liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

2020年08月

よく利用している商業施設の一角にATMコーナーがあって、そこには5台ATM機が設置されています。
金融機関それぞれのATM機は、製造メーカーも違うせいか、操作上微妙に違っていたりします。
で、
先日のこと。
そのうちのひとつの金融機関と提携している銀行のキャッシュカードを使って、お金を引き出しました。
お札を取り出し、財布へ。
そして、その場を離れて別のATM機へ。
なぁ~んと【キャッシュカードと利用明細書】を持ち帰ることなく、その場を離れてしまったんですね。
気付いたのは、約1分後(いや、もっと短い時間だったハズ)。
急いで前のATM機のところへ行ってみると、そこには
【何もなし】
私「えっ!?(どーゆーこと?)」
周囲をキョロキョロしてみるものの、手がかりとなるような人の動きやモノは無く・・・・( ^.^)( -.-)( _ _)。
念のため、自分の財布の中をどれだけ見ても、そのキャッシュカードは無く、
「そうだ、サービスカウンターへ行ってみよう」
と思い立ち、行ってみることにしました。
「今日はまだ、そーゆーお届けはないですね。」
とのこと。
これは、自己防衛しなければなるまい---と思い、その金融機関の公式ホームページで【カード紛失・再発行】の手続きを20分後には完了。
あとは、新しいキャッシュカードが来るのを待つだけか?
ふと、
その金融機関の公式ホームページ【お客様サポート】を見ていて、気付いた。
私のキャッシュカードを持っている人は、ATM機で引き出そうにも、入力する暗証番号がわからない状態なので、「若しその人が、悪用しようと思って、この【お客様サポート】を見ていたとしたら、どーゆーふーな行動に出るだろうか?」---と。
つまり、
手許にあるキャッシュカードに記載されている
【名義(私の名前)と支店番号と口座番号】を別の(拾得した、いやもといネコババした)自分の名義に変更できないだろうか---という立場で、アチコチ見てみることにした。
1:カードは手許にあるけれど、暗証番号を忘れてしまった。
2:住所、名義変更をしたい。
3:トークンアプリを使用していたが、それをインストールしてあったスマホは現在使用していない。
こーゆー条件で「ポチッ!」となをしてみると、
先ず、
1:支店番号・口座番号
2:漢字氏名
3:カナ氏名
4:住所
5:生年月日
を求められたのです。
1:と3:の情報は既に入手済み(キャッシュカードに記載されています)。
2:と4:については、ネットで「ポチッ!」となをすれば、辿り着けそうです(様々な絞り込みを行うことで、特定できそう)。
問題は、5:でした。
このブログに辿り着いた「拾得者(いやもとい、ネコババしたヤツ)」は、丹念にブログを調べ上げます。
ブログの記述で、
「今日、誕生日です。○○歳になりました」
という記述があれば、私の生年月日が特定できるのです。
(残念乍ら、この10年間のブログ歴で、そーゆー記述はひとつもありません(_ _)。)
ということで、1:~5:まで揃えば、新しい(拾得者の)口座・名義に変更ができそうなんです。

ここでさらに脳裡をよぎるTBS系ドラマ「MIU404」第9話のシーン。
ドラマでは、羽野麦(通称ハムちゃん)の在処を見つけ出すため「ネット上の善意をあてにする」ことで、彼女の在処を特定していくことに成功していました(彼女の「首」には1000万円の懸賞金がかかっていた)。
ネット上の一般ピープルの「良かれ」と思った善意が、悪行に加担しているという、現実にもありそうなシーン。
「ゾッ!」っとしましたぜ。

私はと言うと、既に新しいキャッシュカードが届き、それで入出金すると、もう古い(紛失した)キャッシュカードは、使用不可になるので、預金は(今のところ)無事です( ´-`)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ(↓)。三日坊主めくりカレンダー。「優秀賞」はOne Night Love.
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9月上旬は1・5・9・13・14日が休みの予定です。よろしくお願いいたします。

階段の壁の二枚、今月は、いや、今月もリー・コニッツ(as)の作品でした。
1枚目(↓)。
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裏面では(↓)、
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リー・コニッツとウォーン・マーシュの主客が逆転したアルバムタイトル名になっています。
レニー・トリスターノの門下生同士の作品(!?)。

