TBS系ドラマ「ドラゴン桜2」。
学園もの+大学入試もテーマのひとつ+私学経営をめぐる攻防 → それらをエンターテイメントにして視聴者を引っ張っていく演出、面白うございました。
ストーリーの流れに沿って、実際に東大で出題された問題が提示され、それらを解くためのポイントや思考を開陳するくだりは、「ふむふむ、なるほど!」と感心させられました。
で、
先日、新書コーナーで『夢中になる東大世界史 15の良問に学ぶ世界の成り立ち』 福村国春著(2021) 光文社新書---という本が目に入ったので、購入。
著者は自身で立ち上げた【歴史専門の大学受験塾】で指導をされている方なんだそう(そーゆー塾が成立していること自体が、流石は東京ですゼ)。
帯には「近現代を見通す、受験生にも社会人にも有用な世界史入門」とあり、東大世界史入試問題15問を切り口に、現代の国家の成り立ちと歩みを俯瞰しながら学べる構成になっています。
そんな15問の中から、著者をして、
この問題は40年ほど前の問題であるけれども、問題の質としては、現在出題されたとしても、第一級品であるといえよう。
という問題を、以下引用します(長いですぜ)。
----------引用開始
『夢中になる東大世界史 15の良問に学ぶ世界の成り立ち』 福村国春著(2021) 光文社新書 より
-----------引用終了
著者の受験塾では、問題を解いていくために【構成メモ】を下書きとして作成するよう、指導しています。
その指導=解説を読んでいると、出題者の意図を論理的に読み取って制限字数内に表現する(=原因と意義とについて、自分の考えをまとめる)ことというのは、こーゆーふーにすることなのだな、と目から鱗の連続でした。
教科書には登場していないであろう、当時のバクーやメッカの様子も、生き生きとして立ち現れてくるのです。
そこまで思いが至るかどうか、試されている受験生の真の実力を測る良問だったのでしょうね。
(今日のブログの最後に著者による【模範解答】あります。)
あっ、「ドラゴン桜2」全10話には、けっこう刺さる言葉がアチコチにちりばめられていました。
主人公・桜木(阿部寛)が龍海学園に着任し、体育館で全校生徒の前で一席ぶったこの台詞(↓)。
学園もの+大学入試もテーマのひとつ+私学経営をめぐる攻防 → それらをエンターテイメントにして視聴者を引っ張っていく演出、面白うございました。
ストーリーの流れに沿って、実際に東大で出題された問題が提示され、それらを解くためのポイントや思考を開陳するくだりは、「ふむふむ、なるほど!」と感心させられました。
で、
先日、新書コーナーで『夢中になる東大世界史 15の良問に学ぶ世界の成り立ち』 福村国春著(2021) 光文社新書---という本が目に入ったので、購入。
著者は自身で立ち上げた【歴史専門の大学受験塾】で指導をされている方なんだそう(そーゆー塾が成立していること自体が、流石は東京ですゼ)。
帯には「近現代を見通す、受験生にも社会人にも有用な世界史入門」とあり、東大世界史入試問題15問を切り口に、現代の国家の成り立ちと歩みを俯瞰しながら学べる構成になっています。
そんな15問の中から、著者をして、
この問題は40年ほど前の問題であるけれども、問題の質としては、現在出題されたとしても、第一級品であるといえよう。
という問題を、以下引用します(長いですぜ)。
----------引用開始
問題(1982年)
下記の文章(A)~(F)は、帝国主義の時代に、アジア・アフリカの民族運動が成長していくとき、植民地化されたアジア・アフリカの諸地域の民衆が、指導者だけでなく国際的な移動や交流をすでに盛んにおこなっていたということを示している。
しかも、その移動や交流には、この時代独特の姿を見ることができる。
そのような移動や交流が地域を越えて大規模におこったことの原因と意義とについて、自分の考えをまとめ、600字以内で述べよ。
解答は答案用紙の(イ)の欄に記入せよ。
