「ジャズ・ジャパン」2014年08月号の企画「ジャズ好きクリエーターを訪ねて」の第1回目。
蓮井幹生氏がインタビューに答えて、次のような指摘をしていました。
-------------以下引用(強調BLOG主)
仕事っていうのは,社会から責任を負わされるもの。
その責任を負って,自分がその社会の中で,その責任をどう果たすか,というのが仕事。
そこに収入という副産物がついてくるか,ついてこないかは別問題。
芸術作品を作っている人も,芸術的な音楽を創っている人も,スタジオ・ミュージシャンをやっている人も,社会的任務からするとどちらも同じ。
同じ価値がある。
そこで問題なのは今の日本の社会が音楽に対してちゃんとバリューをつけていないこと。
音楽産業や技術産業は,数学とか,理科とか,物理とかの社会にはない感覚的な評価に基づく分野。
具体化できない価値観は今の日本はないがしろにされています。
例えば作品が売れるとか,こういう写真が1枚何万円かで売れる,そういう売る場所がある,買う人がいる。
芸術的な音楽創作でもCDが作れる,売れる,もしくはコンサートをやって収益が上げられる。
そういうふうな環境をもっと作っていかないと,単に若い人が、仕事をすることが、お金を得られるか,得られないか,僕の本当にやりたい音楽はお金を得られないから,それを諦めざるをえない…そういうふうにお金に左右されてしまって,本来その人が負うべき責任を放棄しなくてはならなくなっている社会は,凄く未熟だと思います。
日本の今の社会は未熟で写真家も育たないし,音楽家もなかなか育たない。
切れてる人は海外を目指し逆輸入で日本に凱旋する。
悲しいですね。
-------------引用終了
蓮井幹生氏はカメラマンとして有名で、各種のコマーシャル広告も手がけています。
「現場」において若くて将来性のありそうな人々が、上記のような理由で去っていく姿をたくさん見てきたのでしょう。
豊かになった日本はすでに成熟社会だと認識している人もいますが、いやいやどうして職業選択に関しては、まだまだ「そー」でもありません。
親世代からの次の一言に象徴されています。
「それでどうやって食べていくわけ?」
理解のある親は、
「○○歳までは、好きなようにしていいが、それでもだめだったら、わかってるな(念押し)。」
そーゆー会話は、日本各地の家庭で交わされてきたことでしょう。
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

今日のストームグラス(↓)。

今日は171年ぶりの十三夜(名月)なのだそうですが、どうも雲行きが怪しい。幸い、昨日撮っておきました(↓16:52撮影)。東の空の夕焼けもきれいだったなぁ。

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