先日、読んでいた新書で「世代力」という言葉を知りました。
-------------以下引用
日本は、世代力を考慮に入れた政策を立てるべきだと考える。
世代力というのは、各世代が蓄積した政治・経済・社会・文化の総合力を言う。
また世界ルールの変更を機敏に察知して、これを読み取りながら国策をリードできる能力を言う。
この世代力が強力な国家は、その世代がマジョリティだった時に最も栄えるのである。
日本の歴史を振り返れば、明治維新前後には、幕末の厳しさのなかで鍛えられた世代が三〇代を迎え、その世代力は最高に達した。
彼らは超大国イギリスと結びつくことで国難を突破していった。
反面、この時期東アジアの周辺諸国の世代力は下降線をたどっていた。
その後日本の世代力は、豊かさや制度の完備のなかで漸次低下していった。
そしてその力は、一九四〇年代で底辺を迎えた。
日本が一九三〇年代の厳しい国際環境を乗り切ることができなかったのは、この世代力の低下の結果である。
戦後は、再び厳しい環境下で鍛えられたものが一団となって「団塊の世代」を構成し、高い世代力を誇った。
彼らは、戦後の焼け跡から立ち上がり、高度成長を実現させた。二〇〇〇年代に入ると、こうした高いパワーをもった世代力は引退とともにその力を減じた。
高い世代力を誇る中国・韓国とは対照的に現在の日本の世代力は最低にある。
彼らは世界ルールも読み切れず、それを認識しても国策に反映させる力もない。
日本は少子高齢化が進み、人口減少という未曾有の事態を迎えている。若年層の貧困の解消など、少子化の対策を進めなければならないことは言うまでもない。
それとともに、教育制度の改革などを通じて世代力を養い、困難な状況を突破する力を養成する時期になっているのである。
『日本の迷走はいつから始まったのか』 小林英夫著(2011) 小学館101新書
-------------引用終了
本全体を通しては、幕末以降のニッポンは大事なところで誤った選択をし続け、それは今も続いているという「警鐘を鳴らしている書!?o(^-^)」なんですけど、終わりのほうで「世代力」という言葉が登場してきます。
安定した人財供給がなされ、その人々にバトンタッチされていく仕組みが、我がニッポンは社会の中にビルトインされているのだろうか?---という問いかけ。
2000年代に入ってからというもの、若い世代が二極分化しているように感じるのですね。
優秀なやつは飛び抜けてデキる反面、社会で包摂していくにはちょっと手のかかる層。
その中間あたりのフツー層が薄~~~~~くなっているという印象。
優秀層は「ニッポンを牽引していく!」という気概を持っているのかというと、そうでもなさそうだし、手のかかる層は半径数mでの生活で満足そうだし・・・・。
やっぱり、つまるところ「教育」ということになりそうです。
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。雨雲、東へ移動中。

今日のストームグラス(↓)。

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