あの人が、そこまで言うんだから・・・・・・(納得)。

ということ、ありますよ、ね。

先日、たまたま辿り着いた堀井憲一郎さんのコラム(こちら)。彼のファンです、私。

NHKの朝ドラ「ひよっこ」について、6月の時点で書かれていたものです。

当時、「ひよっこ」は「主人公が地味」だとか、「盛り上がりがない(ヤマ無し)」とか、酷評されていて、視聴率も20%に至らず、向かい風状態だったように思います。

ところが、

彼は朝ドラ歴50年、そのうち30年は全話ビデオ録画してまで見続けているコラムニストで、その彼をして

50年間、朝ドラを見てきた私が断言したい「『ひよっこ』はスゴい」

と言わしめているのです。

私は、朝ドラはぜんぜん見ていないので、どーゆー話なのか、こちらで全26週分「読んで」みることにしました。

時代は1964年~1968年の4年間。

そう、「集団就職」の時代なのです。

今年4月、「ひよっこ」とは無関係に、たまたま同名の書籍が出版されていて、週刊文春のレビューでも高評価だったのを覚えていました。ただ、こちらはインタビューによる聞き取り、九州・沖縄からの集団就職で、就職先は関西や名古屋方面。

レビューにもあるとおり、「集団就職」に関する詳しい記録はあまり存在していないらしい。

で、

以前に読んだ本を思い出したのです。

『なぜ公立高校はダメになったのか』 小川洋著(2000) 亜紀書房刊

その第1章 “二つの階層”の出現

“二つの階層”とは都市出身者と「金の卵」たちのことです。

この章は、実は

『集団就職の時代』 加瀬和俊著(1997) 青木書店刊

に因っているところが多いらしい。その参考元の要約(↓)。

-------------引用開始

本書は、日本の高度経済成長期、特に1955〜64年の10年間(昭和30年代)に限定して、農山漁村出身の新規中学卒業生が年少労働者として大都市に就職した過程を描いたものである。

この10年間は日本が後進国・農業国から先進国への仲間入りをした時期であったが、農村部に就職機会はなかったので、中学卒業生達は毎年、先生に引き連れられて就職のために集団で都市に移動してきた。

この現象は「集団就職」と呼ばれたが、それは、学生服・セ-ラ-服の15才の中卒者達が、農山漁村から特別仕立ての「就職列車」で大都市に移動し、到着した上野駅には零細商店の店主達がのぼりを立てて出迎えに来ているというイメージであった。

引き続く経済成長の下でこの現象はなくなり、テレビの普及によって都会的知識を詰め込んだ高卒者達が、旅行気分で都会に出てこられる時代へと移っていった。

本書で著者が訴えたかったことは、経済発展にともなう労働市場の拡大は、社会的な格差付けをともないながら進行したこと、そしてその際の選別基準として、この時期には、都市出身者か地方出身者かという事情が大きな意味をもっていたという事実である。

日本的な終身雇用制からも年功制的賃金制度からも排除されていた彼等・彼女等は、都市自営業者として自立したり、中小企業の職工として自足する方向へ進み、大企業労働者とは異なるライフ・コースをたどっていった。

こちらより。

-------------引用終了

小川氏の本は、1980年代以降、大都市郊外に新設された中学校がなぜ「荒れた中学校」になり、新設された公立普通科高校が教育困難校化していったのかについて、上記の戦後の軌跡(“二つの階層”)が地域・社会・階層構造に大きなインパクトを与え、それが合わせ鏡のように学校社会に映し出されてきていると論じていました。当時、読んだ私は目から鱗が落ちる思いでしたゼ(今回「ひよっこ」がらみで再度読み直してみても、「ナルホド」感ハンパ無し、です)。

さてさて、

「ひよっこ」の主人公は実在したモデルがいないので、その存在感をどーしたら、醸し出せるか?---脚本の岡田恵和氏以下、制作陣は1964~1968年に生きる主人公の時代背景と「現実感」を徹底的に拾い集めたらしい。

だって、今、主人公の谷田部みね子(有村架純)が生きていたとしたら、71歳ですから。

本日15:05~「ひよっこ」総集編が放送されます。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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オ・マ・ケ(↓三日坊主めくりカレンダー)。

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