『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』 延江浩著(2017) 講談社刊---を読んでいたときのこと。

松任谷正隆さんが幼少の頃を振り返って書いた作文「お風呂」が引用されていました(何歳頃に書かれたものなのかは、明記されていません)。

-------------引用開始

『お風呂』 松任谷正隆

我が家のお風呂は五右衛門風呂だった。

鉄がものすごく熱いから、外側には触れないようにそおっと入る。

どうしても触れてしまう床面には木製のスノコ状のものを敷く。

それでもやはり触れてしまうときがあって「アッチイ!!」なんて言いながら入った。

そんなお風呂の思い出はたくさんある。

ある日の昼、僕は大変なショックを受けていた。

近所の弘美ちゃんと立ちしょんをしようということになって、並んでしたところ、弘美ちゃんのあそこには何も付いていないことを発見したのだ。

子供には性欲というものがないのだとすると、あの感覚は何と呼ぶのだろう。

心臓がえぐられるかと思った。

早速、その日のお風呂で母親に報告である。

「弘美ちゃんにはおちんちんがなかった……」

と言いかけたとき、母親はなんと「そんなつまらないこと言うもんじゃないの!」と怒り出すではないか。

まあ、今なら母親失格。

当時も失格だな、ありゃ。

幼い心の中に植えつけられた初めてのタブー。

その後、僕が異常者にならなかったのは奇跡とも言える。

しかし後日、父親は、母の挽回をしようとしてなのか、こんなことを言い出した。

「おまえ、赤ちゃんはどこから出てくるのか知っているか?」

「もちろん、お腹でしよ?」と答えると、「違う、このあたりだ」と指をさし、ストレートに答えを告げ、「その証拠に、お前のお母さんのお腹に傷はないだろう」と言うのだった。

僕は烈火のごとく怒って言った。

「お父さんは最低だ!」と。

おやじはこれに懲りて、二度と性教育なんかしまいと心に誓ったそうだ。


松任谷家の長男・正隆が生まれた昭和26年。日本は朝鮮戦争特需の真っ只中だった。

-------------引用終了

ユーミンの連れ合い、松任谷正隆さんの父は「三田出身」のバンカーで、旧東京銀行横浜支店長、父方の祖父は環八沿いの地主で、その庭にはテニスコートがあるようなお家だったそうな。

正隆さんも幼稚舎からの生粋のKOボーイ。

彼の上記のような記憶は、昭和30年代のものでしょう---当時、男の子に対して家庭で「性教育」と呼べるようなものは、皆さん、していたのでしょうか?

子どもは子どもで、「なんとなく、そーゆーモノなんだ!」というふーに分かっていく。

なんか、阿吽の呼吸とでもいいましょうか、子どもの世界はその世界で、そっちの方面にもちゃんと知識が広がっていく---アヤシイ情報を取捨選択しながら、リテラシーが身に付いていったのかもしれません。

2017年から眺めると、「昭和は遠くなりにけり・・・・」ですね。

あっ、そーそー、

松任谷家と頭山家は、正隆さんの(腹違いの)伯父が、頭山満の孫と結婚したことで系図が繋がります。

帯にもあるとおり、「ユーミンも知らなかった両家の歴史がここにある!」---きっとそーだと思います。

1970年代以降、ニューミュージックに括られる一連の登場人物の皆さんは、こーゆーふーだったのね---と、自分史ともオーバーラップできる世代にとっては、「ナルホドねぇ」の世界(本の作りはエピソードや事実、それらを繋ぐ創作、これらがモザイク状です。ですから、プロローグとエピローグを含めて全35章という構成)。

この本、スタッキングシェルフに置いてあります。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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