liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

タグ:受験

「平成最後の」というフレーズが用いられることの多い昨今。

明日、あさってと平成最後のセンター試験です。受験生の皆さん、ベストを尽くしてくださいね。

入試問題---に関して、私立中学校の入試問題なんですが、昨年11月Yahoo!ニュースに、

麻布、開成…難関中学の入試問題が教えてくれる「学力」の本当の意味---というタイトルでコラムが載りました(こちら---既にリンク切れ)。

----------引用開始(強調BLOG主)

よく「入試は学校からのラブレターだ」と喩えられる。

私立中学の場合、入試問題はその学校の教師が作問するのが一般的だ。

麻布や開成などの最難関校では、その学校を卒業し、そのまま教師になったケースが多い。

卒業した学校の教師になるくらいなのだから、自分がその学校で受けてきた教育を肯定的に捉えている、と考えるべきだろう。

そんな先輩教師が「新しく麻布に来る後輩」に求めるのは、「知識や教養へのリスペクト」「先人の研究成果へのリスペクト」、そして「新しい知識を得る楽しさ」を共有できるかどうか、だ。

自分(教師)がおもしろいと思ったことを、目を輝かせながら聞いてくれるような生徒に来てほしいと願っている。

だから、麻布の理科入試には特徴が出る。

「君たち、世の中にはこんな不思議なことがあるんだよ。その理由はね・・・・・・」と作問者が受験生との対話を楽しむ雰囲気があるのだ。

麻布の授業はアクティブラーニングが基本。

教師は教科書を使わず、自分で作成したオリジナルプリントを使って授業を進める。

麻布の授業は、一つの答えを求めない。

一つの現象をさまざまな角度から見て考える。

ここに麻布の特徴があるのだが、やはり入試でもその「におい」が滲んでいる。

たとえば2017年度の理科。これは、これまでで一番“麻布らしい”入試だったと思う。

生物分野の「進化」をテーマにした問題の一番最後に、学校からこんなメッセージが添えてあったのだ。

----------
ここまでの話を聞くと、ヒトはトンボよりも優れていると思えてしまいます。しかし、ヒトはトンボとちがって飛ぶことができません。血液を使って酸素を全身に運ぶので、ヒトの体は飛ぶには重すぎるのです。進化と聞くと、生物が優れたものに変化するように思うかもしれませんが、進化で生まれるのは「ちがい」であって「優劣」ではないのです。
----------

このメッセージは、問題のヒントではない。

問題の途中にあるのでもない。

問1から問8までの問題と質問のあと、つまり問題用紙の最後の最後に書かれている。

ただ、書かれているだけなのだ。

つまり、これは問題ではなく「学校側から受験生へのメッセージ」だ。

入試問題を通じてメッセージを伝える……そんな「問題用紙」にいままで出会ったことがあるだろうか? 

進化することは良いことも、悪いこともある。

それに気づけるような物事を複合的に見られる子が、麻布が求める生徒像なのだ。

----------引用終了

Yahoo!ニュースでは転載記事だったので、原典をググってみると、ありました(現代ビジネスの、こちら)。

いち私立学校の入試問題コンセプトがそーならば、次世代を担っていく日本のリーダーになる若者が受験する明日、あさってのセンター試験は、国家規模で行う人材育成事業であり、人材発掘事業とも言えましょう。

問題作成者の世代が直面しているニッポンの今と、これからのニッポン人に求められる能力を、センター試験で若者に「試して」みる---以前、地理Bの問題でムーミンやバイキングのビッケ、ニルス等が登場したことがありましたが、そんなの知らなくてもちゃんと答に辿り着くような理路を踏まえた思考ができるかどうか、なのです。

ガンバレ受験生!


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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北陸三県の「豊かさ」に注目が集まり、今やたくさんのレポートや書籍が刊行されています。

昨年末読んだ本で、直接この3県の取り組みとは関係ないけれど、オモシロかったエピソード(↓)。

----------引用開始(強調BLOG主)

教育を大学入試という面から変えるため、旧文部省の二人は、ケンブリッジ大学の入学事務局、さらにガートン・カレッジの入学担当教員であるジュリア・リレイ女史の部屋を訪ねた。

