liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

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角川Oneテーマ新書 『さとり世代--盗んだバイクで走り出さない若者たち』 原田曜平著(2013)

「ゆとり世代」と称されることを自ら望んだわけでもなく、「上」の世代やお役所の教育政策によって行われた「ゆとり教育」の世代が社会にでて、ほぼ20歳代後半へ。

彼ら彼女らは「消費しない」という視点で書かれた故・山岡拓日経新聞記者(彼ってもしかしたら、高三の時のB類講座で私の後ろに座っていた彼だと思う)の『欲しがらない若者たち』に絡んで、2chで発せられた「ゆとり世代」にかわるレッテルであるらしい。

まさにその「さとり世代」の大学生(博報堂ブランドデザイン若者研究所(略「若者研」)所属の現場研究員=東京あるいは首都圏在住の大学生が中心で、61名を抽出し1回あたり5~6時間、合計6回議論)を集めていろいろなテーマで話し合い、それを活字に起こしたお手軽新書。

各章の最後に著者のまとめが書かれているので、それだけ読めば十分です(↓)。

-----------------以下引用(長いです)

第1章 さとり世代の誕生

この章での一番の発見は、さとり世代の根幹を形作った二つの因子が見えてきた点にあります。

一つ目は、長引く不景気という因子。

景気の良かつた頃の若者たちか、見込み期待で行動できた、言わば「足し算発想」だったのに対し、不景気しか知らないさとり世代は、見込み損失を考え、行動できなくなっている、言わば「引き算発想」に陥っていることが分かりました。

「失われた20年」しか知らないさとり世代は、不景気により、「さとらざるをえなかった世代」とも言うことができるかもしれません。

さとり世代からすると、見込み期待で行動し続けることができた上の世代の人間を、浮き足立ったおぼつかない存在に感じるようです。

もう一つの因子は、ソーシャルメディアの普及

幼い頃からケータイを持ち始め、ソーシャルメディアで人とつながったさとり世代。

ソーシャルメディアによるいじめも体験し、人間関係の面倒臭さやしがらみとともに「ソーシャルメディア村社会」を生きてきました。

人間関係数やコミュニティ数が劇的に増えたので、「空気を読む」という特徴を持ち、空気が読めない人を「イタイ」と判断するようにもなっています。

特にここ1年で爆発的に晋及しているラインが、この傾向に拍車をかけているらしいこともわかってきました。


第2章 さとり世代のちょこちょこ消費

一番重要なのは、ソーシャルメディアが彼らの消費を大幅に変えてしまつたということです。

もちろん、長引く不景気により、お金自体がなくなっていること、世代論的に見れば、生まれた時点では最も裕福な世代であったこと(だから、もともとお金にがつがつしていない)、「安かろうそこそこ良かろう」のデフレ商品・サービスに触れて育ってきたので、お金を出さなくてもある程度満足した消費ができてしまっていること、なども彼らの消費スタイルに影響を与えているとは思います。

しかし、それ以上に、ソーシャルメディアの影響が大きい、ということがわかってきました。

例えば、ソーシャルメディアの普及により、さとり世代の人間関係数やコミュニティ数が増えたので、彼らは男同士でもカフェをハシゴするなどの「お付き合い消費」がとても増えています。

