liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

タグ:受験

昨年の河合薫さんのコラム(グローバル化でKAROUSHI 急増! 社員を壊す“加速の罠”)を読んでいて、社員を教師または生徒、上司・経営陣を校長または教育委員会、そしてスピードを進学(率)と置き換えると、

「あ~ら不思議、そのまんま病める学校に瓜二つ!」

長くなりますけど、引用しますね。

-------------以下引用

「経営陣も、なんとなくそのことは分かっていると思います。

ところが、そういう部署(BLOG主注:メンタル不全の社員をかかえる部署)って、大抵、業績が良いチームだったり、成績の優秀な人が上司だったりするので、見て見ぬふりをするんです。

私(BLOG主注:企業内保健師)は社員1人ひとりの健康を守るのが自分の使命だと思っているので、これまでも散々、問題点を指摘してきました。

でも、のれんに腕押しというか、なんというか。

問題の本質を改善する動きには、なかなかつながらない。

残念ですけど、1人の社員を守るより、企業を守ることが優先されているんです」

過労死――。

これはそのまま「KAROUSHI」と訳されるように、数年前まで、日本人特有のものと考えられてきた。

ところが、グローバル化が進み、世界規模で働く環境が激化したことで、KAROUSHIは世界的に広まっている。

フランス、イタリア、ドイツ、中国などでも、職場のストレスによるうつ病や、過労による自殺などが増えていると報告されているのだ。

なぜ、グローバル化でKAROUSHIするのか?

答えは“スピード”である。

グローバル化で競争が激化したことで、企業環境は複雑さを増した。

事業活動の数を増やし、業績目標を高くし、生産性にこだわり、スピードを重視する企業が増えた。

こういった取り組みは、短期的な競争には効果的で、企業の業績は一時的に向上する。

だが、「スピード重視の文化」を継続的に進めていると、やがて従業員のエネルギーは消耗し、やる気が失せ、手を抜くようになる。

すると、経営陣は「どうにかしなければ」と焦り、社員へのプレッシャーを強め、より労働者たちは疲弊する。

さらに、うつ病になったり、身体を壊したりする社員が出ると、残った人たちの負担は増える。

その結果、ますます労働者は疲れ果て、生産性は下がる。

つまり、「スピード重視の文化」は、長期的には企業業績の悪化を招くというわけだ。

このメカニズムを、ザンク・ガレン大学教授のハイケ・ブルック教授らは、「The Acceleration Trap=加速の罠」と呼んだ。

この「加速の罠」から脱却するには、企業は戦略を絞り、不要不急の仕事を中止し、高すぎる目標の設定を止め、休息期間を導入する措置をとることが不可欠なのだが、これがなかなか難しい。

加速して先頭に立った成功体験が忘れられないし、ネズミとりをする警察もいなけりゃ、オービスもないので、法定速度(=人間の適正速度)をオーバーしているという認識も持てない。

おまけに、中には猛スピードに耐えられる能力を持った人もいるので、業績のいいチームや、スピード狂のマネジャーを重宝し、それがスタンダードになったりもする。

「同じ状況でも元気にやってるヤツはいるぞ!」と。

近い将来には、その人たちも疲弊してしまうのに、そんなことは微塵も考えない。

ひたすら猛スピードで走り続けることを要求するのだ。

アクセルをずっと踏み続けるだけの、緊張感、集中力、体力は長く続かない。

グローバル経済のスピードは、人間の適正スピードじゃないことが、KAROUSHIが増えている背景にあると考えられるのである。

おそらく“ヤバいチーム”というのは、加速の罠から抜けられない組織か、スピード狂のリーダーのいるチームのどちらかなんじゃないだろうか。

-------------引用終了

「加速の罠」とは言い得て妙で、ベンキョウになりました。

特に引用最後の一文、“ヤバいチーム”をそのまんま「ヤバい学校(学年)」としたら、思い当たる節があるんです。

文中でこの罠への処方箋が指摘されてはいるものの、現実にはなかなかムズカシイ(変わらない組織に対する個人としての対応では、とにかく自分だけは「守りに入る」しかないんだろうし、そうしないと「壊れて」しまいかねない環境のなかでは、「個」に応じた丁寧な対応なんて、無理無理。こんなのみんながみんなできるわけでもなさそうだし)。

---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 1









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 2






















オ・マ・ケ。玄関前の乾湿計(超アナログ↓)。

イメージ 3




























11時の時点で32℃オーバー+湿球とのから読み取れる湿度は96%超!

すんごく、蒸し暑いんです、玄関前は!