リレイは、ノーベル生理学・医学賞を受賞したアーチボルド・ヒル博士の孫であり、自身は物理学者である。

祖父のアーチボルドは、ヒトラーの迫害から逃れてきた科学者たちを守ったケンブリッジ大学の理事会メンバーの一人としても知られる。

日本からやってきた官僚が入試のシステムを一通り聞いた後、質問をしたのは面接についてだった。

ケンブリッジを志願する若者たちは大学入学資格試験で高得点を得ており、それまでの学校での成績や内申書も申し分のないレベルにある。

その中から面接で合格者を選ぶのは、至難の業に思える。

リレイはこう言った。

「面接では志願者を絞るために、別の点を見なければなりません」

一人あたり最低二回は行われる面接で、知識を問うてもあまり意味がない。

もっている知識を、さまざまな状況で応用できるかが問われる。

例えば、アルジェリアに対するフランスの植民地政策について質問をされて、教科書どおりに答えるようではケンブリッジが求める学生とは言えない。

あるいは面接官が目の前の志願者を無視して、新聞を読みふけるなど芝居がかった面接を行うことすらある。

要は、対応を見るのだ。

若い日本の官僚はリレイに聞いた。

「大学が合格者を選ぶ際に、ポイントとしているのは何ですか」

すると、彼女はひと言で即答した。

グッド・エキセントリシティ

良い奇人--。

教科書を超えた発想と対応ができる若者をケンブリッジは求める。

それを「エキセントリックな良いヤツ」と表現したのである。

リレイからこの言葉を聞いた瞬間、若い官僚は「身震いした」という。

「さすが成熟社会の国は違う」

彼が感嘆したのは、今になってみれば納得できることだった。

その後、頑張って働けば右肩上がりに成長する時代は終わり、前例や規定通りの手法は通じなくなるからだ。

生きるためには考え方を変えなければならなくなり、特に社会を引っ張るリーダーには見たことのない未来を生む発想力が求められるようになる。

日本に決定的に不足しているものこそ、こうした環境の変化に対応できる「良い奇人」だ。

その転換点が、二年後の一九九八年に訪れるとは、当然ながら、この時、誰も気づいていない。

九八年、日本の社会は戦後築いてきた土台が、大きく崩れたのである。

『福井モデル』 藤吉雅春著(2015) 文藝春秋刊 より

----------引用終了

1998年は、日本の名目GDPがピークアウトし、成長が止まった---それ以降は右肩下がりが今まで続く、そんなイメージ---まさに転換点だったんだそうな。

1年間の自殺者総数がいきなり1万人も増えて、3万人に跳ね上がったのも1998年。

20年前、そんな実感が私にはあっただろうか?

今という時点で振り返ってみると、「そう、あのときがそーだったんだ」と感じる人の方が多いように思うんですけど。

でも、きっと、

引用箇所で指摘されている「良い奇人」---そーゆーふーな人たちは日本にも少数だけれど存在していて、1998年以降、自分には見えていた「未来」を信じて、チャレンジしてきたんだと思います。

それが今、ネット・ビジネスを中心にそれ相当の成功をつかんでいるリーダーたちに共通している点ではないでしょうか?

で、

そーそー、「福井モデル」。

鯖江市は今や「データ・シティ」と称される自治体ですが、遡れば、めがねフレーム生産で有名だったものの「日本で最も早く中国にやられた町」という過去があっての、「今」なんですね。

さらに、

福井県では、

「やはり一向一揆に失敗したからじゃないでしょうかね」

という話をする人が多いんだそうな。

戦国時代に浄土真宗本願寺派を中心に、僧侶や農民、商工業者などが一揆を起こしたものの、織田信長に鎮圧された---そのことを指しています。

越前、福井県の「底つき」は、ここから始まっているというのです。

僧侶たちは寺を失い、失業。信仰を守るために始めたのが、学校のような道場で、これが学ぶという習慣として、戦後も続き、今も残っている---ということらしい。

先人たちからのバトンが「今」に続いていることの自覚と、それを「今」に生かす末裔たちの工夫。

お役人や地方議員の皆さんが視察をしてきて、同じような真似事をしても、「そこ」は福井じゃないんだから、上手くいくこと、あるわけないじゃんって、トーシローの私でもわかりますゼ。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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オ・マ・ケ(↓)。いただきもののモロゾフのチョコ。ありがとうございます。

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昨日から国公立大学二次試験前期日程が始まりました。

で、

昨年から、この日のブログのためにあたためていた((^_^))ネタがあって、それが今から76年前の昭和17年(1942)年に実施された入試問題。

はい、こちら(↓)。

----------引用開始(長いですぜ)

【官立高等学校(旧制)英語」
和文英訳
「今次の戦争に依って与へられた幾多の教訓の一つは、真に貴いのは金銭や物資ではなくて精神であるといふことである」

このころは緒戦の連戦連勝に湧いていた時期なのだが、開戦四ヵ月でもう「今次の戦争の教訓」を引き出しているのは気が早すぎではないか。

おまけに、この設問では結局のところ「精神」主義が答えなのだから、目も当てられない。

そもそもこのご託宣を英訳して、欧米人に見せたところで意味として通用するのか、きわめて疑問だ。

【東京商科大学予科(現在の一橋大学)作文
文題「大東亜共栄圈の若き友に与ふ」(六百字以内)