2枚目(↓)。
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「ハイ・ジンゴ」 リー・コニッツ(as) & ヒズ・ウエストコースト・フレンズ

ちょうど先月の30日、外山滋比古先生が逝去---というニュースが流れてきました。享年96。
90歳を超えてからも精力的に健筆を揮っているということは、以前のブログで触れています(もう6年も前のブログです)。
また、ご長寿の秘訣についてもその対談で述べていて、参考になります。
でもって、階下からベストセラー『思考の整理学』 外山滋比古著(1983) ちくま文庫---を持ってきて、再度、読んでみました(文庫本)(↓)。
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化外の地に住んでいて、ニンゲンよりもサルの頭数のほうが多い当地では、ふと、「竹林の七賢」とか「寒山拾得」を思い浮かべたりするのですが、外山先生は、都鄙という場所は関係なく、意識的にこーゆーこと(↓)を心掛けることで、思考の柔軟性を確保しているのでしょう。
----------引用開始
俗世を離れた知的会話とは、まず、身近な人の名、固有名詞を引っぱり出さないことである。
共通の知人の名前が出ると、どうしても、会話はゴシップに終る。
ゴシップからはネズミ一ぴき出ない。
害あって益なしである。
つぎに、過去形の動詞でものを言わないことである。
「・・・であった」「・・・した」という語り口もとかくゴシップがかる。
「……ではなかろうか」「・・・と考えられる」といった表現を用いていれば、創造的なことが生れやすい。
それから、同業、同じ方面のことを専攻にしている人問同士が話し合うと、どうしても話題は悪く専門的になる。
話が小さくなりがちである。
便利な知識を得られるのはいいとしても、お互いに警戒的になっているときの頭からは、本当におもしろいことは飛び出してこないものである。
気心が知れていて、しかも、なるべく縁のうすいことをしている人が集まって、現実離れした話をすると、触媒作用による発見が期待できる。
セレンディピティの着想も可能になる。
なによりも、生き生きとして、躍動的な思考ができて、たのしい。
時のたつのを忘れて語り合うというのは、多くこういう仲間においてである。
たくまずして、話ははじめから脱線している。
脱線は脱線を誘発して、はじめはまったく予期しなかったところへ展開して行く。
調子に乗ってしゃべっていると、自分でもびっくりするようなことが口をついて出てくる。
やはり声は考える力をもっている。
われわれは頭だけで考えるのではなく、しゃべって、しゃべりながら、声にも考えさせるようにしなくてはならない。
---『思考の整理学』 外山滋比古著(1983) ちくま文庫 より
----------引用終了
実際、彼は分野も違う旧友たちと「三人会」という機会を持って、時のたつのを忘れて語り合っていたのだそう。
「名著」はそれを読む人の年齢とともに、何度読んでもヒントを与えてくれる---そーゆーものなんんでしょうね。
この本、スタッキング・シェルフに置いてあります。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ(↓)。じゃがいもをいただきました。ありがとうございます。
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8月26日、いつもは聞いていない時間帯のFM番組「ニコラジパーク」を耳にしました。
番組パーソナリティは、【ゆーはむ(葉邑ゆう)、AIりんな、エッティー(木の妖精)】。
【ゆーはむ】はバーチャル・ユーチューバーで、【AIりんな】はマイクロソフトのAIの愛称。
以前はこの一人+AIで番組を構成していました。
しかし、【AIりんな】は空気を読めない発言をするし、同音異義語の文脈における意味、また語句の持つニュアンスが理解不能らしく、【ゆーはむ】ちゃんが番組進行で苦戦していました(で、今は【エッティー(木の妖精)】が加わったのでしょう、たぶん)。
現段階でのAIの限界を知るには、わかりやすい事例(番組)です。
で、
以前、新井紀子さんと池上彰さんの対談で、新井さんがこーゆーふーに指摘していることを思い出しました(↓)。
ai

現段階ではAIの得意分野と苦手分野がハッキリしている。
上記の「好き」の違いを我々人間は理解できるのに、AIサマには、まだまだらしい。
そーいえば、
新井さんがリーダーを務めている「東ロボくん」プロジェクトは、2021年「東大合格」を果たすことができるのでしょうか?
そのためには、「文章の読解力」を高める必要があるものの、それも結局、時間の問題なのでしょうか?(シンギュラリティ!)