いわば「少額ちょこちょこ消費」が増えてしまっています。

このため、消費を切り詰め、ひたすら貯金をし、草を買う、海外旅行に行く、などといったかつての「高額単品消費」を行いにくくなっています。

また、ソーシャルメディアにより、様々な口コミ情報が得られるようになっているので、買わなくても、行かなくても、わかったような気になってしまう。

さとり世代はいわば「既視感」に覆われていて、これも彼らの消費の阻害要因になっていることが分かりました。

ただし、ソーシャルメディアは、彼らの消費にマイナスの影讐だけをもたらしているわけではありません。

例えば、ソーシャルメディア上で友達から「いいね!」を貰いたいから消費をするといった「いいね!消費」。

ソーシャルメディアでつながったたくさんの友違と行う「思い出消費」や「経験消費」。

友達に笑ってもらうための「ネタ消費」などがこれにあたります。

企業側はソーシャルメディアによって生み出されるさとり世代の新しい消費に着目し、新たなマーケティングの機会の創出をしていかないといけません。


第3章 さとり世代は恋より友達を選ぶ

ここでもソーシャルメディアによって、さとり世代が大変恋愛しにくい状況に陥っていることがわかりました。

異性と連絡が取りやすくなっているので、恋愛もさかんになっているだろうと上の世代は考えがちですが、まったく逆の現象が起こっているのです。

ソーシャルメディアの影響で、彼らの恋愛は常に周りに筒抜けになってしまいます。

だから、余程好きでないと異性にアタックできないし、付き合ったら付き合ったであふれる口コミにより疑心暗鬼になり、お互いへの束縛が激しくなつてしまう。

そうした面倒から逃げるために、「女子会」や「男子会」など、居心地の良い同性コミュニティが彼らの中では重視されるようになってきています。

若年層の恋愛や結婚が難しい状況は、今後も当面続いていく、むしろかつてよりも難しくなっていくであろうことが推測できる状況です。

そうした中でも彼らは、「完全な男女平等を描かない」や「年上女性も狙う」などといった方法により、この問題と向き合おうとしている姿も垣間見られました。

かなりポジティブだと思われる変化としては、彼らの親子仲が大変良くなってきているということがありました。

ソーシャルメディアは、親と子のつながりも常時接続にするため、恐らくかつてよりも親子間コミュニケーションを密にしているであろうことが見えてきました。

「友達親子」現象は更に促進され、親子による消費も更に広がっていくことが予想されます。


第4章 さとり世代と日本の未来

まず、彼らの「労働」意識についてですが、不景気しか知らずに育った彼らが、「そこそこの生活」を望んでいることがわかりました。

過度に仕事に期待は持っておらず、周りと同調しながら、お友達のような上司に恵まれ、ワークライフバランスを保ちながら暮らしたい。

旦那のほうがたくさん稼ぎ、奥さんの方もそこそこ稼いで、そこそこ裕福に暮らす未来の生活を思い描いていることが分かりました。

次に、さとり世代の現時点での「満足度」は、大人が思うより高く、彼らは世間で言われるほど日本に悲観していないことがわかりました。

不景気しか知らず、ぼろぼろだと言われている日本しか見ていないので、過度な期待を持っていないことがこの原因だと考えられます。

生まれたときから生活水準のべースが高く、何不自由なく育ってきたという事情も前提にはあります。

また、政治への不信感は根強いことが分かりました。

政策も自分たち少子化世代を見て作られているものはなく、人口の多い高齢者ばかりを見て作られていると、ある種の被害者意識を強く持っていることがわかりました。

とは言え、消費税が上がろうが、別に反抗するつもりはなく、かつての若者のように、社会や大人に反発して自由を勝ち取ろうという思想はありません。

世の中の動きを受け入れ、それに適応しようとする体質を持っていることもわかってきました。

さとり世代は人口的にはマイノリティなので、自分たちの世代が世の中を動かす、動かせるという意識は希薄のようです。


-----------------引用終了

はじめから母集団が首都圏在住の大学生中心という偏りがあるので、「そーゆー階層」を代弁してまとめている---ともとれますが、「若いモンのことはサッパリわからない」世代からしたら、そこそこ「そーゆーモン」であるとざっくりとした理解は進むと思います。

ただ、格差社会における意識の差異は階層・地域・男女によっても違ってくるので、「個体差」を前提としてひとりひとりをみていかなければならないのでしょう、きっと。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今朝は冷えましたね。飯田で-2.9℃( cf 軽井沢は-5.0℃)。

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今日のストームグラス(↓)。

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邸内見立て洛中洛外図・部分(↓)。

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一条戻橋と言えば、晴明神社。ちゃんと襖には「五芒星」。

「戻橋」 → もどり箸(箸が途中でUターン)

武者小路千家の「官休庵」 → 「杏」の缶が9つ並べられています。


人口100人当たりの大学生(と大学院生)比率を47都道府県別に並べた表(↓)。

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これによると、長野県は0.77で全国最低。

数値をそのまま受け取ると、今日のタイトルのようなことが導き出されます。

上位を見ると京都と東京が3位以下を2倍以上引き離しており、「さもありなん」ですね。

が、

3位が滋賀県というのは、ちょっと「意外」。

たぶん、京都にある大学が滋賀県にキャンパスを「増設」して、その学生数がカウントされているからだと思われます(例:立命館大BKC、龍谷大瀬田学舎、成安造形大)

第6位の石川県も健闘していますね。

だいたい、首都圏と愛知県・近畿圏の大都市を擁する都府県が上位にきて、その次には「札仙広福」がきます(「札幌・仙台・広島・福岡」の地方中枢都市=広域中心都市)。

それ以下は、コンマ以下1/100の数字の違いなので、あまり傾向は見いだせない??