(でも店内は、快適です。気温26℃、湿度49%)。

昨日の続き(!?)、『稼ぐ力』 大前研一著(2013) 小学館刊--で、触れられていたこと。

教育が専門でもないビジネスマンの大前さんだからこそ、彼に対してこーゆーこと(↓)を話したのかなぁ、その政治家は・・・・・、などと勘ぐってみたくなります(意外にもホンネだったりする場合が多い(゜Д゜))。

-------------以下引用(強調BLOG主)

私はかつて、偏差値導入を主導した政治家から話を聞いたことがある。

ベトナム反戦・第2次反安保、学園民主化などで大学闘争が活発化して東大安田講堂事件(1968~69年)が起きた後、私が「日本はこのままいくと若い人たちが不満を募らせて、クーデターを起こすのではないか」と懸念を示したところ、その政治家は「大前さん、その心配はないですよ。国にも、アメリカにも逆らわない従順な国民をつくるために『偏差値』を導入したのですから」と答えたのである。

私は偏差値がそれほど重要な意味を持っているとは思っていなかったので非常に驚いたが、偏差値はそういう目的で導入された「システム」にほかならないのだ。

偏差値によって、たしかに事前に効率よく学生を割り振って受験させることが可能になった。

-------------引用終了

その後の共通一次試験の導入や、現在のセンター試験においても、見事なまでに輪切りが可能になってますしねぇ(時折、京都大学が異を唱えて、別の物差しや仕組みを持ち出そうとしますが・・・・)。

偏差値は自分の「分際」「分限」「身のほど」をわきまえさせるためのもの、つまり「あなたの能力は全体から見るとこの程度なんですよ」という目安。

そう、「目安」でしかないんです。

だけどそれによって、効率よく振り分けられるという差配システムなんですね。

こーゆーものとのつきあい方としては、

「参考にはするけれど、それには振り回されないで、自分で考えて結論を出す。」

というスタンスがいいと思うんですケド。


-------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。飯田の予想最奥気温は今日も35℃(x_x)。

イメージ 1









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 2























オ・マ・ケ、7月27~29日の三日坊主めくりカレンダー(↓)。満員電車なのに駅間隔が長い埼京線とか・・・・。

イメージ 3





次のランキングは・・・・・・・?

1位 ベネズエラ

2位 サウジアラビア

3位 カナダ

4位 イラン

5位 イラク

6位 クウェート

7位 アラブ首長国連邦

8位 ロシア

9位 リビア

10位 アメリカ

石油関係だということはわかります。

が、

生産量ではなさそう。

実は、これ「2012年末時点での世界の石油埋蔵量」なんだそう。

確かガッコウではサウジアラビアが「埋蔵量は世界一」と習ったはずだが、最新データではベネズエラが世界一なんだそうな。

埋蔵量は、経済的に適う採掘可能な量。

換言すると、掘れば儲かる石油の量。

採掘費用が膨大になるため、儲かりそうにない石油は埋蔵量にはカウントせず、資源量として扱う。

でも、採掘技術は進歩しており、一方で原油価格が高騰すれば、採掘して採算が取れる「石油埋蔵量」は、増えていったりする。

逆に、価格が下落すれば、掘っても儲からない油田は放置プレイ(!?)か?

シェール・オイルの登場が、単純に石油採掘可能年数の延長に結びつかないところが、ややこしい(すべてにオカネが絡んでくるし、それと技術の掛け合わせ、か)。

だから数年すると、また順位は変わるかも?

(ちなみにこれ、とある銀行からのメールで知ったことです。)

-------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。昨日とは打って変わり、清々しい。

イメージ 1









































今日のストームグラス(↓)。でもガラスの中は!?

イメージ 2



以前のセンター試験・地理Bの問題。

木材の伐採量・輸出量・輸入量に関して、世界全体に占める割合上位10カ国を世界地図上に示し、

「どれが、伐採量・輸出量・輸入量でしょうか? 正しい組み合わせを選んでね!」

という問題が出題されました。

解答に際してのポイントは、

熱帯林のある途上国では伐採量は多いものの、地元で薪炭材として煮炊き用に自給されてしまうため、輸出にまわらない。---このことを知っているかどうか、です。

つまり、途上国はまだ豊かではないので、エネルギー転換が各家庭レベルで進んでいない。

そのため、ガスや石油を購入するまでに至っておらず、木材を自家消費、そんな経済格差を読み取ることもできる問題でした。

さて、

そんなセンター試験問題とはぜんぜ~~ん関係ない、

『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』 木暮太一著(2012) 星海社新書 で、熱帯林に関して触れていた指摘のほうが私(わたし)的には、新鮮!---でした。

