liddell coffee house リデルコーヒーハウス

【大切なお知らせ】2022年1月2日から、 次のように店の方針を変更しています。「 3名様以上の人数でのご来店は、お断りしています。」 つまり1~2人で、ご来店ください---ということです(3人以上で座れるお席はございません(_ _))。実際のところ、今は90%くらいが「おひとり様」のお客様です。

タグ:祭りと伝統

先日、録りだめておいたテレビ番組のいくつかを見たんですが、その中に平成最後の日に放送された「NHKスペシャル 日本人と天皇」がありました。

1ヶ月前の今頃は、日本中が新元号「令和」を祝う雰囲気の中にありました(新天皇の即位を祝う祝賀ムードでしたね)。しかし、そーゆー時期にあって、この番組の秀逸だった点は、古川貞二郎氏をして、こう(↓)言わしめたところでしょう(それを放送したことでしょう)。

イメージ 1




























その前段で、特設スタジオに「大嘗祭」の一部を再現して、ベールに包まれた祭祀の様子を見せてくれたり、天皇家の菩提寺であった御寺・泉涌寺への取材もあり(そう、「ボロン!」)、終戦直後に表明された故・三笠宮崇仁殿下の提言書だったり、「!?」の連続です。

その流れ(天皇と日本人の関係性)を受けて、「皇位の安定的継承」に関して報じていました。

一部の研究者にとっては、周知のことであっても、Nスペで、このタイミングで、この事実を報じたことは、大きな意味があると思うのです。

そう、天皇の側室について、です。

番組では、歴代天皇の大凡半分は側室の子どもであって、昭和天皇の「前」の正室の子どもはというと、約400年前の明正天皇まで遡るというのです(↓)。

イメージ 2



























イメージ 3




























大正天皇は、側室を置きませんでした。たぶん、当時の世界のロイヤル・ファミリーにとっては、そーゆーシステムは既にスタンダードではなかったのでしょう。だったら、我がニッポンも!---と考えたのかもしれません。もう、当時のニッポンの自我は世界の「一等国」気分でしたから。

しかし、天皇を「万世一系」たらしめてきたのは、「皇室の藩屏」という皇統を絶やさないためのセーフティネットが用意されていたからです---それが側室の存在でした。

この事実は、小泉内閣時に設置された皇室典範における有識者会議において、重く受け止められたようで、次のように答申されます(↓)。

イメージ 4




























その後、悠仁さまの誕生により、この答申は法制化(皇室典範の改正)まで至らず、立ち消えに。

それから13年も経過しました。

しかし、ニッポンお得意の「結論先延ばし」によって、いまも何も変わっていません(x_x)。

そーゆー状況を古川貞二郎氏は、既出のような危機感をもって表現されたのでしょう。

ヒドイ!---と思ったのは、平沼赳夫氏の言葉でした。

「悠仁親王に将来、男の子が沢山お生まれになることが望ましい」

「信じながら待つしかない」

---おいおい、今はもう「神国日本」ではありませんよ。こーゆー人々が天皇家を自然消滅させていくのでしょう。

戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家の復活---そこに一縷の望みを託す・・・・か?

そう、「菊栄親睦会」。

有名どころで言えば、JOC会長の竹田恒和氏は、その血筋のお方(来月退任、IOCは既に辞任)。

ただ、世論調査では旧宮家の皇籍復帰に対しては、7割前後が反対しているのです。女性天皇とは違って、国民感情としても、認めがたいのが現実です。(『池上彰の天皇とは何ですか?』 池上彰著(2018)PHP研究所刊)

しかし、いざとなったら、最後の最後、もう、コレしかない!という状況になったら(そうさせないために動くのが「政治」なんでしょうケド)、継体天皇の例もあることだし・・・・(とはいえ、継体天皇の時代は今から1500年も前の話('A`))。

女性天皇、女系天皇に否定的な安倍政権は、意図的に何もしないで、そーゆー状況を創出しようとしているのかもしれん(悠仁さまの時代には、もう安倍政権じゃないだろうケド)。

戦後の象徴天皇制の下、こーゆー(↓)皇室典範があることに対して、世論の風がどっちに吹くことになるでしょう?