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ・1(↓)。三日坊主めくりカレンダー。「唆される(嗾される)」o(^-^)。
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上のように言っちゃう人、いそうです。
オ・マ・ケ・2(↓)。昨日18:30頃のYahoo!JAPANのポータルサイト。「首相」「総裁選」が独占!?
jinin


書店の新書コーナーで目に入った本(↓)、
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あら、著者はフジ系「ホンマでっか!TV」でもおなじみo(^-^)の池田清彦先生。
「オレはもう、先が短いからさぁ、なんでも思ったこと言っちゃうんだよぉ~」と、公言している池田先生の口語調で書かれているこの本、あっという間に読了できます。
で、
このコロナ禍で露わになったニッポンの制度疲労(社会システムの機能不全)やニッポン人のヘンなところ等を、メッタ斬りしています。
例えば、
----------引用開始(強調BLOG主)
2月中旬に37.5度以上の発熱が4日以上続けば医療機関で検査・受診できるという「発熱4日間ルール」を打ち出したんだけど、4日間の自宅待機中に悪化して亡くなる人が出てきてしまったので、世の中がこのルールはおかしいという雰囲気になった。
しかし、最初にそう決めてしまったので、4月終わりまでこの検査要件の間違いを変更しようとせず、国会でも厚労相の加藤勝信が「誤解があった」なんて言ってごまかすわけだよ。
政府が新型コロナを「指定感染症」にした件も同じだ。
流行し始めたときに慌ててそうしてしまったんだけれど、これに指定されると無症状の人も軽症の人もすべて指定医療機関への入院隔離措置になるので、ものすごく現場への負荷がかかる。
さらに流行が広がればキャパオーバーとなって医療崩壊を招きかねない。
しかし、政府がそう決めてしまったために、無症状の人に家に帰っていいですよとは法律的に言えなくなってしまった。
最初に間違った決定をしたばかりか、その決定を柔軟に変更していくシステムがないので、医療現場が振り回されて疲弊していったわけだ。
こういう場合、もっと現場に裁量をもたせたほうがうまくいくけれど、現場も自分で判断できないことは必ず上にお伺いを立てる。
すぐ上が判断できなかったらさらに上にお伺いを立て、そうやって最後に何をするのかというと、法律的に合っているかどうかを調べて、法的な問題をクリアできたらやっと下まで降りてくる。
ものすごく時間がかかるんだよ。
なんで現場の裁量に任せないのかっていうと、結局は誰も責任を取りたくないからだ。
上の言うことを聞かずに現場の判断でやらせると、失敗した場合に自分の責任になる。
責任回避のシステムでもあるわけだ。
こういうシステムだと、救急医療の現場で悲劇的なことが起こりかねない。
---『自粛バカ』 池田清彦著(2020)  宝島社新書 より
----------引用終了
日本はすべて責任回避システムと前例主義で回っている---ということは、「前例」のない今回のコロナ禍では、それとは別の手だてが必要なんだけど、それでもし失敗したら・・・・と思うと、誰も責任をとりたくないので、弥縫策でごまかすしかないのかね('A`)。
今回指摘している「リスクゼロ思考」の問題点についても、ニッポン人のそーゆー感性のオカシサを次のように指摘しています。
----------引用開始(強調BLOG主)
全国一斉休校を安倍晋三が言い出したとき、私はツイッターに一斉休校なんてしないほうがいいと書いたんだけど、「学校に行って子どもが感染したらどうするんだ」「お前に責任取れるのか」というリプライがたくさん来た。
感染したとしても子どもはほとんど重症化しないからどうってことはないと書くと、「人の命をなんだと思っているんだ」とさらにゴチャゴチャ言ってくる。
当時、栃木県茂木町の町長は、「児童生徒の精神衛生上、学校で過ごすことが最適」と町内5小中学校の授業を春休み前まで通常通り行うことを決めたけれど、この合理的な判断もかなりのバッシングを受けた。
日本人は物事を一回決めると、なんの役に立たないことであっても全員に守らせようとするんだよね。
そこにはゼロリスクヘの「信仰」のようなものがあると思う。
教育によるものなのか別の理由なのかはよくわからないけれど、日本人には「リスクをゼロにしたい」「すべての危険性を排除したい」と主張する人たちを抑えられないおかしな感性がある。
リスクはなるべく減らしたほうがいいし、最悪の事態を想定することは必要かもしれないけれど、リスクというのは絶対にゼロにはならない。
ゼロリスクを求めると、無限大の努力を強いられることになり、国民生活も経済も疲弊し、何もできなくなってしまう可能性が高い。
適当なところで折り合いをつけて、リスクと共存する必要がある。
しかし、日本人は政府に外出を控えてくれとお願いされると、9割の人がいきなり外に出なくなり、強権的な措置を可能にする法改正まで望んでいる。
ゼロリスクという安心のために、多くの人が権力の言いなりになっているわけだ。
こっちのほうがはるかにハイリスクだと思うけどね。
前掲書より
----------引用終了
終わりのほうで、ちゃんと処方箋についても触れています(実現可能かどうかは置いておいて)。
『自粛バカ』は例の書棚にあります(_ _)。