-------------以下引用(長いですぜ)

生存競争が激しい熱帯雨林に生息している樹木は、どの木も、隣の木よりも多くの光を得ようと上へ上へと伸びる。

ところが、それでは「影」に隠れてしまう木が出てくる。

その影に隠れた木々は、太陽の光を得ようと、他の木と同じ高さまで伸びようとする。

もしくは、いちばん高く伸びて、光を独り占めしようとする。

すべての木が同様のことを考えているため、熱帯雨林の木々は非常に背が高い。

ところが、ふとその熱帯雨林を俯瞰して全体を見渡してみると、光を得ているのは最上部の葉っぱだけだということに気がつく。

一生懸命背伸びして、高いところにたどりつこうとしているが、日が当たっているのはごく一部なのである。

そして、より大事なことは、すべての木の背が低くても「各樹木が得られる光の量は同じ」ということだ。

自分だけ太陽の光を得ようと競い合って伸びても、誰も何も考えず「当初」の高さでとどまっていても、「得られるもの」は同じだったのである。

熱帯雨林に生息している樹木は、なんと無駄なことをしているのだろうか。

この指摘は、資本主義経済に生きるわたしたちの姿をよく表していると言えるのではないでしょうか?

ほとんどの人は、より多くの光を得るために「他人よりも上」に行こうとします。

ところが、他人も同じことを考えており、みんなとりあえず上を目指して生きています。

その結果、熱帯雨林の木々と同じように、最終的に得られるものは「競い合う前となんら変わらない」という状況に陥っているのです。

なんとも皮肉な結果です。

では、競い合う前とまったく同じ状況なのかというと、そうではありません。

熱帯雨林の例でいえば、木々が太陽の光を求めて競い合った結果、「得られるもの(光の量)」は競い合う前と変わりません。

では、何か変わったのか?

そう、競い合う前に比べて、幹が異常に長くなってしまっているのです。

その大きく伸びた幹を維持するためには、より大きなエネルギーを必要とします。

熱帯雨林の木々と同じように、わたしたちもやみくもに「他人よりも上」を目指すと、得られる「光の量」は変わらない一方で、競い合うだけ体力や気力、そして時間を失います。

他人と競い合う過程でエネルギーを消耗し、ストレスを受け、疲弊していくのです。

結果的に「得られるもの」は同じだったからといって、失った体力・気力・時間が戻ってくるわけではありません。

この分は「無駄に」消耗してしまうのです。

それに、他人よりも上を目指している人は、非常に不安定になります。

少しでも上に手が届くように背伸びをしている人を想像してみてください。

背伸びをしているので、とても不安定です。横から少し押しただけで、よろよろとバランスを崩し、場合によっては倒れて怪我をしてしまうかもしれません。

背が低くても幹が太くしっかりしている木に比べて、細長い木は嵐に弱い。

ちょっとした台風でも簡単に折れてしまいます。

それと同じで、背伸びをして上に伸びようとしている人は、変化や混乱に弱くなります。

上に手を伸ばすことに一生懸命で、その他のことに気が回りません。

上しか見ていないので、足をすくわれやすくなったり、ちょっとしたダメージにも弱くなってしまっているのです。

-------------引用終了

熱帯林というと、だいたいこーゆーイメージ(↓上空から)。

イメージ 1




















で、森の中を下から見上げると、こーゆー感じ?(↓ちょっと違うかも)。

イメージ 2






















これらを模式図化したものが、こーゆー感じ(↓)。

イメージ 3

























過度な競争では共倒れ。

やはり競争にも最適な範囲(規制すべき数値等)があるのだろうし、そもそも競争に向いていない分野(福祉・教育・医療)なんかは、資本主義の海へ放り投げちゃいけないものでしょう(いま、ニッポンはじゃんじゃん投げ込まれようとしています)。

-------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。終日、いい天気の予報です。

イメージ 4









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 5



「予備校の教室から」というコピーとともに、受験参考書業界に新風を吹き込んだ「実況中継シリーズ」。

その衝撃は今も忘れません。

受講料を払ってその場(予備校の教室)にいる受験生しか知り得ない奥義(大げさですねぇ)を、活字起こしして出版するというスタイルは、その後定着し今ではいろんなところが出版しています。

