シュート・アローさんの著書『昭和・東京・ジャズ喫茶』(↓)に、次のような記述があります。


(表紙は原宿にあった当時の「ボロンデール」by和田誠作品。中表紙も!(↓)。)
----------引用開始(強調BLOG主)

当時の典型的なジャズ喫茶のイメージといえば、狭い道路に面した雑居ビルの地下一階、または二階で照明は控えめで内装は黒っぽく、席数は二〇程度で基本相席。
店内はタバコの煙でモウモウとしていて、ジャズのレコードが爆音でかけられている。
コーヒーの味はいまひとつで、もちろん談話禁止。
長髪の客たちは皆うつむいて、ただ黙々とジャズに没頭している。
汚い、臭い、煙いの"3K"といわれるような店もあったようだ。
そして、ジャズの爆音は店の外まで漏れていて、店の前を通りかかったジャズに関心のない家族連れなどは、ぢょっと避けて歩くといった感じか。
『昭和・東京・ジャズ喫茶』 シュート・アロー著(2014) DU BOOKS((株)ディスクユニオン)刊 より
----------引用終了
著者プロフィール(念のため、日本人です)に「1962年生まれ」とあるので、1960年代から1970年前後のジャズ喫茶全盛期を、実体験としてはご存じないのでしょう(私もデス)。
きっとご自身の高校生時代以降、1980年代の様子から「汚い、臭い、煙いの"3K"」という表現をされているものと思われます(伝聞的な記述ですが)。
でも、
"3K"という言葉は、バブル期に向かう1980年代後半に生まれた言葉らしく、それ以前に、実際のところ「汚い、臭い、煙いの"3K"」であったジャズ喫茶であってもそれを指して、そーゆーふーには言っていなかったんじゃないかなぁ~などと思うのです。
とは言え、その頃には「カフェバー」なる営業形態も登場していたことから、差別化を図る意味で(一部の人たちは)言っていたかもしれませんね。
そのような「3K」のお店は2000年以降、2020年代まで生き残ることは難しく、大都市圏ではもう、姿を消してしまったのではないでしょうか。
今も残っているお店は、
新3K---禁煙・綺麗・快適(+珈琲が美味い)
そんな空間を提供しているお店であるように思うのです。
これも時代の趨勢ということでしょうか。
(斯く言う当店も、そーゆーふーな形態を目指しています。)
シュート・アローさんは、赤坂にある「坂の下」の営業形態から、これからのジャズ喫茶の生きる道を示唆しています。
それは、
----------引用開始(強調BLOG主)
店のロケーションが良いことが前提だが、午前中はモーニングを提供し、昼は喫煙可能な定食屋。
その後、タ方までは音量控えめなジャズ喫茶としてドトールやスターバックスといったチェーン喫茶店と差別化し、夜にはジャズをBGMとしたダイニング。
深夜から朝は、店がはねた後の水商売関係者を顧客とした食事もできるパブといったビジネスモデルだ。
僕は日本人ほど真面目に音楽を聴くことが好きな国民はいないと思っている。
たとえジャズファンとまではいえなくても、音楽好き、ジャズを聴くことが好きなヒトは多い。
コーヒー一杯の値段やドリンクの種類はドトールやスタバにはかなわないかもしれないが、きっかけさえあれぼゆったりとジャズを聴きつつコーヒーを飲んでリラックスできる喫茶店というのは十分マーケットがあると思う。
とにかくモーニングやランチタイムで客を呼び込み、店の敷居を低くしてジャズファン以外の人でも安心して入れる店であることを示すのが重要。
まあ、一日、二〇時間の営業は極端であるとしても、「橋の下」の営業方針はジャズ喫茶のひとつの生き方である。
前掲書 より
----------引用終了
むかし伺ったことあります、「橋の下」さん。それもモーニングの時間帯(知りませんでしたゼ、一日20時間も営業していたとは!)。
お店が地下にあって、ヒノヒカリは無くライブもできるお店であるため、受けた印象は「モーニング」というよりも、やはり「夜のお店」でした(赤坂じたいが「夜の街」というイメージ)。
そー言えば、
駿河台下の「JAZZ OLYMPUS!」さんも、ランチタイム(カレーが有名)、午後のリスニングタイム、一時休憩、夜のパブタイム---というような営業形態でした。
経営継続のための創意工夫---当店に欠けていることです(_ _)。
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今日の南アルプス(↓11:00撮影)。昨日とは打って変わって、快晴。

今日のストームグラス(↓)。


オ・マ・ケ(↓)。三日坊主めくりカレンダー。仰ること、ご尤も。