でも、1.00以下というのはそのケンミンとして、ちょっと「傷つき」ませんか?

ケンミンが100人いても、大学生が1人も居ない可能性がある。


結局、県内に自分が行きたい大学がないので「頭脳流出」してしまう。

これは地方が慢性的に抱えている問題です(だったら、大学を作ればすぐ充足するという問題でもないし)。

かつて田中角栄は地方から中央への「人財供給」の見返りとして、「地方交付税交付金」を与えました(今もあるけど、先細り)。

そういう意味で言うと(京都のおこぼれとしての滋賀県の第3位よりも)、石川県の健闘がめちゃくちゃ「光って」見えます。

長野県短大の県立大化もいいけど、作るんだったら故・中島嶺雄氏が最後のライフワークとして設立したAIU(国際教養大学)のような、ビジョンのある「新設大学」のほうがよかったのに・・・・、と思うのでした(中島氏は松本出身でもあったのに、ね)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。飯田の予想最高気温は35℃。

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今朝は空の青さがまぶしいくらいでした(↓)。

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タイトルの文は、次のように続きます。

「15~39歳の各年代の死因の第1位は自殺となっている。こうした状況は国際的に見ても深刻であり、15~34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本のみで、その死亡率も他の国に比べて高いものとなっている」

この文は、

内閣府が昨年6月に発表した「平成24年版 自殺対策白書(概要)」の一節。

実は、2012年の自殺者数は、1997年以来、15年ぶりに3万人を下回った(2万7858人)ので、そのことがニュースになっていましたが、その影に隠れて若者の自殺は増加傾向にあるのです。

毎年500人くらいの大学生が自殺していて、そのうちのおおよそ1/10が、「就職の失敗」が原因らしい。


「えっ!!」


就職できなくて自殺しちゃうんですか????


「う~~~~~ん。」


明石家さんまではないけれど、

「生きてるだけで丸儲け」

的な感覚って、「生きる力」を学校で学ぶ(!?)より先に、身につけなきゃ「やってらんない!」でしょ、今は。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。昨日に続き、な~んか「夏空」です。

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来春から使用される教科書の検定結果が公表され、尖閣諸島と竹島に関する記述の割合が現行より増えたと報じられました(今回のBLOGはコレとは関係ありません)。

教科書といえば、

1.共同執筆(専門分野ごとの執筆分担)

2.大学教授か現場の先生による執筆

3.お堅い出版社による出版と営業

というイメージがあります。

しかし、

以下の記事を読んで、吃驚!!!!!!!!!!

-----------------以下引用

大学生が高校用教科書制作 「電気基礎」1人で申請、合格 
2013/2/26 11:54

 大学生が1人で作った「電気基礎」の教科書が、2013年度から北海道旭川市の道立旭川工業高で採用される。

文部科学省によると、個人が教科書を発行した例はほとんどなく、教育関係者の注目を集めている。

 著者の大阪市立大工学部4年の山下明さん(21)=同市港区=は、大阪市内の工業高校の出身。

当時学んだ教科書は分厚く、内容も多すぎると感じていた。

今回、「こういう教科書があったら良かった」と考えながら執筆した。

 大学2年の春に取り掛かり、秋には文科省の教科書検定に申請。

検定意見で101カ所の修正を求められたが、それらも全て1人で手直しし、昨年1月に合格した。

 153ページと従来の4分の1程度の厚さ。

ですます調を使い、電流の発熱作用を考える際に、風呂を沸かす場面を例題に取り上げるなど、分かりやすい説明を心掛けた。

 バイト代など50万円以上を使い見本800冊を印刷。全国の教育委員会や工業高校に送り、旭川工業高の1年生の授業で使われることになった。

 採用を決めた同校の白木一倫教諭(60)は「シンプルだが幅広い分野を扱っていて、生徒のニーズに合う」と評価。

「大学生が書いたと後で知って驚いた」という。

 4月から大阪府内の工業高校の教諭になる山下さん。

「内容で選んでもらえてうれしい。

生徒が使う姿を想像するとドキドキする。別教科でも作りたい」と話している。

〔共同〕



-----------------引用終了

1.一人で執筆

2.現役大学生、それも2年生時から執筆をはじめ、4年次に検定合格

3.自費出版と一人営業(というか教育委員会と高校への見本送付のみ)

教科書に対する私のイメージ(1~3)を、ことごとく崩してくれた山下さんの『電気基礎』は衝撃的です。

大阪市立大学のホームページでも、「新着情報で紹介」されていますね。

「執筆から組版、検定手続、修正や見本発送など何もかもを一人でやったので、苦労も多かったのですが、実際に検定に合格し、採択が決まったときはとてもうれしく思いました。」

いやぁ、見事!