講師の中からもヒーローが生まれました。

細野真宏氏は代表的な人物です。

このスタイル、一般書籍にも波及しており、予備校講師の方が「わかりやすく」解説するというタイプの入門書に多い形式です。

で、

『やりなおす経済史』 蔭山克秀著(2014) ダイヤモンド社刊

受験生に「わかりやすく伝える」そのためには、効果的な「たとえ話」にしてみると、聞いている方も腑に落ちる---そんな例が満載です、この本。

こんなふう(↓)、です。

-------------以下引用(強調BLOG主)

TPPは「環太平洋経済連携協定」、つまり太平洋をぐるりととりまく国々の間で結ぼうとしている、貿易自由化の協定だ。

もともとTPPは、シンガポール・チリ・ニュージーランド・ブルネイという小ぢんまりした国々だけで結んだ、とても牧歌的な「四か国協定(P4協定)」にすぎなかった。

ところがそこに、いきなりに巨漢の乱暴者が「俺も入れろ!」と割り込んできた。

アメリカだ。

しかもアメリカは、「お~い、お前らも来いよ」と手招きして、ゴロッキ仲間のカナダやメキシコも招き入れた。

これはイヤな空気だな。

まるでおとなしい草食系男子たちがひっそりやっている手芸部に、いきなり黒光る清原が現れ「おう、俺にも編みモン教えてくれや」とすごんだ上、「お~い、お前らも来いや~」と手招きして、外でゲハゲハ笑っている男気ジャンケンのメンバーを呼び寄せたような最悪感だ。

しかも清原は、部室の外の廊下を目を伏せてなるべく足早に通り過ぎようとする「キテレツ大百科」の勉三さん(日本)の姿を目ざとく見つけると、行く手をドンと足で遮って凄んだ。

「おう、お前も当然編みモンすんのやろな?」

TPPは、アメリカが太平洋での経済的覇権をかけて、中国と主導権争いをやるための武器だ。

当然、経済力の強い国を仲間に引き入れたい。

なら当然、ここで的にかかってくるのは、GDPが米中に次ぐ世界第3位である日本だ。

そう、実はこの流れ、勉三さんは最初から清原に狙われていたのだ。

しかし、同じことは当然中国の側も考える。

だから、中国は中国で「日中韓FTA」(自由貿易協定)を主導し、何とか日本を引き入れようとする。

つまり日本は今、選挙時の公明党と同じような、覇権を左右するキャスティングボートを握っているのだ。

日本は、2012年からTPP交渉参加を表明しつつ、ほぼ同時期から日中韓FTAの交渉も開始している。

つまり、二つを並行させて協議しているのだ。

-------------引用終了

戦後、「悪の学問!?」とされてきた地政学(GEOPOLITICS)的な観点でみると、このへんのことはクリアに見えてきます(ナチスによって地政学に「色」がついてしまったもんだから、日本ではおおっぴらにできなかった戦後、アンダーグラウンドではちゃんと国家戦略をそーゆー眼で見ていた国々があっちにも、こっちにも)。

地図帳を出して、見てみましょう。

BRICS(本の中ではBRICs)に関しても、わかりやすいです。

-------------以下引用

アジアNIESはたとえて言うなら、高校3年の小柄でキビキビした技の切れ味抜群の黒帯の先輩だ。

対してBRICsは、お母さんに連れられて入部してきた、190センチで体重120キロの、白帯の1年生だ。

最初のうち、白帯の1年生は、小柄な黒帯の先輩にまったく歯か立たない。

面白いようにコロコロ転がされる。

ところがある時点を過ぎると、先輩はこの1年生を投げられなくなり、逆に時々、払い腰や大外で巻き込まれそう
になってヒヤッとする。

そして、その1年生が3年生になる頃には完全に立場が逆転し、もう小柄なOB先輩では太刀打ちできなくなってバンバン投げられるようになる。

わかるでしょ、悲しいけど、技やスピードをいくら磨いたところで、圧倒的なパワーや体格の前では無力なんだ。

「柔よく剛を制す」には限界がある。

これが通用するのは、剛がボンクラな間だけだ。

剛が人並みよりちょい上の技とスピードを身につけただけで、もう柔には打つ手はない。

これと同じように、これから我々(日本やアジアNIES)は、だんだんBRICsに勝てなくなり、ついには明確に負け始める。

その証拠に、日本はすでに中国に、2010年GDPを抜かれてしまった。

これからこういうことはどんどん増え、ついには2050年には、BRICsのすべてが日本のGDPを抜くと予測されている。

-------------引用終了

高校生(受験生)でもわかるたとえ話を例に出し、それを裏付けるデータで解説する。

ちゃんと、学んだことがストーリーとして定着するという、王道の教授法です。

こーゆーことをすれば、無味乾燥な教科書もちゃんとオモシロクなるんでしょうね、きっと。

-------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。同じ県内でも北部は今日も大雪警報発令中です。こっちは晴れてるんだけど、ね。昨日の積雪が、伊那山地の山並みに見事に接戦、いやもとい雪線を引いています。

