(昨日からの続きのような、そうでもないような・・・・。)

自分史を振り返ると、ヤンキーではなかったけれど、サブカルは入っているし、オタクも入っているような、そんな側面があります。

で、

それら3種が2010年代には「融解」しているという寒天いやもとい観点で論じた、『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』 熊代亨著(2014) 花伝社刊。

地方在住が長く、若者の「高校卒業後」を見届けてきた身としては、統計的な裏付けが無くても、次のような指摘は、首肯するものでした。

-------------以下引用

進学校を経て他県の大学に飛び出す人達は除いて、仕事も生活も娯楽も学区からはみ出さない地元民にとって、子ども時代以来の社会関係資本は、ショッピングモールで顔を合わせるたび、同窓会が開かれるたび、なにかとついてまわるものです。

こうした、“リア充”的な、“ズッ友”的な世界に乗れるか? 

乗れないか?

学校時代から友達に恵まれ、スクールカーストの上位を占めてきた子ども達にとって、そのような地元から離れる理由などどこにもなく、彼らはその優位性と縁故性を生かして居場所を--そして仕事も、恋人も、家族も--獲得していきます。

郊外の新しいライフスタイルを紹介した、原田曜平さんの『ヤンキー経済』(幻冬舎新書、2014)のなかで「マイルドヤンキー」として描かれていた若者像も、まさにそのような「地元志向で」「仲間に感謝」なフィーリングでした。

しかし、学校時代から友達に恵まれず、スクールカーストを見上げながら過ごして来た子ども達にとって、地元とは、疎外と抑圧にみちた環境です。

旧来の地域社会や家父長的ルールからの抑圧こそなくなりましたが、元クラスメートのまなざし、元クラスメートとの腐れ縁は地元にいる限りついてまわり、ことあるごとにコミュニケーション能力が問われ、過去のいきさつが参照されます。

そのような疎外を蒙った人間でも、然るべき学力、然るべき支援があれば、首都圏の大学にでも入って人間関係をリセットし、「大学デビュー」できるかもしれません。

しかし、どうやっても地元を離れる術の無い子どもの場合は、そうもいきません。

交換不可能な人間関係を引きずりながら地元で暮らし続けるか。

さもなくば自宅に引きこもるか。

難しい選択を迫られるでしょう。

-------------引用終了

マイルドヤンキーは地方で生きていく術を、体験的に身につけています(それが、消費傾向に表れているわけでして)。

彼ら彼女らは、ちゃんとコミュニケーションがとれるので、それで自分のセーフティネットを構築していくことが可能です。

生涯賃金がどうのこうのというよりも、こーゆー系に「地方で生き抜く知恵」があるのです。

一方、

「スクールカースト」を下から見上げながら、高校を卒業(若しくは中退)し、「コミュ障」傾向があると、それはそれは、地方で生きていくには、「生きづらい」かもしれません。

和歌山県紀の川市で小学生が刺殺された事件の容疑者。

そーゆー系のような気がするのです。

総務省と厚生労働省の統計数字は違うんだけど、「ひきこもり」はおおよそ70万人とされていて、彼らは貴重な労働力であるはずなのに、「あ~、もったいない!」

彼らを労働力として引き出せば、マッチングの問題もあるけれど、日本経済にも資すると思うんですけどねぇ・・・・・。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。午前中にハンドクリーム(チューブタイプ)の蓋を取ったら、中身が出てくる出てくる・・・・・。やっぱり、結晶化は「気圧」の関係か?

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