世界史との対話〈上〉〈中〉〈下〉―70時間の歴史批評』 小川幸司著(2011~12)地歴社

をご本人から寄贈していただきました。

当店の貧相な本棚にとって、ありがたいことでございます。

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いまのところは〈上〉巻のみ、拝読いたしました。

著者の博覧強記ともいえる知識量に圧倒されます。

が、それはあくまで「入口」であって、世界史を学ぶことを通して「知識ではなく『考え方』を学ぶ」ことが全講で通底している点に、著者の思いを感じました。

私は同時進行的に複数の書物を読み散らかしています。

『武器としての交渉思考』瀧本哲史著(2012)でも、同様のことをメッセージにしていたため、ちょっと驚きました。

-----------------以下引用

漠然と知識を積み重ねるのではなく、その知識を判断、行動に結びつけたり、それをもとに横断的・俯瞰的にものごとを捉えることができるような人間になってほしいと思っています。

そうすれば、自分の人生を自分のカで切り開いていくことができるようになるでしょう。

知識ではなく考え方を学ぶ」というのは、言い換えると、「答えではなく、答えを出す方法を学ぶ」とも言えます。

ビジネスにも人生にも、「正解」なんてものはありません。

自分の力でひとつずつ答えを出していかないといけない。

でもこれまでは、ビジネスにしろ人生にしろ、なんとなくモデルがあって、一生懸命それを真似して、みんなに合わせていれば特に問題はありませんでした。

要は、正解(みたいなもの)があったのです。

100点満点のテストで100点を目指していれば、それでよかった。

東日本大震災の際、新宿駅でタクシーの列に500人以上の人間が並んでいる光景を見て私は心底驚きましたが、自分で答えを出せるようにならないと、本当に行列に10時間並ぶだけの人生になってしまいます(それでも、これまでは辛抱していれば必ずタクシーがやってきて、乗ることができました。でもこれからの時代は、行列に並んだところで、タクシーが来ない可能性すらある……)。

-----------------引用終了

実はもう一つ、岩瀬大輔(ライフネット生命副社長)氏もコラムで同様のことを述べていました。

彼はまだ30代で、現社長の出口治明氏とライフネット生命を立ち上げた人物です。

大学生時代、司法試験を受験していた時の話。

筆記試験には合格したのに、口述試験では落とされてしまった。

自信があったのに落とされたので不満に思っていたそんなある時、司法試験の学校で口述の模擬試験の添削の手伝いをすることになります。

答案の多くは、「僕はこれだけ勉強しました」

「私はこれだけ覚えています」

のアピールばかりだったのだそうです。

つまり知識を誇っているわけ。

口述試験では「知識」以上に、「考え方」が問われるのです。知識は考え方を伝えるための道具に過ぎない。

なのに、答案の大半は、知識が9割以上で自分の考えはほとんどなし。これじゃあ合格できません。

---そんな内容でした。

閑話休題。

『世界史との対話〈上〉〈中〉〈下〉』は、ぜひとも歴史教育の現場に携わっている皆さん(教員+生徒)に手にとってほしい一冊です(特に、受験生と化す前の高校生がこれを読んだら、教科書の行間に詰まっている歴史を、自分の部屋にいながら旅することができるはずです)。

装丁も三冊並べてみると、ブリューゲルの「バベルの塔(上)」「子供の遊戯(中)」「ゴルゴダの丘への行進(下)」となっており、見た目重厚さを感じますが、これは本の内容とリンク(関連講あり)したものになっています。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。霧で何も見えません。こちらは雪ではなく、雨です(ホッとしました)。

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