あっ、そーそー、「帯」で養老孟司氏、推薦!---とあるのは、たぶん、ふたりとも「虫仲間」だからじゃないかなぁ?

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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チョコブラウニーをquarter cutで提供する際に丁度いい大きさのお皿があって(↓)、
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周辺に描かれている図柄が、なんとなく「中近東(西アジア的)」っぽい(ただ、これまでこのお皿でお客様に提供したことはありません(_ _))。
アップ(↓)。
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それもそのはず、ノリタケ製ではあるものの、裏面には(↓)、
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「テヘラン ヒルトン(TEHRAN HILTON)」の文字。
あたしゃ、イランに行ったことはなく、ヒルトンホテルにも泊まったことがない('A`)。
どーゆー経緯で今、手許にあるのか?
たぶん、愛知県瀬戸市の「せともの祭」か、岐阜県多治見市の「たじみ茶碗まつり」で、【掘り出し物】的なところがあって、そこで入手したものと思われます(記憶にない)。
因みに今年は、瀬戸市でも多治見市でも「せともの祭」「茶碗まつり」が中止( ^.^)( -.-)( _ _)です。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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先週土曜日(8/22)のNHK「たけしのその時カメラは回っていた」を録画しておいたので、昨日みました。
この日の番組テーマは「驚き! 日本の戦争プロパガンダ」。
バラエティ番組で「戦争」にまつわる内容を取り扱おうと思うと、絶妙なスタンスの取り方が求められます。
今回は、当時、映画館で映画上映時の「日本ニュース」の映像をネタにして、その「オカシナところ・ヘンな表現・映像に込められた編集者の意図」等々を問題形式で出題(そもそも、映像そのものが、陸軍省・海軍省検閲済みというフィルターを通っています。そこでは不都合な事実を隠蔽する「体質」ともいうべき、この国のいやぁ~な側面が丸わかり)。
でもって、
見終えて、今読んでいる内田樹さんの『サル化する世界』の一文が頭に浮かぶのでした。

----------引用開始

どんな国のどんな政府も必ず失策を犯します。
「無謬の統治者」というようなものはこの世には存在しません。
あらゆる統治者は必ずどこかで失策を犯す。
そのときに、自分の間違いいや失敗を認めず、他罰的な言い訳をして、責任を回避する人間たちが指導する国と、統治者はしばしば失敗するということを織り込み済みで、そこから復元するシステムを持っている国では、どちらが長期的にはリスクを回避できるか。
考えるまでもありません。
もちろん、ソ連や中国にも優れた政治指導者がいました。
個人的に見れば、アメリカの大統領よりはるかに知性的にも倫理的にも卓越していた指導者がいた。
でも、まさにそうであるがゆえに、体制そのものが「指導者が無謬であることを前提にして」制度設計されてしまった。
それがじわじわとこれらの国の国力を損ない、指導者たちを腐敗させていった。
中国だつて、今は勢いがありますけれど、指導部が「無謬」であるという物語を手離さない限り、早晩ソ連の轍を踏むことになるだろうと僕は思います。
ヨーロッパでは、イギリスにはいくらか白国の統治者たちを冷笑する、皮肉な文化が残っています。
カナダにも。
だから、これはアングロサクソンの一つの特性かもしれません。
アメリカの国力を支えているのは、自国について「タフな物語」を持っているという事実です。
---『サル化する世界』 内田樹著(2020) (株)文藝春秋刊

