liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

タグ:人口

かれこれ3年前、こーゆーふーなブログを書きました(標題:長野・松本・上田・飯田・佐久の順番ではなく、佐久と飯田が逆転。)。
現在の飯田市の公式ホームページでは、こーゆーふーに人口数を表示しています(↓)。
iida
たぶん、外国籍の人の数も合わせた人口数らしく、長野県の統計と照らし合わせてみると、数字が合いません。
そのため、長野県の統計で比較してみましょう(↓)。
iida-saku
令和5年4月1日現在、
・飯田市 95010人
・佐久市 97335人
その差、2325人
3年前は、
・飯田市 98014人
・佐久市 98601人
その差、587人
でしたから、同規模の佐久市と比べると、飯田の人口減少が顕著です。
今年飯田市は、宝島社の雑誌「田舎暮らしの本」2023年2月号の「2023年版 第11回 住みたい田舎ベストランキング」で、5万人~10万人未満の都市の中、「住みたい田舎、総合部門日本一」になったのですが、数字(=人口動態)はありのままの現実や実態を映し出す、正直なモノです。
ここ数年、飯田市では毎年1000人規模で人口が減少しているのです。
そー言えば、
当店ではお客様の平均年齢が(店主見積もりで)60歳以上ですから、ご高齢のお客様もおいでになります。
そんな中、定期的においでいただいていたお客様が、ある日を境に「パタッ!」とみえなくなることがあります。
後日、
その奥様がおいでになり、「先日、○○は亡くなりました」と、お話し下さる---そーゆーこともあります。
「パタッ!」とみえなくなってそのままの、80歳以上の方もおられます(マイカーを運転してご来店されていましたから、免許を返納されたのか、とか・・・、アレコレ思いを巡らしてしまいます)。
斯くの如く、
高齢社会が当店でもリアルに感じられることが多くなってきました。
当地では、地縁血縁ビジネスでなければ、新規のお客開拓が難しいエリアである、ということは言えましょう。
GWシーズンでありながらも、同じ県内の他地区と比べて、圧倒的に入り込み客の少ないDeepsouthですから、「観光客」も当てにはできません('A`)。

当店から中央道・座光寺SIC(へのアクセス道路)もできたことだし、その先にある大市場に目をやったほうがいいのですが・・・(でも、どーやって!?)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
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今日のストームグラス(↓)。
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一昨日のブログで触れた人口【佐久>飯田】に関して、どーゆーわけか、その日はアクセス数がいつもより上昇しました。
それに気をよくして(^_^)、今日も人口に関しての内容です(_ _)。
1920(大正9)年から5年ごとに実施されている国勢調査。その1947(昭和22)年のデータが興味深いのです。
本来ならば1945年に実施しなければならなかったものの、WWⅡ末期~敗戦の年にかけての時期だったため(10月1日実施が基本)、その年は実施せず(できず)、2年遅れたんですね。
とはいえ、1947年はまだ戦後のドサクサの中、この時点では未だ復員してきていない人もいるし、外地から戻ってきていない人もいるし、シベリアに抑留されている人もいるし・・・・と、そんな状況だったことでしょう。
で、
『地図帳深読み』今尾恵介著(2019)帝国書院刊に、興味深いデータが載っているのです(↓)。
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帝国書院『中学校社会科地図帳』(昭和25年発行)の「日本各都市の人口」。
この時点で日本には「市」が245しかありません。さらに、人口20万人以上の都市は、18しかなかったのです(上の画像の赤枠で囲まれた都市群)。
長野県のところを見てみましょう(↓)。
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【長野VS松本】の話はよ~~くネタとして話題になりますが、「平成の大合併」以降、現在の人口を較べると、【長野37万 > 松本24万】と大きく開いています。
でも、この時点では1万人ほどの差しかない。これくらいだと、ライバル心って生じてきますよね。
長野市は「昭和の大合併」以降も、隣接の(市となっていた)篠ノ井や、松代(町)を合併して、どんどん周辺地域を長野市に組み込んでいきます。
だから、人口も増えた!?---のでしょうか?

「(それもあるけど)いや、それはね『県庁利権』都市として発展したからだよ。」

と、木下斉さんが仰っています(長野に限ったことではなく、高度経済成長期を通して、そして、それ以降の低成長期も通して、地方にある県はみな、そーゆー傾向が多いと思われます)。
この指摘、私も、首肯します。
戦後、日本各地における地域構造は、都市の階層性のもと「県庁所在都市」を頂点に、ピラミッド構造化されてきたのです(例外的なところもあり)。
それはそうと、上の画像によれば、この時点で長野県内に「市」は6つしかなかったんですね(cf山梨県は甲府だけ)。
長野・松本・上田、そして岡谷の順。
そう、岡谷市は「平野村」から「町」を経ないで、いきなり「市」制施行に飛び級したところですから、その当時の繁栄を物語っていたのでしょう。
全国に245しかなかった「市」以外は、「町・村」なわけですが、この当時、その数は10000以上もありました。そして「昭和の大合併」→「平成の大合併」を経て、現在、市町村数は1700ちょっと。
長野県は北海道’(179)に次いで、77も市町村があります(村の数は35もあり、日本一なのだとか!)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。快晴無風ナリ。
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今日のストームグラス(↓)。
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オ・マ・ケ(↓)。2020.2.09。17:10撮影(3枚とも店内から)。
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17:29撮影(↓)。
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17:40撮影(↓)。
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