先日のBLOGで触れた『はじめアルゴリズム』。小学5年生が主人公で、数学的資質に恵まれているという設定でした。

「数学」が気になりだした所為か、しぜんとネットで目にとまる書籍が1冊。

世にも美しき数学者たちの日常』 二宮敦人著(2019) 幻冬舎刊

Yahoo!ニュースでも(こちらで、二宮さんと千葉先生との対談)。

昨今の大学を取り巻く環境は、「今すぐ役立つモノ」を要請されている---そのための競争的研究を強いられていて、役に立たないモノ(研究分野、特に人文・社会科学系)には予算も付けない---そんな印象デス。

そーゆー風潮と対極に位置しているのが、「数学」。純粋であるがゆえに、汎用性があることは、歴史が証明しているんだそうな。

こーゆー事だそうです。

----------引用開始(強調BLOG主)

よく、役に立たない学問の代表例として数学がやり玉にあがります。

たしかに、多くの数学者は自分の研究が世の中の役に立つかどうかなんて、まったく気にしていません。

たとえば0と1のデジタル演算は、ブール代数という数学が基礎になっています。

この代数学は一九世紀にジョージ・ブールという数学者が考案したもので、当然そんな時代に計算機などありません。

ブールは命題の真偽を演算によって処理するという、一部の数学者しか興味のなさそうなことを考えていたようです。

二〇世紀に入ってから本来アナログな電子回路にブール代数を応用して、数値の計算に使われるようになったわけですが、これはもともとのブール代数の目的外使用です。

ブールも自分自身が考えた代数学がこんなところで使われるようになるとは、思いもよらなかったに違いありません。

でも、だからこそ数学は役に立つのです。

もともと(現世利益的な意味では)目的がなく、抽象的な世界で閉じているので、数学は道具としての応用範囲がきわめて広い。

だから、何にでも使えます。

まったく異なるニュートンの光学とゲーテの色彩論をつなぐためにも、数学は非常に重要な役割を果たしました。

とはいえ、両者をつないだのは数学者ではないでしょう。

数学者は、具体的な問題には興味がないからです。

もし、数学者が現世利益を意識して学問体系をつくり上げていたら、制約ばかり多くて使いにくい道具になってしまったに違いありません。

数学は数学で抽象的な世界のなかで独自に進化し、そのなかで美しい体系が整えられてきた結果、それを応用してニュートンとゲーテを結びつけられるようになったのです。

『京大的アホがなぜ必要か』 酒井敏著(2019) 集英社新書 より

----------引用終了

二宮さんの本、花王かどうか(いや、もとい、買おうかどうか)思案中。前著、『最後の秘境、東京藝大』はオモシロかったですからネo(^-^)。

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今日の南アルプス(↓10:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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