先日の続きです。野中先生は次のように「実践知」獲得のための処方を示しています。

-------------引用開始(強調BLOG主)

実践知を形成するための基盤の一つは経験である。

とりわけ重要なのは修羅場経験、そして成功と失敗の経験だ。

文脈は常に動いている。

「この文脈においては、この選択肢が最適だ」というジャストライトな判断をするためには、論理を超えた多様な経験が欠かせない。

また、どのような師と出会い、どのような関係を築いたか。

つまり、手本となる人物との共体験も、リーダーシップの形成に大きな影響を与える要素であろう。

ある種の徒弟的な関係のなかで、文脈を洞察する実践知が育まれるケースも多いように思える。

先ほど経験の重要性を指摘したが、もう一方では教養(リベラル・アーツ)も重要な要素である。

哲学や歴史、文学などを学ぶなかで、関係性を読み解く能力を身につけることができる。

また、レトリックは部下や周囲を共鳴させる力として有効である。

ギリシャ時代、レトリックは教養の重要な一部と考えられた。言い換えれば、弁論術や演説力である。

最初は乗り気でなかった人にも、演説を聞くうちに「ひょっとしたらできるのではないか」と思わせてしまう。

そんな弁論術も含めた政治力は、フロネティック・リーダーの重要な要素である。

ところが、陸軍大学校や海軍大学校が教養を重視していたという話は聞いたことがない。

それがバランスを欠いた指揮官を生み、バランスを欠いた戦い方につながった面もあるのではないか。

『失敗の本質』 野中郁次郎編著(2012) ダイヤモンド社刊 より

-------------引用終了

修羅場経験、そして成功と失敗の経験、論理を超えた多様な経験、手本となる人物との共体験、教養(リベラル・アーツ)も重要な要素、

最近はなるべく(↑)こーゆー、特に失敗や修羅場などは避け、挑戦しない無難な選択を選ぶことの方が賢い道である---先行世代から、特に身内からはそーゆーアドバイスが多いのではないでしょうか?

(最近の若い人たちは賢いので、加えて親思いだったりもするので、さらに素直だったりもするので、あまりにも多様な選択肢の中から選ぶのではなく、結果「無難」をチョイスしがち????)

「人生、山あり谷あり(でも、できることならば、山が多く)」のほうが、最期に振り返ったとき、思い返す大きさに違いがありそうな気もするんだが。

よく最期は「プラスマイナスはゼロになる」という人がいるけれど、いやいやどーして、そんなに上手くできてはいませんよ、世の中は(そーゆー人のために来世が用意されているんですか? いやはやいやはや、もう、それはオカルトですぜ)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。快晴無風。今朝の飯田の最低気温、-4.1℃。寒うござった。

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今日のストームグラス(↓)。これだけ天気がいいのに、結晶MAX。

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