ならば、他の教科でもこんなことは可能なのか?

「白表紙本」を自分で作って申請し、文部科学省からの検定意見をひとつずつ直していけば、可能なのか!?

ただ、検定に合格しても現場(学校)で採用されるかどうかは、また別の話。


ゆとり世代からこんな視点と才能を持った人々が、もっとじゃんじゃんと出てくればいいんですよ(使い物にならない40~50歳世代には早々に退場してもらったほうが、日本のためです)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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国立大学前期試験合格発表日が続いておりますが・・・・・・・。

来年度からの入試において佐賀大学は、経済学部の入学定員を「減らす」という報道が先月ありました。

その「理由」がなかなか!でしたので、以下引用します。

-----------------引用開始

(前略)

今回象徴的なのは、佐賀大。

学生の質の保証」のため経済学部の定員を275人から15人減らした。

その分大学院定員を増やしたわけではなく、異例の「純減」だ。

学内調査で、入試倍率が2倍を切ると入学者の学力が下がる結果が出ており、12年度に1.7倍だった経済学部の定員減に踏み切った。

佛淵(ほとけぶち)孝夫学長は「学力が低いまま入った子は、辞めたり卒業できなかったりするケースが多い。

母数(18歳人口)が減っているのだから、定員を減らすのは当然。後に続く大学も増えるだろう」と説明する。

(後略)



-----------------引用終了

記事にはグラフも一緒に掲載されていました(↓)。


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戦後史上最難関となった1992年度入試。

理由は、

団塊ジュニアが受験期を迎えた。

女子の大学進学率が、親の団塊世代とは比べものにならないくらいに上昇。

といったことが挙げられます。

つまりその年の東京大学合格者は、戦後最強!!!!?????


実際に18歳人口は、

1992年205万人→2012年119万人

国立大・大学院の定員は、

1992年13万5067人→2012年15万5212人

広き門になっているわけです(進学率は考慮してないけど)。


佐賀大学学長のコメントがいい。

学力が低いまま入った子は、辞めたり卒業できなかったりするケースが多い。

母数(18歳人口)が減っているのだから、定員を減らすのは当然。


ぜひ高等学校でもそうしていただきたい。

入試倍率が1.00を下回っていると、緊張感がなくなります。


「名前と受験番号書けば受かるんでしょ!」


んなわけないけど、「自分が落ちるかも知れない」という当事者意識と危機感って、15歳に必要なものですぜ。


大学と高校ではその役割が違うことは承知しています。

でも県教委の募集予定人員の「読み間違い」が、現場に困難を強いていることが、ままあります。


入試倍率が2倍を切ると入学者の学力が下がる結果が出ている」

というのも興味深い。

高校でも退学者の追跡調査をして、自前のデータをもとに定員に幅を持たせることができればいいのに・・・・、と思うのでした。

(野次馬のたわごとです。)


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。霞んでいます。理由はPM2.5(な、わきゃない・・・・・か?)若しくは黄砂!?)、いや、さいきん朝から果樹園で剪定した枝を燃やしているんですよ。煙もくもくですから・・・・。

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学部単位で発表時間が3つ(10:00、14:00、15:00)に分かれているのは、国立大学の中で信州大学だけのようです。

3月6日に合格発表をする国立大学は、次の通り。

北見工業大
北海道教育大
香川大
帯広畜産大
弘前大
宮城教育大
筑波技術大
東京外国語大
東京海洋大
東京学芸大
東京農工大
長岡技術科学大
福井大
信州大
静岡大
豊橋技術科学大
滋賀大
兵庫教育大
奈良教育大
和歌山大
鳴門教育大
愛媛大
大分大
宮崎大
鹿屋体育大
福島大
鳥取大
徳島大
岐阜大
秋田大
茨城大
宇都宮大
埼玉大
岩手大
山梨大

以下、前期試験合格発表日を並べてみました。

3月7日発表の大学(↓)。

北海道大
大阪教育大
旭川医科大
小樽商科大
筑波大
電気通信大
富山大
滋賀医科大
京都教育大
高知大
九州工業大
山形大
島根大
琉球大
名古屋工業大
横浜国立大
佐賀大
岡山大
浜松医科大

3月8日発表の大学(↓)。

群馬大
上越教育大
新潟大
三重大
神戸大
奈良女子大
山口大
福岡教育大
長崎大
鹿児島大
九州大
熊本大
東京工業大
広島大
千葉大
東京医科歯科大
愛知教育大
室蘭工業大
金沢大
京都工芸繊維大

