かれこれ2年ほど前のプレジデントONLINEに宮台真司先生が寄せていたコラムの一節(こちら・会員登録が必要です)。
----------引用開始
学問の基本は武道や演奏と同じだ。
基本動作を反復訓練して「自動機械」のように動けるようにする。
そこに意識を使わなくなる分、意識に新しい役割が与えられる。
「自動機械」化した自分から幽体離脱し、自分に寄り添って観察する。
これを「意識の抽象度の上昇」という。
昨今の若者は「何の意味があるのか」と合理性を問い、合理性がないことをしない。
確かに企業内には不合理にみえることが多数ある。
だが企業人の初心者が逐一合理性の有無を問うても無駄。
合理性を問う前に、先行世代のマナーやルールを自動機械のように振る舞えるくらい身につけたほうがいい。
思考する価値のある問題に注力するのはそれからだ。
自分はできもしないのにマナーやルールの合理性を問う者は、思考レベルが低い。
抽象度を上げた意識から見れば、「合理的なものが非合理で、非合理なものが合理的だ」という逆説はザラだ。
若者が合理性を問うてきたら、そうした世の摂理を開陳すればいい。
先行世代自身も自分を見直す機会になる。
合理性は高い抽象度で判断するべきものだ。
----------引用終了
これを読んで、昨年のブログ(佐藤優さんが母校の県立浦和高校・校長との対談を引用した内容)を思い出しました(こちら)。
で、
ふと思うのです。
高い抽象度のレベルにおいて、合理性をもとにして判断する立場の人って、そんなに数は多くないでしょう。
そーゆー人こそ備えなくてはならない学問が「帝王学」?
古今東西の歴史に学ばなければなりますまい。それも、独学でするのはちと難しいので、ちゃんとメンターと慕う人について。
あっ、そーそー、宮台先生のコラムのタイトルは、
バカほど「それ、意味ありますか」と問う
というものでした。学問の現場で日々感じていることだったのでしょう(サブタイトルが「若者の思考レベルが"劣化"している」でしたし('A`))。
若者からしたら、無駄をしたくないんでしょうね(無駄をしていると思われたくないんでしょうね)。
そこに意味さえあれば頑張れる(と思い込みたい)---そんな教育が大手を振っている気もするし。
最小の努力で最大のベネフィットを得る人がリスペクトされる---そんなメンタリティが世を覆っていますし・・・・( ^.^)( -.-)( _ _)。
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。午後は天候が不安定になるらしいです。雷とか・・・(昨日のように)。

今日のストームグラス(↓)。

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