(A)兄を頼ってハワイに渡りホノルルの高校で学んだ孫文は、香港などで医学を修め、ポルトガル領マカオで開業したが、やがてそこを追われた。
日清戦争直後、華僑の援助を得て広州に挙兵したが失敗し、アメリカ、ヨーロッパを経て日本に亡命した。その頃これら各地には中国人の社会ができていた。
中国革命同盟会の基本思想となる三民主義は、孫文のこのような遍歴の中で構想された。
(B)イギリスに留学して法律を学び弁護士となったガンディーは、1893年から20年間も南アフリカにあって、その地のインド人の地位向上のために活動した。
彼の非暴力抵抗の思想の原型はこの活動の中でうみ出された。
彼が帰国するのは第1次世界大戦の開始後であるが、この戦争では150万人ものインド人兵士が西部戦線にかり出された。
(C)少年時代から独立運動に身を投じたホー・チミンは、官憲の追跡を逃れて、船員となってヴエトナムを脱出した。
ヨーロツパに渡った彼はフランス社会党員となり、1920年フランス共産党が成立するとただちにこれに加入、モスクワを経て中国に入り、中国革命に参加した。
この間、在外ヴェトナム人の組織化をすすめ、被圧追民族解放同盟を結成するなどして、国際体験を深めた。
(D)カスピ海に面するアゼルバイジャンの都市バクーは、19世紀初めロシアの支配下にあったが、そこで産油される石油のため、20世紀初めには多数の東洋人労働者を集める国際色豊かな町となった。
1906年のイラン立憲革命でも、またレザー・シャーのパフレヴィー朝創始に先立つ北部イランの革命運動でも、バクー在住のイラン人の役割は大きかった。
(E)20世紀初めのアフリカでは、各地でキリスト教の独立教会をつくろうとする黒人たちの動きが、植民地当局に対する反抗運動へと発展していた。
これらと手を結ぼうとしたジャマイカ出身のマーカス・力ーヴエイは、アメリカの黒人に向かっては、アフリカに帰って黒人のアフリカをつくろうと呼びかけた。
アフリカ、西インド諸島、アメリカ含衆国から代表が集まった第1回パン・アフリカ会議(1919年、パリ)は、アフリカ人の政治的独立をめざす決議をおこなった。
(F)スエズ運河開通後、紅海経由の定期航路が開設されると、東南アジアのイスラム教徒たちはそれまでよりも早く、かつ安く聖地への巡礼に行くことができるようになった。メッカには数年にわたって滞留するジャワ・スマトラ・マレー半島などの出身者の集団が出現し、本国と連絡を取りつつ、ヨーロッパの支配に反抗するイスラム教徒のジ八ード(聖戦)のための連帯を呼びかけた。
19世紀末から20世紀初めにかけてのインドネシア各地でおこった反植民地闘争には、巡礼から帰った宗教指導者たちが深い関わりを持っていた。
『夢中になる東大世界史 15の良問に学ぶ世界の成り立ち』 福村国春著(2021) 光文社新書 より
-----------引用終了
著者の受験塾では、問題を解いていくために【構成メモ】を下書きとして作成するよう、指導しています。
その指導=解説を読んでいると、出題者の意図を論理的に読み取って制限字数内に表現する(=原因と意義とについて、自分の考えをまとめる)ことというのは、こーゆーふーにすることなのだな、と目から鱗の連続でした。
教科書には登場していないであろう、当時のバクーやメッカの様子も、生き生きとして立ち現れてくるのです。
そこまで思いが至るかどうか、試されている受験生の真の実力を測る良問だったのでしょうね。
(今日のブログの最後に著者による【模範解答】あります。)
あっ、「ドラゴン桜2」全10話には、けっこう刺さる言葉がアチコチにちりばめられていました。
主人公・桜木(阿部寛)が龍海学園に着任し、体育館で全校生徒の前で一席ぶったこの台詞(↓)。
「勉強も学校生活もみんな中途半端。やれスマホだ、ゲームだ、毎日ボケ―とした日々を送ってやがる。バーカばっかりだ」
「無関心、無気力、甘ったれ、根性無し。そんなおまえらがこのまま何となく世の中に出てみろ。あっという間に薄汚い社会の渦に飲み込まれ、知らず知らずに搾取され、だまされ、カモにされ、こき使われる。一生社会の奴隷となってもがき続け死んでいくんだ!」