さすが一橋大学の前身だけあって、いまと同じく「グローバルな視野」をもった人材を求めていたわけですね。

【宮崎高等農林学校(現在の宮崎大学の構成母体)作文
文題「大東亜の指導者としての覚悟」

さすが天孫降臨の聖地・宮崎にある学校は「グローバルな視野」をもった人材を・・(以下、略)。

【山口高等商業学校(現在の山口大学経済学部の構成母体)英作文
「日本人は単なる模倣の民族と屡々言はれて来た。しかしさういふ考へ方は現在大いに改められてゐる。実際我々日本民族ほど創造の才に恵まれたものはないと断定してよいと思ふのである」

「猿マネばかりする日本人」という劣等感が裏返ると、[日本民族ほど創造の才に恵まれたものはない]となってしまうのか。

このようにいきなり断定してしまうのは、一般に「逆ギレ」と呼ばれている開き直りの態度とよく似ている。

【長崎高等商業学校(現在の長崎大学経済学部の前身)英作文
「戦争が五年も続きながら、余り大して困つてもゐない日本の食糧の豊富なのには、外国人は驚き、羨ましがつてゐるさうである」

一九四二年度(昭和十七年度)の入学試験なので、ここで指しているのは日中戦争が全面化して以降の五年間のこと。

すでに早くから砂糖は配給制(一九三九年〔昭和十四年〕)になり、白米も六大都市では四一年四月から、全国では同年十二月から米穀通帳による配給制が施行、ほかに味噌・醤油も配給制になっていた。

にもかかわらず「大して困つてもゐない」と書けるのは、烈々たる愛国心のためか。

四二年以降の食糧事情を知る私だちからすると、戦争をやっているのに食糧豊富な「日本スゴイ」で外国人もビックリ……という一文には、虚しいものを感じる。

【大分高等商業学校(現在の大分大学経済学部の前身)英作文
(一)十二月八日亜米利加合衆国太平洋艦隊所属の戦闘艦五隻は日本海軍の為に撃沈せられ、三隻は大損害を蒙リ、一隻も亦若干の損害を受けた。これで同艦隊の主力は全滅した。
(二)戦争の勝敗は武器や物資の多少によって決せられるものでは無い。国民の精神力如何による事が頗る大である。

(一)はニュース英語の範疇とはいえ、(二)の英作文はちょっと難しい。

近代戦争にも勝利する「国民の精神力」という概念を英語のネイティブに伝えるには、単に語学の知識だけではムリな感じを受ける。

【小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学の構成母体)国語及び漢文
次の文中、片仮名の部分を漢字にて、其の下にある括弧内に記入せよ。

「大東亜戦争は東亜に於ける資源を米英多年のサクシュ(  )のキハン(  )より解放して、東亜の自主的共栄的経済建設を確立せんとすることがモクヘウ(  )である。従って今次戦争は東亜経済全体の生産性カウヤウ(  )のもつとも重要なるゼンテイ(  )である。皇軍の緒戦に於けるカクカク(  )たる戦果を思ふにつけても真にイウシウ(  )の美を済さしむるためには、軍事行動とヘイカウ(  )し、神速なる資源確保のハウサク(  )を樹立し、戦争遂行に必需なる我が国経済力を増強し、生産を増進することが産業人に課せられたるセキム(  )である」

漢字の穴埋め問題のほうは比較的簡単だが、高等商業学校の問題だけあって、産業人からみた「大東亜戦争」の意義と責務を簡潔にまとめているのが興味深い。

戦争の大義名分を「米英多年の搾取の羈絆より解放」することだと述べながらも、末尾では「神速なる資源確保の方策を樹立し」とアジアの資源を確保することを訴えているわけで、なんともさもしい「解放」ぶりなのだった。

【府立高等学校高等科(現在の首都大学東京の前身)国史
(一)皇国が東亜の安定勢力たる所以を説明し、明治以後の外交につきてこれを例示せよ。
(二)国民精神作興に関する詔書中の「国家興隆の本は国民精神の剛健に在リ」の意義を、歴史上の事例一二を挙げて説明せよ。
(三)我が国兵制の沿革を略述し、且つ今日の所謂「国家総力戦」の意義について所見を述べよ。

