2月17日のNHK「平成史スクープドキュメント(第5回)」では、「“ノーベル賞会社員” ~科学技術立国の苦闘~」と題して、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんの「その後」を追って、そこから見える、いま日本が直面している科学技術立国としての苦闘を活写していました。

彼がノーベル化学賞を受賞したときの会見時の映像も流れてきて、そう、会見中に「ピ、ピ、ピ・・・」と携帯電話が鳴って、それが田中さんのケータイで、奥さんからの電話だったという、あの場面。

受賞時はまだ40歳代前半で、(大学院に進学した)博士でもなく修士でもなく、学部卒の学士で、島津製作所に勤めるサラリーマン・エンジニア---という、そのプロフィールは、これまでのノーベル賞受賞者にはなかった、異色の経歴でした。

そんな彼が、今回の主役。

NHKのホームページでは、次のように番組を紹介しています。

----------引用開始

シリーズ「平成史スクープドキュメント」第5回は、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏への独占取材から、科学技術立国ニッポンの苦闘を描く。

民間企業の一エンジニアのノーベル賞受賞に社会は沸き、田中氏は一躍、時代の寵児となった。

しかし、ノーベル賞につながった発見は「単なる偶然なのではないか」という周囲の声に葛藤を続けてきた田中氏は、受賞以降、メディアの取材を遠ざけてきた。

その田中氏が再び表舞台に登場したのは2018年2月。アルツハイマー病を発症すると脳に溜まるタンパク質を検出することに成功。

「一滴の血液から発症20年前に早期発見できる」と科学誌・ネイチャーに掲載され、世界的な注目を集めたのだ。

この成果が生み出されるまでには、田中氏の10年以上にわたる知られざる苦悩があった。

「論文数の減少」「研究投資の停滞」「補助金の削減」など科学技術立国の凋落が指摘される中、日本は次の時代、どのように再生していくべきなのか、“ノーベル賞会社員”の歩みから見つめていく。

インタビュアー/リポーターは、平成5年から28年まで「クローズアップ現代」のキャスターを務めた国谷裕子氏。


----------引用終了

田中耕一さんへのインタビュアーは国谷裕子さん。懐かしゅうございます。

番組の中で昨年ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶祐先生にも取材されていて、かねてからの持論を述べておられました。

そう、「若い研究者にチャレンジできる機会を与えなければならない」という話。

田中耕一さんの受賞以降も、日本の「そっち」の分野における予算は毎年1%ずつ削られてきていて、「ばらまき」型から「選択と集中」型へとシフトして、競争原理を導入します。すると、「ばらまき」によってなんとかチャレンジできていた若い研究者が育たず、「お寒い」現実になってきていることを報じています。

ここでいう「選択と集中」は、いったい誰がどーゆー判断基準で研究分野を「選択」するのかというと、視野狭窄的で目先の利益のことしか考えていない経済界からの要請による視点なのでしょう?

本庶祐先生は、

「そもそもね、科学の分野は世界中の研究者が、発見と発明に向けて『競争』してるんですよ。」

と仰る(そーそー、その通り!!)。

現在の科学は特定の分野のみ「深掘り」しても、「お宝」に辿り着けない---そんな気がします。

番組では、どーして田中耕一さんに焦点を当てたのかというと、上記(↑)でNHKが紹介している、

「(アルツハイマー病を)一滴の血液から発症20年前に早期発見できる」

というここに至るまでに、研究者同士、分野の垣根を越えた(=選択と集中ではなく)発想の融合があったから、なのです(そのプロセスでは若手研究者も参画していました)。

インタビューで田中耕一さんが次のように言っていたのが印象的です(言葉の細部は多少違うかもしれないけど)。

偶然とは継続的な努力の先にある必然である

自分のノーベル賞受賞が実験の「失敗」で生まれた成果であったことから、それが「まぐれ」だったのではないかと指摘されたこともあり、内心忸怩たる思いがあったであろうと推察いたします。

が、

今は、ノーベル賞受賞者が異口同音に、セレンディピティの存在について話していて、田中耕一さんも、実は、そーだったのです。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今日は「雨水(うすい)」だからなのか、雨です。

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今日のストームグラス(↓)。

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オ・マ・ケ(↓)。いただきものです。ありがとうございます。私には入店の敷居が高いお店(^_^)。

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