3月9日発表の大学(↓)。

大阪大
一橋大
名古屋大
お茶の水女子大
東北大

3月10日発表の大学(↓)。

東京大
京都大

東大と京大が前期試験の合格発表の最後かと思うと、さにあらず。

3月13日発表の大学(↓)。

































東京藝術大

これで、前期試験の合格発表は終了。

単純に日付順に並べただけですが、なにか見えてくるものがありますね(例外もあるし、東京藝大のように実技を伴う試験を課しているところは、時間もかかるだろうし・・・、でも後期試験ないし、藝大は)。


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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。風は強いものの、頬にあたる空気は「春風」そのものです。飯田の予想最高気温は14℃。

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池上彰氏は今、引っ張りだこですが、そんな彼を東京工業大学がリベラルアーツセンター長として招聘したのは、2012年のこと。

理系の名門校がどうして、池上彰氏を招いたのか?

で、池上彰氏もそれに応じたのか?

以下の伊賀健一学長の話をきいて(読んで)、納得しました。

-----------------以下引用

数年前にヨルダンを訪れました。

山を見ると、山沿いにまっすぐな線が入っているように見えます。

これは羊が草を食べた跡です。

羊はまっすぐに前の羊に従って歩くので、だんだんと草がなくなって、後から来る羊は草がなくなり痩せてしまいます。

この羊の集団に山羊を少し入れるのだそうです。

山羊というのはいい加減で、ふらふらとランダムに草を食べて歩きますから、羊まで一緒になって、草をいろんなところに食べに行くようになります。

すると一直線に食べ尽くしてしまうということがない、つまり、異質な山羊という存在を加えることは、羊という集団にとっていいことなんですね。

以上はいまのヨルダンに関する知識です。

ヨルダンという国は、中東にあります。

石油が出るわけではありません。

有名なのはモーゼの遺跡、南端にあるペトラ遺跡、死海でしょうか。

1900年代の初めに、オスマン帝国の統治からアラブ諸国が独立したのですが、同時にイスラエルも作られました。

それから百年が経過したわけで、歴史、地理、宗教をよく知らないと、今起きていることの本質が見えてこないものです。

学生諸君には、知識を得ると同時に、ことの本質を理解して欲しい。

その思いもあって、このセンターの準備に取り組んできました。

大いに期待をしています。

みなさんも、どうか応援をよろしくお願いいたします。

-----------------引用終了

池上氏も多忙な中ではあるものの、センター長を請けたのは、これからの日本をしょって立つ科学者の卵たちを、「羊(専門バカ)」にさせてはなるまいという使命感にも似た覚悟があったからなのでしょう。

組織や社会の中で、自らの役回りが他の人に代替不可能である人間だからこそ、引く手あまたなになるのでしょうね。

それには人材ではなく「人財」にならないとだめですが、そうなるためには経験の深さ・長さが蓄積してはじめて、評価されるものです。

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どうでもいいことですが、今日イオンでレタスの販売価格を見たら1個[398円]!!!!!!!!!

「えっ!」

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。今朝は暖かでした(飯田での最低気温はちょうど零度)。

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フリーペーパー「R25」に高橋秀実さんが連載を持っていて、たまたま読んだ第172回から(そもそもR25の想定読者ではない私がそれを手に取ること自体が、珍事)。

在学生向けの記事のためにOBを訪問してインタビューするという企画で、高橋さんは自らの大学時代(東京外国語大学)を振り返って、

-----------------以下引用

ちなみに私は大学生活にはとても納得している。

授業には出ずとも、先生の言葉は今も鮮明に覚えている。

とにかく海外に出ようと躍起になっていた私に、先生はこう水を差した。

「自分の身の回りのことを知らないのに、遠くに行っても何もわかりません」

このひと言が私の方向を決めたといっても過言ではない。

時が経てぱ経つほど納得できる教えで、そもそも授業も満足するものではなく、納得するものだろう。

多くを学んだとは決して言えないが、肝心なことを教えていただいたと私は今も感謝している。

人生も満足するものではなく、納得を積み重ねるもの。

皆さんも是非、納得できる道を歩んでください。

-----------------引用終了

この前段で大学生活をはじめ、講義等に関して「満足しているか、そうでないか」を訪ねるアンケートに疑問を呈し、「そもそも、満足←→(そうでない場合は)不満足」という二者択一的設問の恣意性を指摘。