「国史」とは現在の日本史のこと。

大学受験の日本史科目で問題が論述三問しかない、というのは最近もあるのでしょうか。

ともあれいずれの論述問題も時局色が濃厚で……というよりも、時局ネタを国史にかこつけて論述させようという意図のように思える問題だ。

当時の全国の高等学校・大学予科の入試問題には、国史・英語・作文部門でこんな問題が大量に見られた。

最近は、一部の自称愛国者諸君が大学入試問題にもケチをつけるようになっているが、再びこのようなありさまにならないよう祈るばかりである。

『「日本スゴイ」のディストピア』 早川タダノリ著(2016) 青弓社刊 より

----------引用終了

出典元は、「受験と学生」調査部編 『学生受験年鑑昭和十七年版』 (研究社、一九四二年〔昭和十七年〕)からだそうです。

そこから早川タダノリさんが戦時中に見られる『「日本スゴイ」のディストピア』的入試問題をセレクトして、コメントを寄せています。

これらを選んだ過程でフィルターがかかっているにせよ、この本(↑)の趣旨は戦前から戦中にかけて「歴史のゴミ箱に捨て置かれたようなクダラナイ本、知っていても役に立たない本、人類の運命にとってはどうでもいい本厳選して収集し」、そこから透けて見えてくる近年の「ニッポン・スゴイ!」言説とのアナロジーを見事に照射しています。

今からすればトンデモ本の類が大真面目に、そしてそれらが大ベストセラーになったり、教育現場で実践されたりと、いやいやどーして、この頃のニッポンを知ってしまえば、「今の北朝鮮」を笑えませんゼ。

例の棚に置いてあります(↓)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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数年前の地理Aで、「ONE-PIECE」のチョッパーが登場したことがありました(が、画像の一部に写っていたくらいだったので、また地理Aという、受験者が数千人という科目でもあり、チョットだけ話題になった程度でした(^_^))。

で、

今回のムーミン騒動です。

モンダイの問題は、こちら(↓)。

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地理Bは地歴公民の科目の中では、14~15万人も受験する科目です。

この設問1つ(配点は3点)の正誤によっては・・・・・・、とナーバスになる人がいるかもしれません。


ふと、

この問題の作成者は、50歳代の方ではないか---と思うのですネ。

幼少時にアニメのムーミンやビッケをリアルタイムで見ていた世代。

自分がセンター試験の問題作成者となった今、「与えられた情報から、もっとも正解に近い答えを導き出すための『ネタ』にできないだろうか?」と考えて、ムーミン・ビッケ・ニルスを登場させて作った問題が、いくつもの検討会議を通過。

たぶん、嬉しかっただろうな---と私はその方に思いを馳せるのです。

でも、

話題にはなれど、

受験者はなにも、ムーミンやビッケを知らなくても、答えに辿り着くことができる設問になっているところがミソ。

高校の授業ではちゃんと、

1:ヨーロッパにおいて、フィンランドやハンガリー、エストニアはウラル語族なのでインド=ヨーロッパ語族とは違うこと( → 一方、ノルウェー語とスウェーデン語は類似性が高いこと+デンマークを含めた「北欧」の括りでOK)

(2:フィンランドは大国ロシアの威圧を受け続けてきたこともあり、日露戦争で日本が勝利したことを大変喜び、記念に「東郷ビール」を製造、今も作り続けていること。)

3:フィンランドはボスニア湾に面しているものの、冬季は凍結してしまい、船舶でのヴァイキング活動に支障が出る( → 一方、ノルウェーは北大西洋海流のおかげで通年、港の利用が可能。ロシアの南下政策の背景にも言及可能)。

4:ノルウェーのフィヨルドは入江を形作り、それは“VIK”と呼ばれ、そこに拠点を構えていた海賊が“VIKING(ヴァイキング)”。

---といったようなことは、やっているはずで、なにも「ムーミン谷」がフィンランドにあるのかないのか、その作者(トーベ・ヤンソン)がスウェーデン語系フィンランド人であるとか、別に知らなくてもカンケー無し。

とまぁ、

与えたれたデータから類推して最適解に辿り着く---という、これからの社会に求められている思考法を問う、切っ掛けになりそうな問題でした。

それを、

阪大の先生は「厳密性の観点」という、学者先生にありがちな視野狭窄的な立場から、問題提起をされているようです。

そうそう、ムーミンの公式ホームページのコメントが、またいいですよね(こちら)。

で、

今回のムーミン騒動で思い出した。それも幼少の頃に抱いていた、ムーミンの不思議さについて。

こっちのほうが、私にとっては未だ解決されない大問題だ(^_^)。

それは、

ムーミンはいつもは裸(!?)なのに、水遊びをするときには、どうして水着を着るのか???