イメージ 5









































あっ、そーそー、このNHKスペシャル「日本人と天皇」は、

2019年6月2日(日)午前0時35分〜(1日深夜) [総合]で再放送予定---です。


---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 6









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 7














長野県の公式ホームページのこちらをみると、明日の「成人の日」に成人式を実施する自治体は、ひとつもありません。

自分が出席した経験が無いので、どーゆーふーなことをするのか、皆目見当が・・・・・---「主な行事内容」を見ると、だいたいどこも似たり寄ったりのようですね。

で、

長野県のような田舎ではなく、外国人比率が高いところではどーゆーふーになっているのでしょう?

例えば、東京23区。

昨年は新成人が約83000人。で、外国人が約1万人。だいたい8人に一人が外国人です。

さらに、

国勢調査の小地域集計を用いてみていくと、

新宿区は新成人の45.8%が外国人、豊島区も38.3%が外国人---になっているんだそう(Yahoo!ニュースのこちらより---既にリンク切れデス)。

さらにさらに、

局所的にはさらに顕著で、大久保1丁目は20歳の87%、池袋2丁目は79%が外国人---前者は韓国系ベトナム系、後者は中国系外国人の若者が多く占めているのでしょう。

もはや、セグリゲーション(棲み分け)が完了したかのようなエリアです。

「元服 →(発展的に)成人式」という日本の伝統行事とグローバル化による地域の多様な民族構成の両立---現実のスピードは(特に東京では)、地方とは比べものにならないくらいにハイスピードでセグリゲーションが進行中。


---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 1










































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 2

















オ・マ・ケ(↓三日坊主めくりカレンダー)。o(^-^)。

イメージ 3









新書大賞を受賞した『京都ぎらい』(井上章一著)の続編が昨年末刊行されました(↓)。

イメージ 1




























『京都ぎらい 官能篇』(井上章一著 2017)朝日新書。

帯には、前著を受けて、「井上センセ、ほんまはお好きなクセに」のコピー(*´∀`*)。

そんなほんわかムードの中にも、なんせ、タイトルに「官能篇」とあるとおり、京都のあっち系にFOCUSした内容。

さらに今日のタイトルの文言よろしく、お役人様への戦意旺盛です。というのは、『別冊太陽』の「京都を知る100章」特集(2016)のコラムで井上センセが「桂離宮」を取り上げたところ・・・・・・。

----------以下引用(強調BLOG主)

