遙か前のこと、テレビ番組でシリコンバレーにあるGoogleへの取材映像を見ていたら、レポーターの

「あなたはどんな仕事をされているのですか?」

という問いに、そのGoogle社の人は、

「私は、月の地図を作っています。まぁ、GoogleEarthの月版みたいなモンです。」

と、答えていたのを思い出しました。現在は、GoogleMoonとしてリリースされてます。

他にも、GoogleMarsとか、イロイロ出てるみたい。

どーゆー事なのかというと、先日も引用した新書『京大的アホがなぜ必要か』を読んでいて、次のような記述にであったからなのです。

----------引用開始(強調BLOG主)

未来のことが計算によってわかるなら、それに向けて効率よく物事を進めていけばいいでしょう。

目的地がはっきりしているなら、一般道より、高速道路を走ったほうが速いに決まっています。

しかし世界は不確実なカオスなので、その高速道路が最終的にどこに向かっているかはわかりません。

もしかしたら、途中で急に「工事中」の看板が出て先に進めなくなるかもしれない。

あるいは、ひどい渋滞が発生してにっちもさっちもいかなくなることもあります。

大地震に見舞われて、高速道路そのものが崩壊する可能性だってあるでしょう。

みんなが効率を優先してそこを走っていたら、人類はそこで一巻の終わりです。

「想定外だった」と呻いても、あとの祭り。

すべて想定できると考えていたのが、間違いなのです。

でもそのとき、効率が悪いとわかっていながらも高速道路に乗らず、いや、下の一般道からも外れて、広大な原っぱをあちこち駆け回っている「アホ」がいたらどうでしょう。

その「アホ」はさんざん無駄に走り回った挙げ句、誰も知らなかった道を見つけ出すかもしれません。

そうなったら、「あんな効率の悪いことをしやがって」と笑っていた人たちも、その「アホ」に救われるわけです。

それが、不確実な世界で人類が生き延びるために必要な学術の役割にほかなりません。

すべての学術がそうあるべきだというわけではありませんが、そういう「アホ」な学術もなければいけないのです。

いまの日本には、「選択と集中」というキーワードを掲げて無駄な研究を排除し、「役に立つ」とわかっている高速道路だけを走らせようとする傾向があります。

しかしその発想では、人間にはコントロールしきれないカオスを生き延びることはできません。

ですから私たちの社会には、一見すると無駄に思えるような学術研究が必要なのです。

『京大的アホがなぜ必要か』 酒井敏著(2019) 集英社新書 より

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GoogleEarthはその時点で既に身近な存在だったものの、その「月版」となると、まだビジネス的には野のものとも山のものとも、いったいどーなるのか?---まさに上記の「広大な原っぱをあちこち駆け回っている」そんなプロジェクトだったと思うのです。

しかし、

Googleでは、そーゆー研究が他にもフツーに行われている(らしい)。

酒井敏先生は、今のニッポンの大学が、そして研究者が置かれている状況を次のように見ています。

----------引用開始(強調BLOG主)

乳牛にたくさん乳を出すようにムチを打っても、乳は出ません。

むしろ、気持ちよくリラックスしてもらわなければならないのです。

「おれたちは乳牛にエサを与えるために汗を流して一生懸命に働いているんだから、乳牛も努力すべきだ」

そんなことを言っても意味はないでしょう。

エサを無理やりたくさん食べさせても、乳がたくさん出るようになるわけでもありません。

無理やりエサを与えて、ムチを打てば、乳牛は死んでしまいます。

大学や企業の研究も同じこと。

競争原理を持ち込んで、強いプレッシャーをかければ成果が上がる---という単純なものではありません。

いまの日本の科学技術政策は、まさにそこが問違っているのです。

競争を持ち込んではいけない、とは言いません。

私か言いたいのは、「生態系を壊すような過度な競争を持ち込んではいけない」ということです。

二〇〇四年の大学独立行政法人化以降、すでに日本全体の生態系としての研究開発能力が急激に落ちてきていることは、さまざまなデータが明確に示しています。

政治家や経営者のみなさんは「エビデンス」という言葉がお好きですが、それが盛大に揃っている。

ならば施策を変更すべきでしょう。

ところが政治家や官僚、財界トップの人々は「それは乳牛が努力しないせいだ」と言い張っているのです。

このままいけば、日本の科学技術は死にます。

前掲書より

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世の中ではdiversity(ダイバーシティー)が叫ばれる中、ニッポンの学術研究の世界にあっては「選択と集中」によって人文社会科学系は「お取り潰し」(若しくはすぐに役に立ちそうな「専門職の学校」化へ)、理系は「成果を出せ」と尻を叩かれる。

「遠い将来に何が役に立つのか」なんて誰も予測できないし、本当のイノベーションは、既成概念の外側からしか生まれてきません。

だから、でしょうか?

酒井先生は「京大が最後の砦です。頑張ってください。」---と他大学の先生から声をかけられるんだそうな。

折しも、先日こんな記事(私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々)がYahoo!ニュースに転載されていました(出典元は、こちら)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。梅雨の一休み、しかし、午後の予報は雨と雷。

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今日のストームグラス(↓)。

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オマケ(↓三日坊主めくりカレンダー)。想像しただけで凄い光景o(^-^)。

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