で、ご自身はというと、上記のような「納得」という観点を提案している。

なるほど、ね。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。これから午後は回復に向かいそうです。

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昨日、15:32 は見事でした(↓)。

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田中真紀子文部科学相による「<新設不認可>3大学」問題、収束に向かいましたね。なんだったんでしょう、この1週間は。

前回のBLOGで旧制大学数と適正規模に触れた理由は、ちょうど『「月給百円」サラリーマン~戦前日本の「平和」な生活』 岩瀬彰著(2006) 講談社現代新書 を読んでいたからなのです。

この本、もう絶版になっています(アマゾンマーケットプレイスに何冊も出ていますので、じゅうぶん入手可)。

そこの記述で興味深いところがあるので、以下引用します。

-----------------引用開始

前田一の『サラリマン物語』には、出版前年の昭和2(1927)年の実績と見られる有名企業の初任給一覧が出ている。抜粋してみよう。

三菱合資
帝大工   90円
帝大法   80円
商大      80円
商大専門部と早慶、神戸高商 75円
地方高等商業と中央、法政、明治 65~70円
私大専門部 50~60円
中学程度  35円

三井物産
帝大、商大、神戸高商  80円
各私大         72円
地方高商        64円
甲種商業        40円

住友合資
帝大、商大      80円
神戸高商、商大専門部 70円
早慶、三年制高等商業 60円
甲種商業、中等程度  35円

安田保善社(安田財閥の持株会社)
帝大、商大     70円
私大        60円
私大専門部、官立専門部 50円
中等程度      30円

古河合名
帝大    78円
私大    60~65円
専門学校  68円
中学程度  30~35円

日本郵船
帝大、商大      80円
商大専門部、神戸高商 70~75円
早慶、地方高商    60~65円
その他の私大     50~55円

東京電灯(東京電力の前身)
帝大   75円
私大   55~60円
専門学校 60~70円
中等程度 35~55円

三越呉服店
帝大     65円
商大     60円
早慶     55円
その他の私大 50円
私大専門部  45円
甲種商業   日給1円50銭
中学     日給1円40銭

南満州鉄道
帝大    80円
私大    76~80円
専門学校  70~76円
中等程度  日給

日本銀行
帝大   48円
私大   34~40円
専門学校 29~37円
中等程度 23~29円
(これに手当が付くので、実支給額は各1.9倍。つまり帝大で約90円)

-----------------引用終了

「帝大」はたぶん東京帝大を指していると思うのですが、既に帝国大学令が出ていたので、昭和2(1927)年に卒業生を送り出している「帝大」は以下の通り。

1. 帝国大学(1877年(明治10年)設立。後の東京帝国大学。現在の東京大学)

2. 京都帝国大学(1897年設立、現在の京都大学)

3. 東北帝国大学(1907年設立、現在の東北大学)

4. 九州帝国大学(1911年設立、現在の九州大学)

5. 北海道帝国大学(1918年設立、現在の北海道大学)

大阪と名古屋は、この時点ではまだ存在しません(大阪帝国大学(1931年設立)、名古屋帝国大学(1939年設立)。

「商大」とは東京商科大を指しています(東京高等商業学校(1887年・現一橋大学)1920年、東京商科大学に昇格。他の「商科大学」はまだ存在しません)。

「地方高等商業」はすでに、あちこちにできていました。

wikiせんせいから拾ってみましょう(昭和2(1927)年に卒業生を送り出しているところまで)。

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神戸高等商業学校(1902年・現神戸大学法・経済・経営学部)

山口高等商業学校(1905年・現山口大学経済学部)

長崎高等商業学校(1905年・現長崎大学経済学部)

小樽高等商業学校(1910年・現小樽商科大学)

名古屋高等商業学校(1920年・現名古屋大学経済学部)

台北高等商業学校(1919年・現台湾大学管理学院)台湾総督府立の高商として開校され、1942年に文部省に移管。

福島高等商業学校(1921年・現福島大学は学群構成にしたのでよくわからなくなっちゃったけど、経済学研究科だと思う。)

大分高等商業学校(1921年・現大分大学経済学部)

彦根高等商業学校(1922年・現滋賀大学経済学部)

和歌山高等商業学校(1922年・現和歌山大学経済学部)

京城高等商業学校(1922年・現ソウル大学校)1946年10月15日に京城大学(戦前の京城帝国大学)と統合、ソウル大学校となった。

横浜高等商業学校(1923年・現横浜国立大学経済・経営学部)

高松高等商業学校(1923年・現香川大学経済学部)

