相変わらずやってくれますね、田中真紀子文相。

「手続き『民主主義』国家」ニッポンの段取りを一切無視した先週末からの言動は、彼女に分が悪いと思います。

「大学の数が多すぎ、質が低下している」

程度の理由だけでは、ね。

暇だったので、大学設置・学校法人審議会が来春の開学認可を答申していた文科省のページを見てみました。

ここ、です。

そこには、今回彼女によって不認可とされた、秋田公立美術大(秋田市)▽札幌保健医療大(札幌市)▽岡崎女子大(愛知県岡崎市)の3大学の名前と、もうひとつの大学名があります。

4つの大学の開学申請がなされ、そのうち3つが「不認可」という中、唯一認可された大学名は・・・・・・・・・、

大阪総合漫画芸術工科大学 漫画・コミックアート学部

「はぁ!?」

田中真紀子文相は、この大学はOKということらしい。

「まぁそのぉ、クールジャパンを担ってもらう意味ではねぇ、よっしゃよっしゃ・・・・。」とでも仰ったのでしょうか(これじゃあ、真紀子パパじゃん)。


じゃあ、どれくらいの大学数だったら「適正規模」なのか?

旧制大学をwikiせんせいで「帝国大学令」「大学令」でチェック。

いろいろなことが見えてきます。

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帝国大学令

帝国大学令の施行により、大学令(1918)による公立私立大学の設立までは、学位を授与できる機関は帝国大学のみに限られた。

1886年
*帝国大学(後に東京帝国大学と名称を変更・東京大学
1896年
*京都帝国大学(京都大学
1907年
*東北帝国大学(東北大学
1911年
*九州帝国大学(九州大学
1918年
*北海道帝国大学(北海道大学
1924年
京城帝国大学(ソウル大学校)
1928年
台北帝国大学(台湾大学)
1931年
*大阪帝国大学(大阪大学
1939年
*名古屋帝国大学(名古屋大学) 

→以上、旧帝国大学(卒業生は学士会館が利用できますね(^_^))。

大学令

1918年(大正7年)に公布され、1919年(大正8年)4月1日に施行。

これまでの旧制専門学校が公立私立の旧制大学へと移行します。

1919年
府立大阪医科大学(最初の旧制公立大学、1931年官立移管し、大阪帝国大学へ昇格)

1920年
慶應義塾大学△◇
早稲田大学
東京商科大学*☆(1944年東京産業大学に改称、1947年に復称を経て現・一橋大学
日本大学
法政大学
明治大学
中央大学
國學院大學
同志社大学★●
県立愛知医科大学(1931年名古屋医科大学として官立移管の後、名古屋帝国大学に昇格)

1921年
京都府立医科大学
東京慈恵会医科大学

1922年
新潟医科大学* (現・新潟大学医学部)
岡山医科大学* (現・岡山大学医学部)
旅順工科大学(終戦時廃校)
満洲医科大学(現・中国医科大学)
県立熊本医科大学*(1929年官立移管を経て現・熊本大学医学部*)
専修大学
立教大学★□
大谷大学
龍谷大学
東洋協会大学(現・拓殖大学、戦後一時期「紅陵大学」に改称)
立命館大学
関西大学

1923年
千葉医科大学* (現・千葉大学医学部)
金沢医科大学* (現・金沢大学医学部)
長崎医科大学* (現・長崎大学医学部)

1924年
立正大学

1925年
駒澤大学■▼
東京農業大学

1926年
日本医科大学
大正大学
高野山大学

1928年
大阪商科大学☆(現・大阪市立大学経済・商学部)
東洋大学
上智大学★△

1929年
東京工業大学
大阪工業大学(1933年大阪帝国大学に吸収合併)
神戸商業大学*☆(神戸経済大学を経て現・神戸大学法・経済・経営学部)
東京文理科大学◎(東京教育大学を経て現・筑波大学
広島文理科大学◎(現・広島大学

