昨日の続きです。

先日、NABOさんの店頭に置いてあった『珈琲の建設』を読みました(立ち読みならぬ、椅子に「座って読み」)。

用いられる比喩やアナロジーがわかりづらかったり、術語の誤用等、相変わらずですが、総じて晦渋であることは変わってません(もっと、平たく言えるでしょうに・・・)。

で、

「あとがき」は、ご本人ではなく編集・出版をされた堀部篤志さんが執筆していて、その内容が、「本文」を要約、若しくは「翻訳」しているのです。

その中の一文(↓赤字強調BLOG主)。

リベラルな表現であるはずの「美味しい」でさえも、権威や資本が押し付けてくる基準や、疑似科学的な数値に惑わされ、他人の言葉に甘んじてしまう。

わかりやすく答があるものほど支持され、わかりにくく答のないものの価値は語られない。

「あっ、そーゆーことなのね。」

近年以降のサードウェーブ系に括られる皆さんが口にする「言語体系」って、私には理解することがなかなかできないでいましたから(今でもそーです)。

ネットで「ポチッ!」となをしていたら、鳥目散帰山人さんの珈琲漫考がヒット(こちら)。

以前、当店にもおいでになった帰山人さんは、コーヒー業界の人ではないのに、その該博なる知識を持ってオオヤさんの著書を斬っておられます。

こーゆー論考が無料で読めるんだもんなぁ、書籍にお金を出そうとするのが勿体ない!って、思う人が多くいて、本が売れなくなるのも、納得です。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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