高岡高等商業学校(1924年・現富山大学経済学部)


市立大阪高等商業学校(1901年・現大阪市立大学商・経済学部)

-----------------引用終了

甲種商業とは、現在の商業高校、中等程度は旧制中学校なので現在の高等学校ですね。

給与の上からも、「官尊民卑」・でも「早慶」だけは私立といえども別扱い。

「戦前」は今以上に「学歴社会」、正確に言うと「学校歴社会」だったことがわかります。

明治以降の「複線型」学校制度を、戦後の学制改革でなんでもかんでも「大学」にしちゃったものだから、田中真紀子文部科学相の指摘もわからんでもないです。

いっそのこと「大学」という形式的な名称にこだわらない「複線型」にしてしまえばどうか、とも思います。

そう、かつての携帯電話の料金プランのような複雑怪奇なものに。

実は、各大学が受験生に課しているセンター試験と個別大学試験(二次試験)科目の数や組み合わせは、まさに「携帯電話の料金プラン」のように複雑怪奇になっています。

ひとことでいえば、

「同じ国公立大学とは思えない!」

入試科目になっています。

「形式的な名称にこだわらない」というスタンスでいけば、文化学院桑沢デザイン研究所アテネ・フランセのようなところに私はシンパシーを感じてしまうのでした。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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相変わらずやってくれますね、田中真紀子文相。

「手続き『民主主義』国家」ニッポンの段取りを一切無視した先週末からの言動は、彼女に分が悪いと思います。

「大学の数が多すぎ、質が低下している」

程度の理由だけでは、ね。

暇だったので、大学設置・学校法人審議会が来春の開学認可を答申していた文科省のページを見てみました。

ここ、です。

そこには、今回彼女によって不認可とされた、秋田公立美術大(秋田市)▽札幌保健医療大(札幌市)▽岡崎女子大(愛知県岡崎市)の3大学の名前と、もうひとつの大学名があります。

4つの大学の開学申請がなされ、そのうち3つが「不認可」という中、唯一認可された大学名は・・・・・・・・・、

大阪総合漫画芸術工科大学 漫画・コミックアート学部

「はぁ!?」

田中真紀子文相は、この大学はOKということらしい。

「まぁそのぉ、クールジャパンを担ってもらう意味ではねぇ、よっしゃよっしゃ・・・・。」とでも仰ったのでしょうか(これじゃあ、真紀子パパじゃん)。


じゃあ、どれくらいの大学数だったら「適正規模」なのか?

旧制大学をwikiせんせいで「帝国大学令」「大学令」でチェック。

いろいろなことが見えてきます。

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帝国大学令

帝国大学令の施行により、大学令(1918)による公立私立大学の設立までは、学位を授与できる機関は帝国大学のみに限られた。

1886年
*帝国大学(後に東京帝国大学と名称を変更・東京大学
1896年
*京都帝国大学(京都大学
1907年
*東北帝国大学(東北大学
1911年
*九州帝国大学(九州大学
1918年
*北海道帝国大学(北海道大学
1924年
京城帝国大学(ソウル大学校)
1928年
台北帝国大学(台湾大学)
1931年
*大阪帝国大学(大阪大学
1939年
*名古屋帝国大学(名古屋大学) 

→以上、旧帝国大学(卒業生は学士会館が利用できますね(^_^))。

大学令

1918年(大正7年)に公布され、1919年(大正8年)4月1日に施行。

これまでの旧制専門学校が公立私立の旧制大学へと移行します。

1919年
府立大阪医科大学(最初の旧制公立大学、1931年官立移管し、大阪帝国大学へ昇格)

1920年
慶應義塾大学△◇
早稲田大学
東京商科大学*☆(1944年東京産業大学に改称、1947年に復称を経て現・一橋大学
日本大学
法政大学
明治大学
中央大学
國學院大學
同志社大学★●
県立愛知医科大学(1931年名古屋医科大学として官立移管の後、名古屋帝国大学に昇格)

1921年
京都府立医科大学
東京慈恵会医科大学

1922年
新潟医科大学* (現・新潟大学医学部)
岡山医科大学* (現・岡山大学医学部)
旅順工科大学(終戦時廃校)
満洲医科大学(現・中国医科大学)
県立熊本医科大学*(1929年官立移管を経て現・熊本大学医学部*)
専修大学
立教大学★□
大谷大学
龍谷大学
東洋協会大学(現・拓殖大学、戦後一時期「紅陵大学」に改称)
立命館大学
関西大学

