8月27日はお店をお休みにして、須坂市へ行ってきました(正確に言うと須坂市のメセナホール)。

というのも第19回信州岩波講座の講座Ⅱで、内田樹さんと加藤典洋さんが講演+対談がある---という情報があったから。

内田先生の講演は2回目(前回は長野県看護大学でした)、加藤先生は初めて。

加藤先生の『戦後入門』を以前に買ってはあったものの、その厚さ(新書なのに600ページ超)にたじろぐ自分の情けなさ( ^.^)( -.-)( _ _)(x_x)。

一方、内田先生の書籍は、読みやすいということもあって、スタッキングシェルフにだいたいのものは置いてあります(^_^)。

加藤先生のお話はお客様情報により、「学者によくある話し方で、ヘタ」という通りでした(_ _)。

いくつもの流派!?のある護憲論(護憲派)が、論理的不整合を抱えながらも安倍政権の改憲に共闘していく---果たして、そーゆーことってできることなのでしょうか? これまでの護憲派の歴史から学んで、お互いが手を握ることが可能なのでしょうか?

加藤先生の演題「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ」

護憲論(護憲派)が自分たちにとっての「これだけは本当だ」と思っていることについて、それぞれがズレていたら、お互い譲らないんじゃないでしょうか? 傍から見ているとそれは教条的にも見えるんですが・・・・・・。

なんせ、1時間という講演時間の制約があったので、精緻に理路を組み立てて論を展開するというふーにはいかなかったのかも?(そのへんの行間を聴講する側が補わなくっちゃならんのかも? あたしにゃそーゆー力がない(x_x))。

10分の休憩後、内田先生の講演。

演題「『帝国』化する世界・『中世』化する世界」

「私は大風呂敷を広げて話をしたり、ものを書いたりしているんですが、どこからも反論が来ない!」

これって、言ってることが(言われた人たちからしたら)図星だからでしょ、きっと。

そーゆーときは、言われていることは否定も肯定もせず、徹底して無視する---そーゆーふーなEstablishment、多し!---そーすることで指摘されていることが、「なかったこと」にできるんです、「あっち側」の人々によって。

さて、

話の中で登場した水野和夫さんの『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』を既に読んでいたこともあり、日本が今後目指してはどうかというniche帝国化戦略「南北朝鮮+日本+台湾+香港+ASEAN」共同体の話も、すっと入ってきました(でも、北朝鮮はなぁ、昨日、ロケットorミサイルぶっ放したし)。

水野さんは冗談でも「日本は毎年、EUに加盟申請しなさい!」と仰ってる。その具体的な構想が東アジアから東南アジアにかけてのniche帝国化戦略。

地域帝国化は世界的に進行中で、EUなんかはまさに“HRE(神聖ローマ帝国)”化だし、現代の国民国家は解体に向かっている状況からすると、次にくるのが地域「帝国化」なんだそう。

混乱の極みにある中東はオスマン帝国化、アフリカのサヘルエリアはマリ王国化---とゆーよーな例を挙げ、そーすることで部族単位の共同体化を進め、自治権の委譲等をし、緩やかな連邦制ってどうよ---というふーな解決策の提案でした。

ふと、

思ったのがISの目指している最大版図(↓)。

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これって、アッバース朝の最大版図+αで、けっこう盛(も)ってます。

マリ王国についても資料集(帝国書院)の図版を見ると・・・・(↓)。

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自民族の「全盛期への思い」は、時代の違いこそあれ、最大版図の隆盛を極めた時代を「民族の記憶」として受け継いでいるものになりがちです。

そーすると各民族がそれぞれに「民族の記憶」をいーふーに解釈してしまわないか?
(サスガに今のニッポン人は大日本帝国臣民のように、こんなふーには考えないだろうけど・・・)。

時代の推移と共にそれぞれの帝国は栄枯盛衰を経ていくわけで、みんながみんな「いい時」を主張していたら、また揉めはしないんだろうか?

あっ、

だから今再び『文明の衝突』byハンチントン---を持ち出して文明圏で棲み分けを構想すればいいのか?

「中世化」については残り10分で駆け足説明。

ところが吃驚(゜∀゜)、8月29日付けの信毎文化欄(↓)。

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えっ、内田先生の講演要旨の見出しって、「信頼や友情がより価値を持つ」(赤線箇所)。

確かに、「中世化」に関してそう仰ったけどサ。

でもあたしゃ江戸時代(近世)に戻るのはイヤですよ。「中世2.0」かそれ以上のバージョンにでもならないと。

だって、住民ひとりひとりに与えられる身分や役割は、その人の資質とはかかわりなく、生まれ落ちたときからほぼ決められていたような社会で、地主か小作か、本家か分家か、長男か次男か、その出自によって、残りの人生すべての見通しがついてしまうという時代だったんですから(いや、平成の今もそれに類似した社会になってきているような・・・・・・?)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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オ・マ・ケ(↓お客様からのいただきもの。→1は東京土産、ベルンのミルフィユ。→2は滋賀県土産、近江牛カレー)。ありがたいことでございます。

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