仕事の関係でo(^-^)、都道府県別の一人あたり県民所得について、今年6月に発表されたデータを見ていました(内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部による)。


2012年のデータです(単位:千円)。上位は相変わらず(↓)、

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下位も、だいたい同じ顔ぶれ(↓)。

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気がついたと思います。全国平均が297.2万円で、それを上回る都県は、東京・愛知・静岡・茨城・滋賀・富山栃木・広島の8都県しかありません。47都道府県あるのに・・・・・。

東京の一人勝ち状態(でも東京での生活は、いろんなオカネかかりますからねぇ)。

ココでもうひとつ、調査年は違うんですが、ジニ係数を都道府県別に算出したグラフがあります(↓本川さんのホームページより)。

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ジニ係数は、所得の不平等程度を測る尺度として用いられるもので、完全平等なら0、完全不平等なら1であり、大きくなると不平等度が増す---そーゆー目安です。

突出している(不平等度が高い)府県は、大阪・徳島・長崎・沖縄の4府県。

一人あたりの県民所得下位のところと重複している県は、長崎と沖縄か。

一人あたりの県民所得が少なくても、「大家族」で住むことで無駄な出費は抑えられるし、「結い」の精神で共同体がまだ機能している、それも生存戦略だし、「オカネ」だけの物差しで考えるほど、単純でないことは重々承知しています。

ただ、ジニ係数を都道府県別でみてみると、こんなにも差があるとは知りませんでした。

「住みやすさ指標」とは別に、そこに住んでいて感じる「不平等度」。

ふと、沖縄の成人式が荒れる根っこみたいなものが、ココにあるのか? などと邪推してしまいました。

以前読んだ、阿部彩さんの本でも、

-------------以下引用

格差が大きい国や地域に住むと、格差の下方に転落することによる心理的打撃が大きく、格差の上の方に存在する人々は自分の社会的地位を守ろうと躍起になり、格差の下の方に存在する人は強い劣等感や自己肯定感の低下を感じることとなる。

人々は攻撃的になり、信頼感が損なわれ、差別が助長され、コミュニティや社会のつながりは弱くなる。

強いストレスにさらされ続けた人々は、その結果として健康を害したり、死亡率さえも高くなったりする。

これらの影響は、社会の底辺の人々のみならず、杜会のどの階層の人々にも及ぶ。

これが、格差極悪論の要約である。

疫学、社会政策学、経済学、社会学、福祉学など、さまざまな分野の研究者によって、ウィルキンソンのこの主張を裏付ける研究が続々と蓄積されつつある。

くどいようだが誤解を招かぬように補足すると、ウィルキンソンは「貧困」があるから、すなわち、社会の底辺の人々、排除されつつあるような人々がいるから、社会の上層部の人間までも害を被る、と言っているわけではない。

ウイルキンソンが問題としているのは「格差」の存在なのである。

『弱者の居場所がない社会』 阿部彩著(2011) 講談社現代新書

-------------引用終了

弱者を包摂する柔らかい社会---、当店みたいなアジールを標榜する場所も社会にとって必要ではないのかと・・・・、我田引水o(^-^)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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