----------引用終了

文中の「タフな物語」とは、
自分たちの国には恥ずべき過去がある。口にできない蛮行もあった。でも、そういったことを含めて、今この国があるという、自国についての奥行きのある、厚みのある物語---であると、説明されています。
アメリカ人には、自分たちの祖先がネイティブ・アメリカンの土地を強奪したこと、奴隷たちを収奪することによって産業の基礎を築いたこと等、そのような恥ずべき過去を受け入れるという「器量の大きさ」において、世界を圧倒している---と指摘し、ハリウッド映画における「大統領が犯人の映画」や「CIA長官の悪行」等、いかにアメリカの権力者たちが邪悪な存在であるかを、繰り返し繰り返し国民に向けてアナウンスし続けている。

世界広しといえども、こんなことができる国はアメリカだけです---と。

日本でそーゆーふーな映画が可能だろうかと考えてみれば、わかることです。
この国には、都合の悪いことは隠蔽する(でも、完璧にはできていないので、時々露呈する。そして、否定し続ける。徹底的に追求することもなく、時間の経過とともに忘却・・・・( ^.^)( -.-)( _ _)。)---そりゃぁ、昔っからの伝統なのか('A`)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ・1(↓)。三日坊主めくりカレンダー。こりゃ、マズイでしょo(^-^)。
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オ・マ・ケ・2(↓)。昨日の「半沢直樹」の放送を受けての、書き込みo(^-^)。
kurosaki


お昼の時点で入道雲がどんどんと発達中だったので、午後は「来るかな!」と思っていたら、14:25頃、雷雨よりも早く、いきなり「バシッ!」っと停電( ^.^)( -.-)( _ _)。

このとき、店内にはお客様、ゼロ('A`)。

慌てて、階下の配電盤のある場所へ。
家のブレーカーは落ちておらず、アチコチ点検していたら、ものの1分も経たずに回復。
「ふぅ~、良かった。」
次は、停電とともに停止していた電気機器を、ひとつずつ点検です。
最初に行ったのは、エアコンのスイッチオン。
無事、作動。
次は給湯器の電源、オン。無事、作動。
あとは電気で動いている時計の時刻合わせ等々。
雷雨が収まってきたので、こちらのPCの電源をオン。
無事だったみたいです(_ _)。

それにしても、雹(ひょう)は降るわ、気温が10℃以上低下するわ、篠突く雨で駐車場には茶色い流路ができるわ・・・・、通り去った今から思えば、こーゆー「いきなり」感は久しぶりでした。
そーゆーふーに思えるのも、被害がなかったから(_ _)。ただただ、無事だったことに感謝するのみ。

オ・マ・ケ(↓)。餃子の通販Webをみていたら、計算的にどうもヘン!なのを発見o(^-^)。
otoku.
これだったら、【3個セット】なんて買いませんゼ。


「信州を愛する大人の情報誌 KURA」の2020年9月号(↓)。
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「雑誌冬の時代」と言われて久しく、この状況は広告収入へも直撃していることでしょう。
「KURA」最新月号(全98ページ)で広告は、以下のみ(↓)。
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表紙をめくって一番最初に目にするページでは、なんと、「長野県」が見開き2ページで、【コロナ対策】の啓発をしています。
広報的な誌面ですが、これにもちゃんと広告料をいただいていることでしょう。
さらに1ページめくると(↓)、
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【木曽の手仕事市】広告。但し、このイベントに関しては、巻末の「KURA+plus」という情報ページでも丸々1ページ使って紹介しています。ということは、記事と広告料とのバーターかい!?
裏表紙は(↓)、
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長野県を代表する建設会社、北野建設。そしてその裏側(最終ページ)は(↓)、
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アトリエDEFのカラーページ。
こうしてみると、純粋な広告の少ない雑誌であることがわかります。
とは言え、「暮しの手帖」的なスタンスとは180度違っており、1冊丸々誌面が、広告・広報誌と思えなくもない(二重否定)。
良くとると、そう、「信州」のために広告・広報している雑誌。
だったら、一冊815円(税込み)という阿漕な価格設定などせず、フリーペーパー的に「無料」とすればいいのに、と思うのでした。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。入道雲、発達中。
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今日のストームグラス(↓)。
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