阿佐谷ジャズストリートは、今年で24回目(since 1995)。

神明宮能楽殿での山下洋輔ニューヨークトリオの演奏前、MCの方が、24年前の開催当時の状況をお話ししてくれました。

既にバブルが崩壊し4年目、じわじわと不景気が押し寄せるそんなご時世で、1995年を迎えます。

そう、この年にはオウム事件が発生した年で、阿佐ヶ谷には、そのオウム教団の「道場」があって、地元を賑わす身近な事件だったらしい。

それと、阿佐ヶ谷駅を利用している人からすると、JR中央線の列車で「快速」が阿佐ヶ谷駅に停車しなくなった---ということも重なり(↓現在も、土日の快速ホームは、こんな感じで「無人」デス)、

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なんか、阿佐ヶ谷、元気無くない?

ということで、ライブハウス「manhattans」のマスターをはじめとした発起人が集まり、1995年から「阿佐谷ジャズストリート」がスタートします。

当初から運営に当たっては、「手弁当でやろう」を貫いていて、どこからも(特に行政)補助金をもらっていないんだそうな。

確かに、プログラム冊子を見ても、行政の名称は見当たらず、あったと思ったら、それは「出演者」として名前が載っているのです(例:杉並区役所職員音楽部、都庁スイングビーツ)。

これは継続し続けるという点でとても重要。

補助金の切れ目がイベントの切れ目と申しますし。

お金の出所をクラウドファンディングで賄おうというのも、私は、「そりゃ、虫がいいってぇモンだ!」と、思うところがあって、イベントの為にーーーという点が、引っかかるのです。

これが「ものづくり」のクラウドファンディングだとしたら、私はけっこう好意的に見ている節があります。

閑話休題。

そーそー、山下洋輔さんのライブです。

今年で5回目の出演だそうで、ということは、私はその内今回で3回目か。

会場は、例によって神明宮能楽殿(↓翌日の様子。きれい片付けられており、前夜の面影はなし)。

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この日は「七五三」の皆さんが多く参詣(↓)。

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会場前は大行列。私はギリギリ、ござの上に座ることができました(ダメなときは、立ち見デス)。

山下洋輔ニューヨークトリオは今年で結成30周年、それを記念してアルバムも製作・発売中だそう。

その中に「ドバラダ2018」という曲があり、山下さんはMCでこの曲と、そのもとになった著書『ドバラダ門』について触れ、

「実は私、大河ドラマ『西郷どん』の第1回に医者として出演していたんです。」

へぇ~、知らなかった(NHK大河ドラマを見てないモンで(_ _)。)

「というのも、私の曾祖父は薩摩で医者をしておりまして、西郷隆盛からの手紙があった---そこから我が家の家系を辿るという『ドバラダ門』をかれこれ30年ほど前に書きました。それを『西郷どん』の原作者、林真理子さん、脚本を書いている中園ミホさんが読んで、私が、少年時代の西郷隆盛を診察するという医者の役で登場しました。」

どこで、何がどーゆーふーに繋がっているって、ワカラナイモンですね。

ワカラナイと言えば、来月8日の当地での「山下洋輔ライブ」。

なんでも幼少期、山下さんが当町に「疎開」してきていたということが縁らしい。

山下さんの出生年は、1942(昭和17)年。

ということは、終戦時はまだ3歳。覚えているのかなぁ??


当店では、『ドバラダ門』は開業以来、青棚にず~~っと置いてありますo(^-^)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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オ・マ・ケ(↓今朝の雲海、6:19撮影)。

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