ということ。

当時の私(子供)感覚では、「それ、ヘン!でしょ!」だったんですけど・・・・・。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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ビル・ゲイツ曰く「大人はもちろん、初等教育から『STEM』を重要視することこそ、国の競争力に直結する」。

【STEM】は、サイエンス(Science・科学)の「S」、テクノロジー(Technology・技術)の「T」、エンジニアリング(Engineering・工学)の「E」、マースマティックス(Mathematics・数学)の「M」、これで「STEM」。

理系科目が重要だという指摘、身に沁みます(あたしゃ文系だったモンで)。

で、

先日、日経ビジネスwebを読んでいたら、鈴木寛さん(文科省大臣補佐官)と成毛眞さんの対談が載っていました。

そこからの引用です。

-------------引用開始(強調BLOG主)

(前略)

成毛:大学入試が変われば、予備校も変わりますね。

鈴木:予備校で論述を学ばせるようになりますね。ただ、論述指導にはコストがかかります。ですからその分、コストを上げることになって、予備校のビジネスモデルは変わることになるでしょう。

成毛:ただ、論述指導もAIでかなりできるようになるでしょうね。

鈴木:採点も同様です。すでに今、TOEFLの論述問題は自動で採点しています。

成毛:高校教育も変わりますね。

鈴木:すると新たな問題が出てきます。新しい入試に対応した勉強を教えられる教員がいる地域とそうでない地域、また学校の差が出てきてしまうのです。

成毛:有名私立の中高は有利になりそうですね。

鈴木:これを機に起死回生を図ろうとしている私立校は幾つも見受けられます。一方で、こういった構想に根強い抵抗を示しているのが、地方公立高校校長会です。

この主要メンバーは、旧制一中の校長先生なのですが、十分にマインドセットが変わっていない方が多いような気がします。知識偏重型の教育にまだ固執している。

(後略)

「AI時代を生き抜きたいなら「STEAM」を学べ」

-------------引用終了

昨日、京都府教育委員会が発表した、このニュース。既に今でも教員の「教える」能力差がハッキリしているわけだから、新しい入試に対応した授業ができる教員の「質」、課題になってきそうですね。

学校間格差はもう自明のこととして、それがさらに「地域」にまで拡大していきそうだという鈴木さんの指摘、たぶん、これはもう現実に起きているコトじゃん---と追認しているふーに思えてなりません。

むしろ【ICT】によって、教育の地域間格差縮小への可能性を見てきた私にとっては、「あっ、そーか。それを上手に使いこなせる教員がいないことにはねぇ~」と、再び暗澹たる気持ちになるのでした( ^.^)( -.-)( _ _)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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先日のおおたとしまささんの本で、懐かしい新書名が出てきました。

それが、『大衆教育社会のゆくえ』 苅谷剛彦著(1995) 中央公論新社刊(中公新書)。

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もう20年以上前の出版です(青棚に置いてあるのは、先日Amazonマーケットプレイスで購入したもの)。

当時を思い出します。

長野県では耳塚寛明論文に刺激され、「学力問題」がかまびすしい頃だったと思う。

クミアイ的には「難関大学への進学率低下という問題に矮小化すべきではない」などと主張していたような気がしますが(そんなコト言ってたら、保護者の支持なんか得られませんよ)、それからの20年を見ると長野県も「バスに乗り遅れるな」状態。

そりゃあ他県視察なんかすると、「そこまでやっているの!?」という驚きの連続でした。

できることからやりましょう---ということで、制度をいじったり(通学区制の緩和)、現場での「他県に学ぶ」実践等が、「定着」していきました。

で、そーそー

苅谷先生の著書をおおたさんが次のように要約しています。

-------------引用開始

「アメリカやイギリスでは、社会階層の低い家庭の子供がなぜ学業でも低い成果しか上げられないのかについて多くの研究が行われている。

遺伝でも経済格差でもなく、家庭文化とでも言うべきものが、その後の学校での成果に影響していることが指摘されている。

例えば使用する言葉が違う。

中流以上の家庭の子供は、普段から副詞や接続詞を適切に使い、客観的な文章を組み立てているが、労働者階級の子供は対象と自分を同一視しがちで、単純な構文しか使わない。

そのような家庭文化が学校での成果に影響を与えているというのだ。

また日本の研究でも、親の収入が高くても親の学歴が低い場合には子供が高学歴を得るとは限らず、親の経済力よりも親の学歴に相関する家庭の文化的環境が子供の成績に影響していることが指摘されている。