「そうならないために一番手っ取り早い方法がある。東大に入ることだ!」
一切忖度なし、ド直球の物言いでした。
他にも、何度か桜木の口から出ていた言葉に、
「お前の人生だ、自分で決めろ。」
がありました。
東大専科7人のうち、落ちてしまった2人のうちのひとり早瀬(南沙良)に対して、最終回で桜木がかけた言葉は
「何を謝る必要がある。おまえは自分で調べて行動した。自分の人生を人任せにせず、真剣に選んで決めた道だ。堂々と胸張れ!」
というもので、彼のスタンスは終始一貫しています(早瀬は共通テストの点数で合否が判明する青学の経営学部に合格していた設定)。
教員採用試験の受験者数が減少傾向にある中、切り口の違う学園ドラマによって志ある教員志願者が増えるとは思えませんが、次世代の子どもたちが良質な教育を受けられるよう、切に願っています(_ _)。
---
今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
今日のストームグラス(↓)。
オ・マ・ケ(上記の世界史問題の模範解答・例)
「無関心、無気力、甘ったれ、根性無し。そんなおまえらがこのまま何となく世の中に出てみろ。あっという間に薄汚い社会の渦に飲み込まれ、知らず知らずに搾取され、だまされ、カモにされ、こき使われる。一生社会の奴隷となってもがき続け死んでいくんだ!」
「そうならないために一番手っ取り早い方法がある。東大に入ることだ!」
一切忖度なし、ド直球の物言いでした。
他にも、何度か桜木の口から出ていた言葉に、
「お前の人生だ、自分で決めろ。」
がありました。
東大専科7人のうち、落ちてしまった2人のうちのひとり早瀬(南沙良)に対して、最終回で桜木がかけた言葉は
「何を謝る必要がある。おまえは自分で調べて行動した。自分の人生を人任せにせず、真剣に選んで決めた道だ。堂々と胸張れ!」
というもので、彼のスタンスは終始一貫しています(早瀬は共通テストの点数で合否が判明する青学の経営学部に合格していた設定)。
教員採用試験の受験者数が減少傾向にある中、切り口の違う学園ドラマによって志ある教員志願者が増えるとは思えませんが、次世代の子どもたちが良質な教育を受けられるよう、切に願っています(_ _)。
---
今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
今日のストームグラス(↓)。
オ・マ・ケ(上記の世界史問題の模範解答・例)
帝国主義時代、交通革命による移動手段の発達は人々の移動を活発にした。
従属地域から先進国、あるいは先進国の支配する地域への移動において、一つの目的は就業であった。
先進国の侵略のもと、生活基盤を破壊された従属地域の貧困層は労働を求めて活発に移動していった。
先進国でも、奴隷制の廃止を受けて奴隷に代わる労働力を必要としており、低賃金で働く労働者を好んで受け入れた。
もう一つの目的は留学であった。
先進国と従属地域の間には教育格差があり、従属地域の知識人たちは欧米の進んだ学問を求めて移動し、最新の思想や技術を吸収していった。
また、亡命を目的とした移動も行われ、独立運動に失敗した指導者たちは先進国に逃れることもあった。
指導者たちが移動した先には、既に移動を行っていた移民たちの社会があり、現地では同国人に対する差別を目の当たりにすることになった。
ガンディーやホー・チミンは自国の後進性を痛感し、現地で同国人の地位向上のために活動したり、革命の支援にあたったりした。
また、孫文は現地の華僑から資金援助を受け、革命を準備した。
こうした国際体験のなかで、指導者たちは独立や革命の思想を形成していった。
国際色豊かになった地に集った移民たちも、自国の惨状を共有し、同じ人種、民族、宗教など、様々な形で連帯した。
国際体験を積んだ民衆は、本国への帰還を呼びかけ、独立運動や革命、反植民地闘争に大きな役割を果たしていった。(599字)