自殺に関心があります。

自殺の「やり方」ではなくて、自殺をとりまく社会的要因等に関して、です。

前者だったら(一部で名作の誉れ高い\(◎o◎)/!)『完全自殺マニュアル』 鶴見済著(1993) 太田出版--があるので、それを見ればいいでしょう(最新の状況を反映させた「改訂版」って出ないんだろうか? たぶん、ムリでしょうねぇ。出版されたあのころでもブツギをかもした本だし、当時と今とでは、今のほうが出版を巡る状況は悪くなってるし)。

そもそも自分は「自殺したい!」って思ったことが、これまで一度もなかったし、これからも(たぶん)ないと思う(明石家さんま師匠のように、「人生、生きてるだけで、丸儲け!」という境地までは、まだまだですが・・・・・・・。)

で、

自殺をとりまく社会的要因等に関しては、内閣府の「自殺対策白書」をみれば、そこそこ状況はわかります。

そこに書かれていることだけで、納得してしまう人もいるのでしょうが、世の中には逆転の発想で自殺要因を見る人がいます。

先日、一気に読了したこの本(↓)。

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『生き心地の良い町~この自殺率の低さには理由がある』 岡檀(おか まゆみ)著(2013) 講談社刊

久しぶりに、読み始めたら止まらない本でした。

内容が「自殺」に関しての社会学的分析本なのに、です。

サブタイトルにもあるように、著者の岡さんは「自殺率の低い自治体」に注目します。

それがどこかというと、徳島県海部町(現在は平成の大合併によって、海陽町になっていますが、フィールドワークは旧・海部町で実施)。

場所は、ここね(↓)。

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参考になるところを引用します。

-----------------以下引用

かつて日本社会の大部分を占めていたコミュニティでは、住民ひとりひとりに与えられる身分や役割はその人の資質とはかかわりなく、生まれ落ちたときからほぼ決められていた。

地主か小作か、本家か分家か、長男か次男か、その出自によって、残りの人生すべての見通しがついてしまうという時代があったのである。

社会人類学者である蒲生正男は、こうしたコミュニティを、「状況不変のイデオロギー」に支配された社会であると指摘している。

状況不変のイデオロギーに支配されたコミュニティにおいても、人間観察は当然行われていたであろう。

しかし少なくともその観察は、地域のリーダーを選ぶために用いられる観察とは違う。

ここでは、リーダーを決める条件は本人の資質よりもまず出自だからである。

ところが、状況可変のコミュニティである海部町--誰をリーダーとして担ぐかを自分たち自身で決めなければいけなかった海部町では、真剣さの度合いが違う。

そうこうするうちに、他者を観察し評価する感性や眼力が研ぎ僚まされていったのではないか、と思えてくるのである。

住民を対象としたアンケート結果を見ても、海部町は他の地域に比べ、リーダーを選ぶ際の条件として、年齢や職業上の地位よりも問題解決能力を重視する者が多かった。

海部町民がいみじくも指摘したとおり、この町の人々は他者への「関心」が強く、ただしそれは「監視」とは異なるものである。

一方、状況不変のイデオロギーに支配されたコミュニティでは、固定した階層や役割分担、人間関係を維持し統制する必要から、これを乱す因子を早期に発見するための「監視」が不可欠ではなかったか。

表出された行動だけを見ていても区別しづらい「関心」と「監視」。

しかし根本的に異質であるこの要素が、海部町コミュニティを独特ならしめている。

(中略)

地縁血縁の薄い人々によって作られたという海部町の歴史が、独特のコミュニティ特性の背景にあると言いたいのである。

町の黎明期には身内もよそ者もない。

異質なものをそのつど排除していたのではコミュニティは成立しなかったわけだし、移住者たちは皆一斉にゼロからのスタートを切るわけであるから、出自や家柄がどうのと言ってみたところで取り合ってももらえなかっただろう。

その人の問題解決能力や人柄など、本質を見極め評価してつきあうという態度を身につけたのも、この町の成り立ちが大いに関係していると思われる。

そして、人の出入りの多い土地柄であったことから、人聞関係が膠着することなくゆるやかな絆が常態化したと想像できるのである。

長い歴史をもつ地方の町村では、隣人とのつながりが強く相互挨助の精神が深く根づいているとする一面的な見方が多い。

しかし、自殺希少地域である海部町のコミュニティでは、自殺多発地域に比べはるかにゆるい絆を有しているという新たな知見が、自殺予防を考えていく上での重要なヒントになると考えている。

-----------------引用終了

海部町の成り立ちは、大坂夏の陣で灰燼に帰した関西の都市の再興時に、木材を伐採・供給するための集散地としてスタートしたのだという。

だから、移住者たちは皆一斉にゼロからのスタートを切る」都市としての歴史なのだ。

でも、それだけじゃなくって、

-----------------引用開始

海部町民が他の地域より強い「自己効力感(有能感)」を持ち、世の中で起きている事柄に対しなんらかの影響を与えられると信じる人々であることは、他者への評価が人物本位主義であるこの町の特性とも深く関係しているだろう。

自身では如何ともしがたい出自や財力で一生が定まっていくのではなく、人それぞれに異なる能力や心根によって評価されていると実感できる社会では、そうでない社会に比べて、自らの人生に取り組む姿勢に違いが生じるのは自然の流れといえる。

また、海部町では、人と人とのつながりがゆるやかである。

人への評価は良くも悪くも固定しないし、ひとたび評判を落とせば二度と浮上できないというスティグマ(*1)を、恐れることなく生きていくことができる。

人聞関係が膠着していないという環境も、人々の気持ちを楽にする。

自分の暮らすコミュニティ内でもしもひとつの人間関係がこわれたとしても、別の関係が変わらず生きているという確信があれば、その者の気持ちはどれだけ軽くなることか。

そして何よりも、「一度目はこらえたる(許してやる)」という態度である。

挽回のチヤンスがあると思えること、やり直しができると信じられることが、その者の援助希求を強く後押ししている。

かくして問題(*)は地下に潜らず開示へと向かう。

-----------------引用終了

(*1)烙印

(*2)「うつ」の傾向など、自殺の要因になりかねない問題等--BLOG主注

オモシロかったのは、海部町民が周辺町村から「生活していく上で賢い」と思われていること。

どういうことかというと、

「海部町の人は、他地域の人に比べ、世事に通じている。機を見るに敏である。合理的に判断する。損得勘定が早い。頃合いを知っていて、深入りしない。」

のだそうだ。

ムラ社会とは対極、とまではいかなくても、それにない要素を持っているコミュニティなのは確からしい。

「地方で第二の人生」を送る際、その「地方」に必要な要素が、海部町にはそろっています(都会人にとって、地域コミュニティから「関心」を持たれることはよしとしても、「監視」されるムラ社会には、耐えられませんから)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。お店やってるなんんてもったいないくらいいい天気。

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今日のストームグラス(↓)。なのに結晶の量は多いです。

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