県庁利権』都市として発展したからだよ。」

と、木下斉さんが仰っています(長野に限ったことではなく、高度経済成長期を通して、そして、それ以降の低成長期も通して、地方にある県はみな、そーゆー傾向が多いと思われます)。
この指摘、私も、首肯します。
戦後、日本各地における地域構造は、都市の階層性のもと「県庁所在都市」を頂点に、ピラミッド構造化されてきたのです(例外的なところもあり)。
それはそうと、上の画像によれば、この時点で長野県内に「市」は6つしかなかったんですね(cf山梨県は甲府だけ)。
長野・松本・上田、そして岡谷の順。
そう、岡谷市は「平野村」から「町」を経ないで、いきなり「市」制施行に飛び級したところですから、その当時の繁栄を物語っていたのでしょう。
全国に245しかなかった「市」以外は、「町・村」なわけですが、この当時、その数は10000以上もありました。そして「昭和の大合併」→「平成の大合併」を経て、現在、市町村数は1700ちょっと。
長野県は北海道’(179)に次いで、77も市町村があります(村の数は35もあり、日本一なのだとか!)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。快晴無風ナリ。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ(↓)。2020.2.09。17:10撮影(3枚とも店内から)。
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17:29撮影(↓)。
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17:40撮影(↓)。
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毎年1月1日現在の人口数が、1月31日に発表になって、翌日、新聞紙面に載ります。
で、
長野県はというと、信毎Webのこちらで記事化されていて、見出しは「県の人口、3年ぶりに「転出超過」」---とあります。
先日、出典元の「統計ステ~ションながの」にあたってみたところ、「あっ!遂に!」という発見。飯田と佐久、両市とも人口10万人を割った時には、多少なりとも話題になったんでしょうけれど、今回はそれと較べると「ちっちゃい話題」です(_ _)。
エクセルデータ(↓)。
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飯田市と佐久市の人口が、逆転しているのです。
これまでは平成の大合併以降(いや、それ以前からか?)、長野県内の市としては【長野・松本・上田・飯田・佐久】の順番でした。
「日本人」に限ってみると、飯田と佐久の差は拡大します(↓)。
jinko-naganoken03
確か昨年はまだ、飯田のほうが多かったはず---と思って、「ポチッ!」となをしてみると(↓)、
jinko-naganoken01
「あぁ~、やっぱり!」昨年はまだ、飯田のほうが人口は多かったんだ。
ということは、この1年間で【自然(増)減+社会(増)減】が、この2市の明暗を分けた訳ですね(それにしても、飯田の減り方はドライブがかかってきてる('A`))。
因みに、「市」の上からの順番(黒矢印)は、総務省の全国地方公共団体コードに沿っているのですが、それはつまり、市制施行順なわけで、人口の多寡とは関係ありません(長野県の市長会での座席順も、この順番に座席指定されているらしい)。
【自然(増)減+社会(増)減】欄を見てみましょう(↓)。
jinko-naganoken04
飯田では「△515人(減)」に対して、佐久は「168人」の増加。この差ですね。飯田は「お外」に流出する人が多いのに対し、佐久は逆に流入してきている。「自然増」はどの市でも実現できていないので、「お外」から人を引き寄せることに成果を上げているところ(佐久)と、そうでないところ(飯田)の差が、数字に表れたようです。
飯田をはじめ飯山や大町は、社会増減率が他市と較べてその値の△(マイナス率)が大きい。これらの市って、長野県域でみると(地図を広げてみると)「隅っこ暮らし」のような場所に位置している、という共通点があります。
飯山は新幹線の駅があるのに、長野県内の市ではいちばん流出率が大きいって、何が原因なのだろう?これって、早晩、リニア長野県駅ができる飯田の未来図なのか?

以前のブログでも触れていたことですケド、【社会減】の数字に表れている方々の社会的属性が気になります。こーゆーふーなお店をやっていればこそ、どーゆーふーな方々がおいでになる(可能性がある)のか、それはそれは経営上の死活問題に直結です(_ _)。
人口数はひとつの目安に過ぎません。でも、こんな時代だからこそ、その数値が示すものから何が読み取れるのか?
【人の移動(人口の増減)】は正直に物語っているのです。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。快晴無風ナリ。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ(↓)。昨日17:34の南アルプス、荒川岳。
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「正直不動産」第7巻。第49・50直「三為(さんため)業者」(↓)の一コマ、いや、数コマ。
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このマンガ(単行本)のいい点は、巻末にスペシャル対談とか、スペシャルエッセイとかが掲載されていて、不動産業界の手の内が見えて、勉強になること。願わくば、もう少し文字が大きかったら有り難いのだが、ページの都合もあるのでしょうね。

台詞、
「まるで、バブル時代に、銀行や住専からの融資で物件を転売していたようにね。」---そう、アノ時代に、こーゆーことをしていた方々は、今、どこで(どんなポジションで)どーゆーふーなことをしているのでしょうや?

「正直不動産」第1巻~第7巻、スタッキングシェルフに置いてあります。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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昨晩のこと、18:50頃でしょうか? 「下界」での用事を思い出し、座光寺スマートICの工事をしている道を下っていったところ、中央道の跨線橋を過ぎた場所で、赤い誘導灯を持った人にストップをかけられました(広域農道からは「座光寺美女」の信号を上ってきて「座光寺原」の信号の上、30mのあたりです)。
その先には救急車が止まっています。
急ぐ訳でもなかったので、そこで暫く停車していると(2分くらい)、救急車が動き出しました。
道は下り坂で、緩やかにカーブしているため、救急車の先が見えなかったんですが、なんと、そこにはワゴン車(かワンボックスカー)(?)がひっくり返っていたのです。
【横転】ではなく、文字通りの【ひっくり返った】状態で。
車の天井が地面に付いていて、4つのタイヤが上を向いて、まさに「仰向け」状態。

「えっ、ここで、どーゆーふーな運転をすれば、あーゆーふーになるんだ?」

暗い中、恐る恐るその脇を抜け、「下界」まで用事を足しに行ったのでした。
で、
その道は私の朝のウォーキングコースにもなっているため、今朝、今季最低気温を記録した中(飯田でも-6.1℃)でしたが、いつも通りに通過。
事故車は、もう片付けられていたものの、地面にはクルマから流れ出した液体(?)の跡が視認できました。
救急車で運ばれた方、大丈夫だったんでしょうか?
そーいえば、
過去に私、事故を目撃したことがあります。
あれは新潟県でのこと。渋滞に巻き込まれてのろのろ運転中、並んでいるクルマの左脇を結構なスピードで後方から大型バイクが近づいてきたのです。
そんな時、私の少し前のクルマが急に左折(きっと、脇道に入って渋滞を回避したかったのでしょう)。
大型バイクと激突。
バイクのライダーは、前方に「(音はしないけど)ひゅ~~~~~~~~~~~~~!」と、吹き飛ばされていったのです。
私「あぁぁ~~~~。」

くれぐれも、交通事故にはご注意を。予見しながらの運転を心掛けましょう(月刊JAF Mate の「このときあなたは何に注意しますか?」は、ためになる好企画です)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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