さらに、収入レベルが同じ家庭で子供の成績が同じであっても、学歴の高い親ほど子供により高い学歴を期待し、その期待を受けて、学歴の高い親の子供はより高い学歴を得ることも分かっている」

つまり、家庭での「当たり前」が、子供の学業での成果や学歴に影響を与えているということだ。

これと同じことが、名門校でも起きていると考えられる。

-------------引用終了

苅谷先生はSSM調査(社会階層と社会移動全国調査)の結果から分析するというもので、(まだ若かった私はこの本の中で登場する)文化資本とか社会関係資本とか、ぜ~んぜん知らずo(^-^)、その主張に目を瞠ったものです。

学歴が、実際は、特定の社会階層の再生産に寄与していることを、具体的なデータで実証していて(「あっち側」の人たちはスタート時点で「下駄」を履いている=恵まれていることを自明のこととしていること)、受験は誰にとっても平等性を担保しているかのような当時の言説とは、一線を引いています。

おおたさんの指摘する

家庭での「当たり前」が、子供の学業での成果や学歴に影響を与えている

という指摘、実は耳塚先生(現在はお茶の水女子大学副学長)も、ペアレントクラシーという言葉を「親の願望や学歴期待の大きさが、子どもの地位を左右する社会になってきているという意味」で用いています。

社会共通の「当たり前」が通用しない「格差社会・ニッポン」へ。

この20年で誰の目にも見えるような「階層社会ニッポン」、復活したんですね(戦後の高度経済成長期~1億総中流社会のほうが「特殊な時代」だったんだと思います)( ^.^)( -.-)( _ _)(x_x)。



オ・マ・ケ
おおたさんの要約で思い出した。

イギリスのサッカー選手D・ベッカムはどうして寡黙なんだろう?---という疑問に対し、話す言葉で「わかっちゃう」からなんです、という指摘をしていた人がいました。高給取りのセレブでも、階級社会のイギリスでは話せばそれだけで、「お里が知れる」---日本もそーゆーこと、あると思うんだけど。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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今日のストームグラス(↓)。

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明日は長野県の高校入試(後期選抜)。天気が心配ですが、雪ではなさそうです(雨か・・・・)。

小さい県域の富山や山梨などは「全県一区」という大胆な規制緩和(!?o(^-^))をしていますが、長野県は県域が広いため、また各盆地や谷は険しい山脈・山地で隔てられていることから、かつては日常生活圏に基づいた12通学区に細分されていました(それ以前は4つ、北信・投信いやもとい東信、中信、南信の各地区)。

現在の4通学区(↓これって、「先祖返り」みたいなもんですo(^-^))。

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非常に大雑把、隣接通学区にも「行けるんだったら、行ってもOK」ということになっていて、「隣接」していない第一と第四通学区以外は、形式上どこでも行けるというユルさです。

で、

今年の後期選抜の志願状況をまとめてみました(↓)。

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ふと思ったことは、受験生の動向って、I・ウォーラーステインのいう世界システム論の「中央・半周辺・周辺」のようだ---ということ。

長野県域の「周辺」に位置しているエリアから「中央」に吸い取られている---とでも申しましょうか。

図にしてみました(↓)。

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飯山(1) → 長野(3)

佐久(6) → 上田(5)

木曽(10)、(諏訪・7) → 松本(11)

こーゆーふーな傾向を読み取ることができます(図中の青矢印。当然、逆流もあります)。

そんななか、第9通学区(下伊那)は Deep South ゆえ、隣接通学区まで通学できる環境にないために、そこだけ「独立エリア」のよう(調整区にある中学校の動向も無視できませんけど、今回は無視)。

結局、長野県立高校入試であっても、「下伊那地区大会」なんですね。

するとどうなるか?

心配する親が出てきます。

「ここで、この子の進路保証はできるだろうか?」---と。

早い動きとしては、小学校段階で才教学園へ、中学校段階では松本秀峰へ。

次のような志願者資格を満たせるならば、

「松本市及び近接する市町村に,保護者と共に居住する学齢該当児童で,本校へ自力で通学できる者。」

信州大学附属松本中学校へ。

はたまた、応募資格の、

(2) 長野市及び長野市に近接する市町村内の小学校に在籍している児童で、本校まで徒歩・自転車及び公共交通機関を利用して自力でおよそ1時間程度で通学可能なこと
(3) 現在は(2)に該当しないが、平成28年4月1日以降は(2)に示した通学区内に保護者と共に居住予定の児童

