昨日の南信州新聞、1面(↓)。

かねてより、内田樹氏が主張されている内容と軌を一にする「教育に市場原理は馴染まない」論。
“THE FUTURE TIMES”2013.05号 で、内田樹氏は釈徹宗・後藤正文と鼎談、「贈与とお布施とグローバル資本主義」で、同様の話を展開しています(もともと、女子大の教授でしたしね)。
-----------------以下引用
内田 「今や教育の現場にすら消費者マインドが侵入してきていますから。
当然矛盾が生じるわけです。
“賢い消費者”とはどんな人を指すかといえば、より少ない代価で価値のある商品を手に入れられる人ですよね。
これを学生に当てはめると、学校教育を受けることによって得られる学力という商品をいかに少ない学習意欲や手間で獲得できるか、が問われるようになる。
大学のある講義の単位が3分の2の出席率で保証されるとします。
すると学生はそのギリギリのミニマムなラインを狙ってくるんです。
「あと2回休んでも大丈夫。」みたいに」
後藤 「全部出席して単位を取るより、最低限の努力で同じ単位を取るほうが賢いと考えるってことですよね」
内田 「ええ、そう考える学生は少なくないですよ。
すべてに商取引関係を適用するとどうなるか?
当然ながら学力の異常な低下を招きます。
学習努力は代価ではないと、早く気づかないと」
釈 「本来は消費者モデルに対する牙城となるべき、教育、医療、福祉、宗教、芸能、アート、音楽といった分野に、消費者モデルをやすやすと介入させてしまったのが大きな問題ですよね」
内田 「これまで教育、医療、福祉の分野は非常に堅牢に守られて、簡単には市場原理が入ってきませんでした。
50年ぐらいは抵抗に抵抗を重ね、でもついに抵抗し切れなくなったのが現在です。
政治家が教育改革を言い、財界は即戦力となる人材を出せと要求し、メディアが学校はダメだと騒ぐ。
結果、日本の学術生産性は急坂を転げ落ちるように低下しました。
しかもその失敗を受けてさらなる教育改革、市場原理の導入をせよと言うのが現行政権なんですよ」
-----------------引用終了
教員が自らこの論理構成で逃げ道を作っておいて、「しょうもない」授業をしていたとしたら、それは論外です。
「君たちに、僕の授業、評価できる? IVAN言わんとすること、ちゃんと伝わってる? テクニカルなことだったら、すぐ改善できるかもしれないけど、学問への誘いは、あなた自身の学ぼうとする姿勢がなくっちゃ、伝わんないもんです。」
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今朝は冷えましたねぇ、飯田の最低気温-5.2℃、軽井沢-6.2℃。

今日のストームグラス(↓)。

お客様よりいただいた、柿(ありがとうございます)。

邸内見立て洛中洛外図・部分(↓)。

京都の台所、錦小路 → 二色の「麹」(赤と青)
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