ダークツーリズムはひと言でいうと「悲しみの記憶を巡る旅」(by井出明)。

南信州には、観光資源が乏しい---そんな認識が定着していて、各種トラベル系雑誌でも「信州」特集の際には、おまけ的な扱いです(中には伊那谷南部の南信州エリアをバッサリとカットしたものもあります。たとえば、これ(↓)とか(^_^))。

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表紙に示された長野県内の地名に、伊那谷エリアの地名がありません('A`)。

そこで、

ダークツーリズム in 南信州


当地には「悲しみの記憶を巡る旅」のコンテンツが(たぶん)長野県下の他のエリアに比べて、充実しているように思うのです。

それは DeepSouth に位置する当地の歴史の反映とも言えるでしょう。

真っ先に足を運ばなければならないのは2016年11月、今上天皇・美智子皇后両陛下が私的訪問をされた【満蒙開拓平和記念館】。

生涯をかけて「慰霊の旅」を続けておられる両陛下が、かねてよりご訪問の意向を示されておられたという満蒙開拓平和記念館。

こことセットで足を運ばなければならない場所があります。

それが、平岡ダム建設における強制労働で亡くなった人たちの慰霊碑。

これらへの訪問に際しては、歴史の語り部としてガイドしてくださる皆さんがおられます。ただ、井出明先生が次のように指摘されている点は気をつけなければなりますまい。

----------引用開始

ダークツーリズムポイントでしばしば出会うガイドは、いかに大変な悲劇があったのかということを全力で語ることがよくあるが、状況を客観化できない語りは、旅人に「大変だったんですね」としか言わせられず、内面的な啓発を与えることが難しい。

これは、ダークツーリズム以外の観光形態にも言え、「ここが素晴らしい」という押しつけがあると、旅人の内なる革新につなげることがやはりできない。

眼前の状況を他の地域との比較の中で述べ、最終的な解択は旅人に委ねるとともに、旅人にゆっくりと考える時間を与えながらガイドをしてくれる専門家というのは日本ではあまりいない。

これは、日本でガイドが専門家の仕事として認知されていないことに起因するわけであるが、国策として観光を振興するのであれば、こうした人材育成も重要になってくる。

『ダークツーリズム』 井出明著(2018) 幻冬舎新書 より

----------引用終了

そうそう、思い出しました。

当地に限らずニッポンの田舎は「ムラ社会」なんですが、それととても親和性のいい事大主義が相乗効果を発揮すると、あ~ゆ~事(日本でいちばん満州移民を送り出したエリア)になってしまうと思うのです。

歴史を風化させないためのオーラル・ヒストリーが記録に残されているものの、「ムラ社会」でそれを突き詰めていくと、ひとつの壁に突き当たるのではないか?

そんなことを井出先生の著書で感じました。

こーゆーことです(↓)。

----------引用開始(強調BLOG主)

安東丸事件(BLOG主注:太平洋戦争中、西表島で起こった中国・朝鮮人乗組員への虐待事件)のような現代史の事件の場合、関係者そして少なくとも関係者に近い親族がまだ存命中であるがゆえに、何がそこで起きていたのかを掘り下げにくいという現実かあることも知ることができた。

ほんの25世帯ぐらいしかない船浮で、安東丸事件の調査を本気で行ってしまうと、外国人を虐待したのは誰のお父さんかというレベルで問題行為が特定されてしまうおそれがある。

そうなってしまうと子どもは親のカルマを背負うことになるし、地域の一体性も維持できなくなってくる。

こうした現代史の悲しみを受け継ごうとする場合、必然的に地域の加害性をどう位置づけるかという難しい問いと向き合わなくてはならなくなる。

現在生きている人々をいたずらに糾弾するのでもなく、同時に地域の悲しみの承継という目的は果たしつつ、地域の持続的な発展を願うことは現実問題としてはかなり大変なことである。

この辺りはダークツーリズムの理論的な研究を充実させていくことの重要性を感じるが、研究以外でも、知られていない悲しみの現場を訪れ、そこで手を合わせて忘れないようにするだけでも十分に意味のある営みである。

ダークツーリズム研究においては、現場を訪れることで、理論がより研ぎ澄まされ、また別の現実を説明しやすくなる。

ダークツーリズムの旅は、研究が机上の空論に終わってもいけないし、また逆に現場だけで完結するわけでもないことを教えてくれる。

前出書より

----------引用終了

飯田が「日本一の焼き肉の街」を標榜するのもいいですが、当地では大鹿や南信濃で営まれていた「山の肉」文化に加えて、上記の「平岡ダム建設における強制労働」に従事していた中国・朝鮮人の人々がもたらした「焼肉文化」へもリスペクトすることが必要でしょう。

そうそう、ダークツーリズムの3つめ。

それは2度にわたる「飯田の大火」です。

現在はリンゴ並木として整備されている道は、防火帯としての機能をもって計画され、現在は「日本の道100選」にも選ばれているとか、避難路確保のための裏界線とか、「丘の上」の市街地は防災計画都市としての設計になっています。

私が、当地に来てクルマを運転していて、多少なりとも(*゚д゚*)したのが、吾妻町ロータリー(当時)でした。

あーゆーふーな構造を持った道路は、なかなか日本国内ではお目にかかったことがなく、せいぜい、テレビ映像でパリの凱旋門あたりの道路状況から、あーゆーふーな信号がないグルグルロータリーの存在を知っていたくらいです。

復興に際してGHQの協力があったからこそ(GHQ治世下でしたしね)、当時、日本の道路文化にはなかったラウンドアバウトが設計されたのでしょう。

そして「火」との対比で考えると、「水」害にも見舞われています。

4つめは、「三六災害」。

天竜峡がボトルネックとなり川路地区が浸水の被害を受けました。

聞けば(いや、正確には「飯田・下伊那の昭和」という写真集を見たり+当時を経験された方から聞いたりして)、「丘の上」にも今宮方面から土砂が押し寄せてきていました。

ざっと、思いつくだけでも4つ。

ただ、

モンダイは「悲しみの記憶を巡る旅」を求めている人々がどれくらいいるのだろうか?---という点です。

『ダークツーリズム』は、赤棚に置いてあります。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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オ・マ・(↓三日坊主めくりカレンダー)。今日は西郷隆盛が自刃した日。

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今年はNHK大河ドラマの影響もあり、「西郷どん」と書いて、ちゃんと「せごどん」と読まれるようになりました(そーいえば、昔、諏訪市に「西郷どん」という鹿児島ラーメン屋さんがあって、やはりその当時から「せごどん」と発音していました → 今でも健在のようです)。