読んで楽しい『美人論』の井上章一氏が、『妄想かもしれれない日本の歴史』 (2011) 角川選書 の中で、大化改新の詔と養老律令の条文について触れていて、その指摘があーゆー系でオモシロイ。

自分が高校時代に受けた日本史の授業を思い浮かべてみるといいでしょう。

-------------以下引用、長いですぜ(強調BLOG主)。

歴史はうといという人でも、大化改新については、その名をおぼえておられよう。

中大兄皇子が中臣鎌足にささえられ、それまでの蘇我氏体制をくつがえした。

朝廷が中心となって、公地公民制にもとづく支配のしくみを、うちたてる。

律令制のさきがけとなるそんな改革が、六四五年にはじまったと、学校ではおしえられた。

しかし、そこに釆女のきまりがあったことは、教科書にのっていない。

多くの学習参考書も、ふれることをさけている。

釆女は、大和の王朝が、地方の領主たちからさしださせた若い娘たちのことをさす。

大化改新がうちだした詔(六四六年正月)には、こうある。

「凡そ釆女は郡少領以上の姉妹及び子女の形容端正なるものを貢げ」

おわかりだろうか。

改新政府は、地方領主に「形容端正」な「姉妹及び子女」をよこせと、言っている。

美人を朝廷へとどけなさいと、そう命じているのである。

穀物をおくれという指図があったことは、学校でもならったろう。

あるいは、労役や兵役へ、男たちがしばしばかりだされたことも。

しかし、きれいな女を朝廷があつめようとしたことについては、何もおそわらなかった。

学校教育では、この史実がかくされてきたと、言ってよい。

まあ、大化改新については、それがあったことをうたがう学者も、おおぜいいる。

中大兄皇子の大活躍を信じないむきも、すくなくない。

しかし、八世紀初頭に養老令のだされたことは、まちがいないとされてきた。

こちらに関するかぎり、その発令をあやしむ研究者は、いない。

そして、その養老令でも、釆女については、こうしるされていたのである。

「其れ釆女を貢ぐは、郡少領以上の姉妹及び女の形容端正なる者を、皆な中務省に申して奏聞せよ」

やはり、きれいな女を中央政府へよこせと、書いてある。

大和の王権は、美人あつめに、けっこう力をいれていた。

そのことは、否定のしようもない。

そして、その事実が、教育の場では隠蔽されてきたことも。

朝鮮人従軍慰安婦のことを、今日の学校教育では、おそわるようになっていると聞く。

釆女についても、きちんと生徒にはつたえてほしいものである。

大和の朝廷は、けっこう面喰いだったのだ、と。

「形容端正」な女をよこせ。

こういうあつかましい法規は、しかし西欧の法制史に、見いだせない。

ヨーロッパの王たちは、美人へのあからさまな欲望を、法の形ではしめしてこなかった。

キリスト教の道徳が、それをゆるさなかったためか。

まあ、王が美人をかきあつめることじたいは、西洋でもあったろう。

権力をもつものが助平心にはやるのは、世の常である。

ただ、その想いを法へ書きあらわすまでに、あちらの王たちはいたらなかった。

日本とヨーロッパには、そういうちがいがあったことも、気にとめてほしいところである。

中国の王宮も、美人あつめには力をいれてきた。

たとえば、後漢の役人も、そのため「洛陽の郷中に遣わ」されている。

そして、「姿色端麗にして法相に合する」釆女を、宮中へいれたと、『後漢書』にはある。

日本の釆女も、こういう中国のしくみをとりいれたのだろうと、とりあえずみなしうる。

しかし、後漢の法令に、そういう条文があったのかどうかは、わからない。

養老令などの手本になった唐令が、面喰いを標袴していたか否かも、不明である。

私は、たぶん唐令にも、「形容端正」な女をもとめる条文はあったと、考える。

しかし、そこに関しては、日本側であらたに書きそえた可能性も、ないではない。

もし「形容端正」が、大和王権のつけくわえた、日本だけの文句だったとしたら…。

日本人のひとりとして、すこしはずかしいなとも感じるが、読者はどう思われよう。

-------------引用終了

はい、読者の一人としても、そうだったとしたら少しばかりではなく、丸ごと全部恥ずかしいです。

で、

手元にあった山川出版社の『詳説日本史』と東京法令出版の『資料日本史』をぱらぱらとみてみました。

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『詳説日本史』では大化改新の詔を次のように載せています(↓)。

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確かに、ない!

いわんや養老律令をや(↓)。

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記述は、欄外の注という冷たい扱い。


じゃぁ、『資料日本史』はどうかというと・・・・・・(↓)。

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「おぉ~、あるじゃん! それもルビ付きで『かおきらぎらしきものをたてまつれ』とある!」

文面が古語なので、すぐ下に「通釈」として次のように現代語訳が記されている(↓)。

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あぁ、なんてわかりやすいのだろう。

『資料日本史』は大学受験者のための「史料」が中心なので載っているのかもしれないが、この「改新の詔」の出題頻度は【A】とも記されている。

ということは、受験を念頭に置いて授業をしている先生方にとって、「改新の詔」の内容は必ず扱っているといってよい。

気になるのはその内容の範囲であって、わざわざ「凡そ釆女は郡少領以上の姉妹及び子女の形容端正なるものを貢げ」という部分まで掲載した『資料日本史』編者のスタンス、何か意図があったのでしょうか?

編者の欄には4名の先生方のお名前があり、西沢先生、お久しぶりです(この時代の担当だったのかどうかは???ですけど)。

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日本史の授業を思い出したでしょうか? 今は資料集に載っているんです、「大和の朝廷は、けっこう面喰いだったのだって。

あーゆー系の方々は、こーゆー系のDNAなんですね、ニッポンって昔から。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今日も快晴。

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今日のストームグラス(↓)。なのに結晶はザックザク状態。

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昨日、大学いもをつくりました(↓)。

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フライパンでつくる「なんちゃって大学いも」なんですが、そこそこには、できました。

ちょうどできあがったときにお客様(おひとり)がおられたので、サービス。

こーゆーのもタイミングですね。