イメージ 1









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 2


先日、お客様との話の流れで話題になったこと。

地域の顔役・エスタブリッシュメント側の皆さんって、未だに「いい高校→いい大学→良い会社(大企業)」というライフルートを辿ることが幸せだと思っているフシがある---という話。

60歳代以上の皆さんとの話の中で、だそうです(それ以上の世代かも)。

彼らは「努力をすれば報われた時代」を生きた世代です。

だから、その成功体験に基づいて後続世代を見るフィルターができあがっています。

『新世代努力論』 イケダハヤト著(2014) 朝日新聞出版

の指摘が、わかりやすいので引用しますね。

-----------------以下引用

イメージ 1






























こちらのグラフは1955年から2012年にかけての、一人当たりのGDP(名目・実質)を経営コンサルタントの秋月ていぞう氏がプロットしたものです。

見事に、「努力すれば報われる」という考え方にまつわる世代間のギャップを示すグラフとなっているかと思います。

時代をさかのぼればさかのぼるほど、人生における「成長感覚」に違いが出ていることがわかります。

一人当たりの実質GDPが50万円だった、1955年に生まれた人にとって、世界は「刻一刻と成長している」ものだったことでしょう。

彼らが20歳を迎える1975年には一人当たりの実質GDPは約200万円。

40歳を迎える1995年には350万円を超えています。

こういう時代においては、経済的に「努力すれば報われる」確率は高かったはずです。

一方、それから15年後に生まれた1970年生まれにとっては、成長は格段に実感しにくいものとなっています。

30歳を迎えた2000年頃には経済成長は低迷し、「黙っていれば定年まで勤められる」と思い込んでいた人々がハシゴを外された格好となつています。

ぼくが生まれた1986年前後に至っては、物心付いたときには経済成長は停滞しています。

不況、リストラ、非正規雇用、ブラツク企業、うつ病、自殺、貧困…-報道で聞こえてくるのは、暗いニュースばかり。

ぼくらは「景気が良かった日本」を知らない世代です。

時代が進むにつれて、少なくとも経済的な「上り坂」感覚は終わりを迎えつつあることがわかります。

「努力すれば報われる」という言葉が「努力を続ければ経済的に成功し、それなりに裕福な人生を送ることができる」というニュアンスを含むものだとしたら、「努力すれば報われる」の持つ意味合いは時代とともに変遷していると考えられます。

-----------------引用終了

高度経済成長を支えたと自負している世代にとって、後続世代、とくに若年層は「不甲斐なく見える」のでしょう。

でも、先行世代がいい思いを実感できたのはそもそも彼らの生きた時代が、「いい時代」だったから。

そこでは本人の努力もあったのでしょうが、「背景」も味方したということも忘れてはいけないと思います。

じゃぁ、若い世代はどうすればいいんだろうか?

イケダ氏は具体的に次のようなアドバイスを列挙しています。

-----------------以下引用

これからの努カ論

・ぼくらは死ぬまで働く可能性が高い。我慢すれば定年退職が待っているわけでも、年金生活が待っているわけでもない。

・グローバリゼーションやロボットの浸透、経済の縮小によって、個人の努力が報われる可能性は減少している。

・一方で、努力しなければ成功することはない。だが、少なくとも経済的に成功する確率は下がっているし、今後も下がっていくだろう。

・そもそも、あなたにとっての成功とは何か、幸せとは何かについて、オリジナルな答えを見いだす必要がある。

・その上で、その成功や幸せを達成するために求められる、具体的な努力の方向性を導きだす必要がある。

・何かの犠牲を割いて努力をするのは、健全ではない。その努力をすればするほど、あなたの性格は歪んでいくだろう。

・犠牲を強いる努力ではなく、純粋に没頭できることをやるべき。没頭し、人生を楽しんだ結果として、成功が待っている可能性がある。

・適切に努力していくためには、持って生まれた才能(=認知特性)について理解することが大切。

・世界はそもそも意味ではない。自分の努力には何らかの意味があるという考えを捨てよう。

「努力すれば報われる」という考え方を捨てましょう。

それはあなたの周りにいる人と、あなた自身を苦しめる呪詛です。

-----------------引用終了

地方のエスタブリッシュメント側の皆さんは、今ある地位が本人の努力というよりも、その親世代・祖父世代が築いた「果実」を当たり前のように食べながら、その恵まれたポジションに立っていることが多い(たぶん、ね)。