の場合は、信州大学附属長野中学校へ。

この2校受験のため、世帯主だけ残して(旦那だけ逆単身赴任)、引越をなさる---のだとか。


交通網の変化が新たな通学環境の変化をもたらす---そんな例をひとつ。

アルピコ交通の特急バス・長野-白馬線です。 → こちらに時刻表と路線図。

これまで白馬村の生徒は(大町市をスルーして)松本市内の学校へ通うということがありました。

でも、白馬村から松本市へは大糸線(普通)で1時間40分かかります。

で、

この特急バス・長野-白馬線だと、1時間5分で長野駅へ到着。

そーゆー流れが図中の赤矢印

こーゆー構図を敷衍すれば、リニア中央新幹線・新飯田駅ができたら、名古屋まで20分、東京(品川)まで40分ですから、「下伊那地区大会」からいきなり県大会を飛び越して、「東海大会」や「関東大会」に参戦という層が出てくることは確実。

それは上位層のなかでもホンの「上澄み」層でしょう。

リニア利用の通学費よりも、子どもの将来に重きを置く高所得層にとっては、より確実なほうを選択するのは経済合理性にかなった行動です。

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星野リゾート代表取締役社長の星野佳路(ほしのよしはる)さん。

小学校は地元軽井沢の公立でした。小学5年から毎週末、都内の中学受験予備校(塾)に通い続けます。

当時はまだ長野(北陸)新幹線はありませんから、土曜の午後に「あさま」に乗って上京(まだ週5日制でもない)。

日曜日の最終で帰宅。

目指すは慶應義塾中等部。

無事合格して、そのまま慶應義塾大学(経済学部)までエスカレーター。

経済活動の場がローカルであっても、そのトップは御曹司に「帝王学」を学ばせるために、最善を考え、行動する(レールを敷く)。

いつの時代も、そーゆーふーにできているのでしょうね。

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何はともあれ、受験生の皆さん、明日の入試がんばってくださいね。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。飯田の今日の予想最高気温21℃。

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今日のストームグラス(↓)。

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先日、FM愛知(通称、@FM)を何気なく聞いていたら、今日のタイトルのCM(!?)が流れてきました。

どこがスポンサーだったのか、それも注意していなかったので、耳に残ったフレーズは「受験生は地元の代表」という部分のみ。

で、

昨日今日と大学入試センター試験なんですよね。

受験生の皆さんの合格、それに至る要因ってなんだろう?---野次馬的に考えてみました。

1.本人の学力(実際に受験する当人だしね)。

大学合格者の「傾向」を徹底分析---と称して、大学合格者対象のアンケートを実施し、さまざまな点から彼らに共通する「傾向」を探った、こんなホームページもあります。

そこではあくまで、「本人の努力」が主人公!?です。

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2.学校の進学指導体制(組織がちゃんと機能しているか)。

3.個々の教員の力量(生徒に実力を付ける、そして大学における「学び」の楽しさを伝える授業ができているか)。

4.学校以外の教育施設の充実度(塾や予備校等の存在。近年はICTによって僻地でも良質のネット授業を受けることが可能になってきているので、それら通信環境の充実具合も含む)。

5.家庭の経済力(「教育」にこれまでどれだけお金をかけてきたか)。

6.家庭の文化資本、社会関係資本(教室の中だけでは見えてこない本人のバックグラウンド。ひらたくいうと「おうちの雰囲気」。地縁血縁等を含み、受験生にインフォーマルな情報を提供できる人々がいる、そーゆーつながり)。

7.地域の「学び」に対する雰囲気。
かつて「教育県」と言われた長野県では、野良仕事で一休みしている時(いや、お風呂の湯を沸かしているときだったか?)でも、農家の人が岩波書店の雑誌「世界」を読んでいたとか---そーゆー都市伝説、いやイナカだから田舎伝説か? こーゆーものにみられる「親の背中の集合体」とでも申しましょうか、地元に住んでる人々が醸すムードです。

で、

これらが複雑に個々の受験生に絡まり合って、合格か不合格という二択の結果をもたらします。

じゃぁ、「合格」というその成果への寄与率(こーゆー表現があるのかどうかわからないけれど)、何がイチバン受験生に影響を与えたんでしょうか?