1932年
関西学院大学★●

1939年
藤原工業大学(1944年慶應義塾大学に統合→現・理工学部)
東亜同文書院大学(終戦時廃校)→戦後、愛知大学に血脈が続く

1940年
神宮皇學館大学○(文部省所管の官立大学で終戦直後に廃校となった後、私立の皇學館大学として再興)

1942年
興亜工業大学(現・千葉工業大学

1943年
大阪理工科大学(現・近畿大学

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戦後の学制改革以前は、帝国大学令・大学令によって「大学」と名乗っていたのは官立・私立あわせて、これだけだったんですね。

いろいろな印を付けてみました。

△:早慶上智

□:MARCH

▼:日東駒専

●:関関同立

○:神道系大学

■:仏教系大学

★:ミッション系大学

☆:3商大

◎:2文理科大(高等師範学校)

◇:旧制私立医科大学(御三家)

*:旧六医科大学(略称:旧六)

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河合塾が説明会の時によく「括る」グループ。

*:難関10大学=旧帝大(北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州)、一橋、東京工業、神戸

→通称「旧帝一工神」

私立大主要21大学=早稲田・慶應義塾・上智・○東京理科・明治・○青山学院・立教・中央・法政・日本・東洋・駒澤・専修・関西・関西学院・同志社・立命館・○京都産業・近畿・○甲南・龍谷大
(○は旧制大学にはならなかったところ)

→通称「早慶上理」「MARCH」「日東駒専」「関関同立」「産近甲龍」

括ってどういう説明をするのかというと、

イメージ 1

















国公立大志願者数はここ数年増え、景気低迷を背景に安定した人気を保っています(’2009 25万人→ 2010 26.1万人→ 2011 26.8万人)。

特に旧帝大を中心とした難関10大学の人気は安定しています。

こういう志願者比率になるのですね。

旧帝一工神10校を志願する受験生、6万人

その他の国公立大学162校を志願する受験生20.8万人


私立大学に関しては「上位寡占状態」がもっと凄くて、

イメージ 2












私立大志願者は主要21大学に人気が集中する傾向が続いています。

志願者数が主要21大学≒その他大学(500校以上)でほぼ同数になっているのです。


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確かに旧帝一工神と私立主要21大学は規模が大きい大学ばかりなので、「数字的に」そのような結果になっています。

でも結局のところ、「戦前」にできた旧制大学志向が世代を超えて受け継がれてきていると言えそうです。

ただ、戦前は「複線型」の学校制度だったので、優秀な受験生が必ず帝大に行ったわけではありません(そう、陸軍士官学校や海軍兵学校を経て、陸軍大学校、海軍大学校という「こっち系」のエリートもいました。「こっち系」は学費が必要ないため、貧しさの中からの「出世ルート」のひとつでした)。

他にも地方には「高等商業学校」や「医科専門学校」や「師範学校」等があったので、それらをひっくるめて「新制大学」にしてしまいました。

ですから、学部単位でその大学のルーツを調べてみることをお薦めします(wikiせんせいで十分です)。

戦後にできた大学でも、規模は小さいけれど建学の精神やカリキュラムがしっかりしていて高く評価されているICUという例もありますし、近年では国際教養大学のような「地方にあるけれど世界が舞台」的な理念の大学もあります。

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戦前の「複線型」の学校制度から見えてくるのは、なんでも「大学」を名乗る必要はないということです。

実際、「大学」と名乗らずとも実質的な教育カリキュラムを敷いていたところも多かったわけですし。

ただ戦後の学制改革ですべてを「大学」としてしまったから、大宅壮一が「駅弁大学」という表現をしたのです(「大学院重点化」を進めた大学は本来の意味での、(戦前から続く)大学の意義を志向していると言えます)。

ですから、大学の中身をちゃんと吟味してから、進学しましょう(こんな結論でいいのか?)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 3