そもそも彼らはスタート地点から恵まれた環境の中で育ち(多少は本人の努力もあるでしょうが)、成功した今ある地位に対して、「己が恵まれて生きてきたから今がある」ことに自覚的でない---という鈍感さというか、無知を構造的に意識化してしまっています。

(あっ、これイケダ氏もいっていることです。)

そーゆー人たちの頭の中はこれからの地域の将来も、未だにイケイケドンドン時代なのです。


-----------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 2









































今日のストームグラス(↓)。今のところ、安定しています。

イメージ 3















iPhone6が発売されて、3日間で1000万台が売れました・・・・・・・とニュースで言っていましたが、あれってニュースバリューってあるんだろうか?

Appleの販促そのものじゃん、それも「タダ」でニュース扱い。

それはそうと、iPhoneって、

“Designed by Apple in California, Assembled in China”

って、記されているそうですね(「アップルがカリフォルニアで商品企画して、中国で組み立てた」商品という意味)。

持ってないから知らないんです。

センター試験(地理B)を作るヒントになりそうなモノの製造方法が、その一文に凝縮されているように思うのです。

なんでこんな書き出しなのかというと、琴坂将広氏のレポートを読んだから。

iPhone6では、

「日経新聞の推定によれば、iPhone6においても、カメラ部品はソニー、液晶パネルはジャパンディスプレイやシャープ、高周波部品は村田製作所やTDK、そして太陽誘電、またLEDのバックライトモジュールはミネベアといった日本企業が部材を提供しているといいます。」

それらのパーツをAppleがアメリカで商品企画して、中国のフォックスコンが組み立てて出荷する---というビジネスモデル(Global Value Chainというのだそうな)。

琴坂将広氏は独自にOECD-WTO Trade in Value Added (TiVA) - May 2013からデータ分析して、あるグラフを作成しています。

各国の電子・光学機器総輸出高に占める海外で生産された付加価値の割合のグラフ(↓)。

イメージ 1


























問題1:グラフ中の1~3に該当する国名の正しい組み合わせを答えよ。

①:1シンガポール 2韓国 3日本

②:1シンガポール 2日本 3韓国

③:1韓国 2シンガポール 3日本

④:1韓国 2日本 3シンガポール

⑤:1日本 2韓国 3シンガポール

⑥:1日本 2シンガポール 3韓国


同様に、各国の総輸出高に占める海外で生産された付加価値の割合の時系列変化のグラフ(↓)からの問題。

イメージ 2
 
問題2グラフ中のA~Cに該当する国名の正しい組み合わせを答えよ。

①:Aシンガポール B韓国 C日本

②:Aシンガポール B日本 C韓国

③:A韓国 Bシンガポール C日本

④:A韓国 B日本 Cシンガポール

⑤:A日本 B韓国 Cシンガポール

⑥:A日本 Bシンガポール C韓国


いかがでしょうか?

問題1、2共に正解は⑤。

基礎技術の裾野が広く、それをベースとした先端技術も自国のモノとなっている国(日米独)は数値が低く、新興国(NIEs、BRICS等)はそれらを他所の国から持ってきて安い労働力で組み立てるだけだから、高くなる。中でもシンガポールはそーゆーことを国是としてやっているフシがあるので(建国の時代から、中継・加工貿易で食べていくという政策)、最も高い数値である(これからのシンガポールは変わっていくかもしれないけど)。

---

琴坂氏のレポートのタイトルは、

「日本製」や「中国製」というタグは、もう意味がない--グローバリゼーション3.0の本格到来

というものでした。

---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 3









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 4



昨年末に刊行された本、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』 坪田信貴著(2013) KADOKAWA刊。

受験シーズンの今、売れているみたいです。

目を引本のタイトルと表紙のギャル写真、そして帯のコピー(今日のタイトルです)。

イメージ 1



























この表紙の生徒が合格したというわけではなくて、「さやかちゃん」の合格への指導実践記録。

週刊文春2014.02.13号でも著者の坪田氏に取材していて、記事になっていました。

坪田氏のコメントを抜粋します。

-----------------以下引用

坪田氏は、受験生を抱えてピリピリする親の気持ちもわかるとした上で、両親にはこうアドバイスする。

「子供の良いところと悪いところを、十個ずつ書き出してみて下さい。

悪い方ばかり出てくる親御さんは、『子供が悪いのではなく、自分の子育てにひょっとしたら問題があるのかも』と立ち止まって考えでほしい。

どこかで子供をラベリングしていなかったかと」

親から子供への「声掛け」についても、こう指摘する。

「テストが六十点から八十点に上がった子供に、『よくやったね』、『二十点分はどうして失敗したの?』、『ご褒美にご飯に行こう』などと声を掛けるのは、いずれも不正解です。

