BS JAPANでは、「紅白」の時間帯に「ザ ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK」を放映していました。
録画するタイミングを逸し、ザッピングしながら見ていたので、全てではなかったモノの、これまで知らなかったビートルズの一面、いや、多面を知った、記録映像でした(録画しなかったことが悔やまれる(T-T))。
ビートルズ、1960年代前半のアメリカ南部(確か、フロリダだったかな?)での公演、その当時の彼の地は、まだ、「ホワイト」と「カラー(有色人種)」が人種隔離されていて、一緒に同じステージを見ることができなかった---それにビートルズは“NO”をつきつけ、それ以降の興行で今に繋がる「当たり前」を実現させていきます。公民権運動と連帯したモノではなくても、自分たちの音楽を全ての人へ届ける、その姿勢が当たり前の主張として、アメリカにおいて当時の、とてもデリケートな部分を突破します。
ウーピー・ゴールドバーグは母親に連れてってもらったこのライブの感動を、「ビートルズが米国黒人に与えた勇気は大きなものだった」---と回想していました。
当時の熱狂が、会場確保の面でも支障をきたすようになり、フツーの会場では公演が難しく、次第に「スタジアム」公演が続いていく---その頃のPA機材の貧弱さ、演奏者が自らの音を聞きとれないという致命的なステージでも、スタジアムでビートルズは公演をこなし続けていきます。
1964年の日本公演では「武道館」が会場となりました。
讀賣の正力某は、それに強固に反対したそうですが、こんなポスターが、今回この映画上映で製作されました(↓)。

浅井愼平さんが、当時のことを語っていました。
これから20数年後、BOØWYの氷室京介さんは、「ライブハウス、武道館へようこそ!」とMC、名言として語り継がれる台詞になりました。
時代は変わる---その象徴のようの思えてなりません。
ビートルズの4人が、「もう、こんなスタジアムコンサートは、やめよう」と思った場面もありました。
セキュリティの関係か? 演奏を終えた彼ら4人が【囚人護送車】でステージから【輸送】されるのです。車内にはシートもなく、クルマがカーブで曲がる時は、「ズズズ~」っと彼らも荷物の如く滑る---そこで上記のナレーションが入ります。
以後、スタジオに籠もって「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」等の名作が作られていく。
ジョンとジョージはもう既に天に召されましたが、このような記録映像が残っていて、それを監督(ロン・ハワード)がちゃんとした映画作品として後世に残す---大きくいえば人類史の一部、なのかもしれません。
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

今日のストームグラス(↓)。

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