1923年
千葉医科大学* (現・千葉大学医学部)
金沢医科大学* (現・金沢大学医学部)
長崎医科大学* (現・長崎大学医学部)

1924年
立正大学

1925年
駒澤大学■▼
東京農業大学

1926年
日本医科大学
大正大学
高野山大学

1928年
大阪商科大学☆(現・大阪市立大学経済・商学部)
東洋大学
上智大学★△

1929年
東京工業大学
大阪工業大学(1933年大阪帝国大学に吸収合併)
神戸商業大学*☆(神戸経済大学を経て現・神戸大学法・経済・経営学部)
東京文理科大学◎(東京教育大学を経て現・筑波大学
広島文理科大学◎(現・広島大学

1932年
関西学院大学★●

1939年
藤原工業大学(1944年慶應義塾大学に統合→現・理工学部)
東亜同文書院大学(終戦時廃校)→戦後、愛知大学に血脈が続く

1940年
神宮皇學館大学○(文部省所管の官立大学で終戦直後に廃校となった後、私立の皇學館大学として再興)

1942年
興亜工業大学(現・千葉工業大学

1943年
大阪理工科大学(現・近畿大学

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戦後の学制改革以前は、帝国大学令・大学令によって「大学」と名乗っていたのは官立・私立あわせて、これだけだったんですね。

いろいろな印を付けてみました。

△:早慶上智

□:MARCH

▼:日東駒専

●:関関同立

○:神道系大学

■:仏教系大学

★:ミッション系大学

☆:3商大

◎:2文理科大(高等師範学校)

◇:旧制私立医科大学(御三家)

*:旧六医科大学(略称:旧六)

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河合塾が説明会の時によく「括る」グループ。

*:難関10大学=旧帝大(北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州)、一橋、東京工業、神戸

→通称「旧帝一工神」

私立大主要21大学=早稲田・慶應義塾・上智・○東京理科・明治・○青山学院・立教・中央・法政・日本・東洋・駒澤・専修・関西・関西学院・同志社・立命館・○京都産業・近畿・○甲南・龍谷大
(○は旧制大学にはならなかったところ)

→通称「早慶上理」「MARCH」「日東駒専」「関関同立」「産近甲龍」

括ってどういう説明をするのかというと、

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国公立大志願者数はここ数年増え、景気低迷を背景に安定した人気を保っています(’2009 25万人→ 2010 26.1万人→ 2011 26.8万人)。

特に旧帝大を中心とした難関10大学の人気は安定しています。

こういう志願者比率になるのですね。

旧帝一工神10校を志願する受験生、6万人

その他の国公立大学162校を志願する受験生20.8万人


私立大学に関しては「上位寡占状態」がもっと凄くて、

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私立大志願者は主要21大学に人気が集中する傾向が続いています。

志願者数が主要21大学≒その他大学(500校以上)でほぼ同数になっているのです。


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確かに旧帝一工神と私立主要21大学は規模が大きい大学ばかりなので、「数字的に」そのような結果になっています。

でも結局のところ、「戦前」にできた旧制大学志向が世代を超えて受け継がれてきていると言えそうです。

ただ、戦前は「複線型」の学校制度だったので、優秀な受験生が必ず帝大に行ったわけではありません(そう、陸軍士官学校や海軍兵学校を経て、陸軍大学校、海軍大学校という「こっち系」のエリートもいました。「こっち系」は学費が必要ないため、貧しさの中からの「出世ルート」のひとつでした)。

他にも地方には「高等商業学校」や「医科専門学校」や「師範学校」等があったので、それらをひっくるめて「新制大学」にしてしまいました。

ですから、学部単位でその大学のルーツを調べてみることをお薦めします(wikiせんせいで十分です)。

戦後にできた大学でも、規模は小さいけれど建学の精神やカリキュラムがしっかりしていて高く評価されているICUという例もありますし、近年では国際教養大学のような「地方にあるけれど世界が舞台」的な理念の大学もあります。

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戦前の「複線型」の学校制度から見えてくるのは、なんでも「大学」を名乗る必要はないということです。

実際、「大学」と名乗らずとも実質的な教育カリキュラムを敷いていたところも多かったわけですし。

ただ戦後の学制改革ですべてを「大学」としてしまったから、大宅壮一が「駅弁大学」という表現をしたのです(「大学院重点化」を進めた大学は本来の意味での、(戦前から続く)大学の意義を志向していると言えます)。

ですから、大学の中身をちゃんと吟味してから、進学しましょう(こんな結論でいいのか?)。

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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

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