表現こそ違いますが、三つとも親側の気持ちを伝えているだけ。

そうではなく、『嬉しそうだね』などと、子供の感情を引き出すような言葉を掛けてあげて下さい。

二十点伸びたのが嬉しいのか、ライバルに勝ったことが嬉しいのか。

あるいは、百点取れなかったことが悔しいのかもしれない。

僕らや親御さんは、子供のプロセスや結果を褒めてもけなしてもいけない。

それはお互いの依存に繋がります。

あくまでも主人公は子供ですから、親御さんは一喜一憂しないことを意識してほしい」

(略)

実は、坪田氏は海外の大学で心理学と哲学を学んだ経歴を持つ。

前述の英単語の記憶法なども、心理学的アプローチによる「意味づけ」を使った手法だという。

また、そうした受験テクニック以上に「モテベーションの上昇」こそが、子供たちにとっての強いエンジンになるのだと力説する。

週刊文春2014.02.13号 「できない子どもにやる気を出させる方法」

-----------------引用終了

子どもの「やる気スイッチ」がどこにあって、それをどうしたら“スイッチオン”ににすることができるのか?

子ども自身で“ON”にしてもいいし、周りの大人が押してやってもいい(だいたい今の子どもが接している大人は、親か学校の教師、若しくは塾の先生くらいしかいないし・・・・・・)。

親は親の立場でフィルターがかかっているし、学校の先生には「個に応じた指導」なんて期待できないし、親身になってマンツーマン指導ができそうなのは、実力のある「塾」なのかもしれません。

「さやかちゃん」は幸いにも、そんな塾の先生(坪田氏)に巡り会って「人生が変わったひとり」なんでしょうね。

結局、「教育の現場」にダメな指導者が多いからこそ、坪田氏のような実践(より具体的で、学力向上に関する心理学的知見に基づいた指導)が注目を浴びるのだと思います。


-----------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。霞がかかってます。

イメージ 2









































昨日17:31の南アルプス(ピンク色で幻想的だったんだけど、残念ながら画像では再現できていません。けど、載せちゃいます↓)。

イメージ 3




























今日のストームグラス(↓)。

イメージ 4











昨日、一昨日と大学入試センター試験でした。受験生の皆さん、お疲れ様でした(大雪でタイヘンだったところもあったみたいで、本当にオツカレサマ)。

私も昨日「地理B」をやってみました。問題の中で、

「これ、どこかで見たような鉄道と道路網だなぁ。」

と思っていたら、今日の信濃毎日新聞で、

これは、長野市ではないか! と話題になっていることを記事化していました(とはいっても、ツイッター雀の世界で、らしいけど)。

イメージ 1































(信毎webより)

モンダイの問題は、これ(↓)。

イメージ 2




































イメージ 3
















「生産の地理」ばっかり教えている先生や、学んでいる生徒にとっては、一瞬だけ????の問題。

でも、「生活者」として銀行に行ったり、大型小売店でお買い物したりしていさえすれば、ツイッター雀の指摘は的外れもいいところ。

第三次産業「消費の地理」は、これまで「オマケ」的な扱いでしたけど、出題者としては「授業でちゃんと扱ってね」といったメッセージなのかもしれません。

で、

銀行(40万人規模の都市だと都市銀行の支店は都心立地+地方銀行は都心立地と郊外立地の2本立て=地域密着)

大型小売店(都心立地はデパート+郊外の幹線道路沿いにはSCや大型専門店が立地)

小学校(学区があるので1カ所に集中することなく、お隣の小学校とは一定の距離がある)

ということで、正解は


---

信毎の記事でオモシロイと思ったのは、

大学入試センター(東京)は「どこの都市か答えられない」と説明。

というくだり。

ということは、この記事を書いた記者は、大学入試センターに電話取材して、

「あの問題、長野市ですよね?」

って、聞いたんだ。

そんな内容に関して、大学入試センターが答えるはず無いのわかってるはずなのに、わざわざ言質を取るためだけの電話取材。

ばっかじゃねぇの。

(電話取材のお手軽さ=取材方法の劣化≒予めシナリオができている記事へ、その文脈通りの場所にコメントを当てはめて、「はい、できあがり!」)