これって個人差ありすぎです。受験生が100人いれば百人百様。

まさに0%~100%までのグレーゾーンと言ってもいい。

(だから公立校の教員も教職に安住できる。えげつない私立校では、そーはいきますまい。実際はどーだか知らないけど。)

「受験生は地元の代表」

これって、「地元」の総合力を試されている---そんな気がします(経済力の比率が高い、とは思うけど)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今日から明日にかけて「大雪」の予報がでてますぜ。

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今日のストームグラス(↓)。

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昨日の続き、『「学力」の経済学』 中室牧子著(2015) ディスカヴァー・トウェンティワン刊 の中で、著者が引用していた、大竹文雄教授(阪大)の一文に得心すること、しきり。

因みに大竹先生、Eテレの「オイコノミア」という番組で(芥川賞作家の)又吉直樹先生o(^-^)とご一緒することが多い、髪の毛ツンツンの先生です(大竹先生、いつのまに副学長になったんですか! さらにいえば、橘木先生と「日本の格差」問題を巡って論争した(論破した)その世界では有名な先生)。

-------------以下引用(強調BLOG主)

平等主義的な教育は、「人間が生まれながらに持つ能力には差がない」という考え方が基礎となっています。

ですから、努力次第で全員がよい成績を取れると考えるわけです。

しかし、残念ながら、現実にはそうではありません。

子どもの学力には、遺伝や家庭の資源など、子ども自身にはどうしようもないような要因が大きく影響しています。

しかし、平等主義的な教育のもとでは、こうした現実にはあまり目が向けられることはありませんでした。

この結果、子どもは、本人が努力しさえすれば教育によって成功を得られる、別の言い方をすれば、成功しないのは、努力をせずに怠けているからだと考えるようになってしまい、不利な環境におかれている他人を思いやることのないイヤなタイプの人間を多く育ててしまっているのです。

-------------引用終了

この一文は、まず教育関係者が目を通すことがないであろう、『経済セミナー』2015年2/3月号』に掲載されていたモノです。

強調した部分に関しても、ちゃんとエビデンス(科学的根拠)があるんだそうで、(↓こちら)。

Ito, T. , Kubota. K, . & Otake, F., The hidden curriculum and social preferences. RIETI Discussion Paper, 14-E-024. Reseach Institute of Economy, Trade & Industry.

英文で、それも経済系の論文誌なら、それを見る人、限られますねぇ。

教育関係者ならば、フーテンの寅さんの如く、

「それをいっちゃぁ、おしめぇよぉ~。」

と、感じてはいても、正面切ってなかなか言えそうもないことを、「経済学者」の観点から言っちゃっています。

その最たるモノが、この本の帯についている目次(↓)。

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そして、カバーにも読者を挑発するこんなコピー(↓)。

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なんせ、日本では教育を受けたことのない人はいないだろうから、みなさん自分の経験をもとにして一家言もっているものです。それが「現状に合わない」ノスタルジーに包まれていたとしても、です。

教育を左右する文科省の政策は、エビデンスがなくても、なぁ~んか雰囲気でず~っとやってきた、そんな印象ありませんか? 例えば、「生きる力」とか、「ゆとり」とかね。

この本、ディスプレイ本棚に置いておきます。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影))。久しぶりの青空!

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今日のストームグラス(↓)。

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お客様からいただいたプルーン(お通じがよくなりますo(^-^))。ごちそうさまです。

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地方の進学校ではよく、「受験は団体戦」と称して指導に当たっている、そーゆー先生・学年・学校があります。

その根拠となるのが、「エドガー・デールの学習の法則」だと思うんですね。

それは、

「人が学びを得るためには、読むことによって10% 聞くことによって20% 見ることによって30% 見てかつ聞くことによって50% 言葉にするか書くことによって70% 他人に教えることによって90%となる

というもの。

「みんながライバル」じゃなくて、「他人(級友等)に教えることによって、自らの学びが90%獲得できる」という、まさに「情けは人のためならず」の実践。

それがいろんなベクトルで、ネットワークを介して広まっていけば、そりゃぁス・ゴ・イ・クラス、学年、学校になると思うんです。

ビジネスの現場でも、7・2・1ルールというのがあって、優秀なファンドマネージャーは「何」から学んだのか---という調査結果でも、

研修や読書 10%

周囲からのフィードバックや他者の観察 20%

実際の仕事や自分自身の経験を通じて 70%

なんだそう。

つまり、自らが能動的に言葉や文字にし、実践すること → 教えられた方も、教えた方もウィンウィンの関係が成立

とまぁ、こーゆーことが集団の共通理解として、共有されていれば、いいんですけどねぇ・・・・・・・(なかなかそーならないんだ、これが)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。終日、雨の予報。

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今日のストームグラス(↓)。

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先日飲んだサイダー(↓)。このサイズ(200ml)で350円はチト割高?

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理由は(↓)。

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紅葉色の理由は、もみじそのものからの抽出エキス、その色だったんですね(下に沈殿しているけど、激しく振らずに、ゆぅ~っくりと振る)。




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