以前このブログでも触れた『地形図でたどる長野県の100年』 長野県地理学会編(2020年) 信濃毎日新聞社刊---の中で、いちばん私が吃驚((゚ω゚))だったのが、今日のタイトルの4ページでした。
そこには上田盆地に信越本線以外の私鉄5路線71駅が張り巡らされていた図があったのです(↓)。
そこには上田盆地に信越本線以外の私鉄5路線71駅が張り巡らされていた図があったのです(↓)。
上田の中心市街地を核に、北方の旧・真田町へ、東方の旧・丸子町へ、西方の青木村へ、南方の別所温泉へと、上田盆地・塩田平を私鉄が網羅している!
終戦当時、約4万人程度の地方都市でここまで充実していたところは、そうそう見当たらないでしょう。
これだけのインフラを充実させていたということは、それだけ「豊か」な地域だったコトに間違いはなく、「蚕都」として資本の集積があったものと思われます(第十九国立銀行も上田市に設立されていましたから)。
それとやはり、当時、鉄道院にいた五島慶太(青木村出身)の存在も大きかったと思うなぁ。
あと、「蚕都」としての人材育成もしています。
1892(明治25)年、小県蚕業学校設立(現・上田東高校)
1910(明治43)年、上田蚕糸専門学校設立(現・信州大学繊維学部)
先達の方々の努力がしのばれます。
しかし戦後、モータリゼーションの進展によって、現在は「別所線」しか残っていません(廃線マニアの人にとっては、お楽しみがアチコチに眠っている、そーゆー盆地なのかも・・・)。
また、高速道や新幹線、しなの鉄道の利便性向上により、長野市にストロー現象の如く「吸い取られている」ようでもあり、模索が続いている---そんな印象を受けるのでした。
あっ、
でも「真田ブランド」は健在なり!でしょう。これは他には真似できない絶対的な資産ですから。
---
今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
今日のストームグラス(↓)。
オ・マ・ケ(↓)。昨日18:29撮影。ピンク色に染まる南アルプス荒川岳(左)と赤石岳(右)。
終戦当時、約4万人程度の地方都市でここまで充実していたところは、そうそう見当たらないでしょう。
これだけのインフラを充実させていたということは、それだけ「豊か」な地域だったコトに間違いはなく、「蚕都」として資本の集積があったものと思われます(第十九国立銀行も上田市に設立されていましたから)。
それとやはり、当時、鉄道院にいた五島慶太(青木村出身)の存在も大きかったと思うなぁ。
あと、「蚕都」としての人材育成もしています。
1892(明治25)年、小県蚕業学校設立(現・上田東高校)
1910(明治43)年、上田蚕糸専門学校設立(現・信州大学繊維学部)
先達の方々の努力がしのばれます。
しかし戦後、モータリゼーションの進展によって、現在は「別所線」しか残っていません(廃線マニアの人にとっては、お楽しみがアチコチに眠っている、そーゆー盆地なのかも・・・)。
また、高速道や新幹線、しなの鉄道の利便性向上により、長野市にストロー現象の如く「吸い取られている」ようでもあり、模索が続いている---そんな印象を受けるのでした。
あっ、
でも「真田ブランド」は健在なり!でしょう。これは他には真似できない絶対的な資産ですから。
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
今日のストームグラス(↓)。
オ・マ・ケ(↓)。昨日18:29撮影。ピンク色に染まる南アルプス荒川岳(左)と赤石岳(右)。
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