---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今日は「大寒」。その通り、寒うございました。飯田の最低気温、-7.2℃(軽井沢-11.8℃、北海道・旭川は、-21.6℃)。

イメージ 4









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 5



格差社会や「下流」ビジネスに関心があったものの、この本はスルーしてきていました。

が、

問題提起の名著と言っていい新書です。

イメージ 1


































感覚的に「格差」や「貧困」を語るのではなく、ちゃんとしたデータの裏付けから導かれる現状認識。

-----------------以下引用

「総中流神話」は、たとえ子どもの現在の生活が多少充足されていなくても、他の子どもたちも似たり寄ったりであろうという錯覚を起こさせる。

「機会の平等神話」は、どんな家庭状況の子でも、がんばってちゃんと勉強していれば、たとえ、公立の学校だけでも、将来的な教育の達成度や職業的な成功を得る機会は同じように与えられていると信じさせる。

「貧しくても幸せな家庭神話」は、物的に恵まれなくても子どもは幸せに育つと説得する。

もちろん、そうであるべきであるし、そうであると信じたい。

しかし、第1章でみてきたように、実際には、子ども期の生活の充足と、学力、健康、成長、生活の質、そして将来のさまざまな達成(学歴、就労、所得、結婚など)には密接な関係がある。

その関係について、日本人の多くは、鈍感なのではないだろうか。

これが、「子どもの貧困」が長い間社会的問題とされず、国の対応も迫られてこなかった理由なのではないだろうか。

-----------------引用終了

子どもの貧困対策の窓口って、厚生労働省? 文部科学省? はたまた地方自治体の窓口? いやいや、まさかとは思うけど少子化担当大臣ですか?

『子どもの貧困』 阿部彩著(2008) 岩波新書

その後の最新データをもとに、著者の阿部氏はNHKの「視点・論点」で現状を解説しています(ここを読むだけで本のダイジェストになっています)。


子どもへの教育は「親の責任」という感覚が一般的な今の日本。

もうそれでは、たちいかなくなってきている現状を、データは示しています。

「子どもに対する給付は、日本の未来への投資」

という指摘は、もう待ったなし!! なのです。


ここで突然、話は変わるのですけど、もうじき(来週の土日)大学入試センター試験ですね。

お隣、韓国の話。

韓国の大学進学率は日本より遙かに高くて80%オーバー(日本は50%ほど)。

日本のセンター試験のような統一試験が実施される当日、試験会場近くの駅前には白バイやパトカーが待機している。

というのも、

遅刻しそうな受験生を会場まで「緊急時扱い」で送り届けてくれるのだとか。

日本では考えられない光景です。

この状況を私は次のように考えてみました。

「この受験生が、もし将来ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスのようになるかもしれない!と思ったら、その機会を国を挙げて確実に用意してあげなくてはならない。」

韓国(政府)は、きっとそう考えているに違いない---な~んてね。

だったら、教育に関する家計負担費をもっと低減するような施策にすればいいのに・・・・・・、とも思いますが(韓国は日本と同様で教育費の家計負担率がOECDの中でも高い国なのです)。


日本では「遅刻」は自己責任。

「貧困」もですか?

その先にあるのは・・・・、

財政難を理由に、子どもへの給付を渋り、子どもの貧困を放置することは、日本社会をゆっくり自滅に向かわせることになるのです

---

実は、『子どもの貧困II――解決策を考える』 阿部彩著(2014)岩波新書 が1月22日に刊行予定です。

アマゾンに載っていた紹介文(↓)。

「2013年、「子どもの貧困対策法」が成立した。教育、医療、保育、生活。政策課題が多々ある中で、プライオリティは何か? 現金給付、現物給付、それぞれの利点と欠点は? 国内外の貧困研究のこれまでの知見と洞察を総動員して、政策の優先順位と子どもの貧困指標の考え方を整理する。社会政策論入門としても最適な一冊。」


もちろん、私は既に「予約注文」のボタンを「ポチッ」とな、しました。


---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今朝の飯田の最低気温は-6.4℃(軽井沢は-11.5℃。(@_@;))。

イメージ 2










































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 3





























昨日もよく晴れわたり、南アルプスの夕焼けも綺麗でした。

赤石岳と荒川岳(↓16:45撮影)。

イメージ 4




























駐車場からちょっと登って、塩見岳・北岳・仙丈ヶ岳方面(↓16:46撮影)。

イメージ 5























↑このページのトップヘ