桂離宮と角屋が、似かよっているなどというような話は、こまる。

どうしても、そういうことを書きたいというのなら、桂離宮の写真はつかわせない。

のみならず、宮内庁が管理する施設の写真使用を、みなことわる。

京都事務所は、『別冊太陽』側に、そう通告してきたのである。

グラビアページを売り物とする『別冊太陽』にとっては、致命的な事態であった。

ことを穏便にすますよう編集者からもとめられた私は、妥協の途をえらんでいる。

桂離宮と角屋の類似性にかかわる記述は、すべて削除した。

『別冊太陽・京都を知る一〇〇章』にのった私の「桂離宮」は、敗北の記録である。

このできごとにより、私はあらためて思い知らされた。

そうか、宮内庁の京都事務所は、角屋とならべられることを、そこまでいやがるのか。

似かよっているという記述さえ、ゆるさないんだな、と。

同時に、あらかな闘争心もわいてきた。

今に見ていろよ、宮内庁。

角屋との通底性を軸にして、いつか新しい桂離宮論を書いてやるからな。

私は、そう決意をかためている。

今の私は、そのせいもあって、角屋にやや同情的である。

角屋が遊廓よばわりをいやがる気持ちは、よくわかる。

さきほど、そう書いたのも、宮内庁の仕打ちを目のあたりにしたうえでの判断である。

判官びいきで、少し肩をもちたい気になったのだと、思っていただきたい。

----------引用終了

島原にある「角屋」、現在は「もてなしの文化美術館」と称しているモノと桂離宮を、1962年、林屋辰三郎先生は、

「一方は遊郭、一方は宮内庁の管轄」と対比して論じているんだそうな。

お役所によって馴致されたことだけで論を進めるだけじゃぁ、そりゃあ、退化の予兆です。現状維持さえもままならないことでしょう。先人たちはそれらを乗り越えてきたからこそ、今がある---よく言われることですが、こーゆー姿勢の井上センセのような存在が、国公立人文系に何人も必要なんでしょう。それを「兵糧攻め」しているらしい文科省、ツケは数十年後、やってきますぜ。


---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 2









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 3









先日、安城市歴史博物館へ行ってきました(↓)。

イメージ 1




























「安祥文化のさと」の一施設で企画展「陰陽師 安倍晴明」を開催中(今日まで、です)。

安倍晴明関連では、京都・一条戻橋の晴明神社へ行った時以来だから、もう、何年ぶりだろう?(それよりも映画の影響か、安倍晴明といったら、イコール野村萬斎っていうイメージが定着してしまっているんですケド・・・)。

どうして、安城で安倍晴明?

こーゆーことらしい(↓)。

三河には安城の別所、西尾の森下、小坂井町の宿に万歳師たちの集団があって、三河万歳は、天和三年(一六八三)以降、陰陽道の一派とみなされ、陰陽師を統括する土御門家の支配下に入って活動。

その土御門家は平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明の嫡流であったから。

そーゆー関係があったなんて、あたしゃ、知らないコトばかりです(゚ω゚)。

陰陽師に関する記述が、「御堂関白記」(国宝)にもあったことから、それも展示されています(そう、藤原道長の日記です)。

しかし、私は、見ても読めない(T-T)。

こーゆー時、磯田道史さんは凄いなぁ~と感心します。

彼は「古文書を、新聞を読むようにスラスラ読める」から。

小学・中学・高校時代から古文書に親しんできた(学んできた)んだそうな。

今やアチコチから引っ張りだこの歴史学者で、その忙しさは「情熱大陸(TBS系)」からも分かりました(注目を集めたのはやはり『武士の家計簿』からでしょう。堺雅人主演で映画化もされたし)。

私は明治以降に書かれた文章でも難儀しているのに、いやいや、旧字体が使われている出版物でも推量しながら読んでいる身としては、唯々、羨ましい(かといって、古文書講座に参加する気もなく・・・・(_ _))。

ヘタレ、ですね(そもそも、そんなに関心のレベルが高くないのかも)。

オ・マ・ケ・情報 → 岡崎市には2つも晴明神社があるんだそうな。

---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。快晴無風。

イメージ 2










































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 3










月曜日が休みの公立施設、多いですね。天王洲にある寺田倉庫G1ビルで開催中の「回顧展」へ行こうと思っていたら、主催は民間なんだろうけれど、こちらも月曜休み(x_x)。

で、

方針転換、15(日)・16(月)と開催の「世田谷ボロ市」へ行ってみることにしました。

400年以上の歴史ある「ボロ市」(↓)。

イメージ 1








































イメージ 7





























大行列となっていたのは「代官餅」の販売スペース。

江戸時代にこの地が彦根藩井伊家の所領となり、この地を治める代官(大場家)を配置したことにちなんで、1975年から販売開始(おいおい、最近じゃん(^_^))。

兎に角この日しか販売されない、限定品。こーゆーの、日本人(私も含めて)は弱いですよね(結局、私は並びませんでしたが)。

こちら(↓)が、代官屋敷(重文)。

イメージ 2


























イメージ 3





























「ボロ市」に並んでいるモノは、多岐にわたっており、出店者はフリマ的な人とか、場所によっては骨董市であったり、植木市だったり、地方物産展かと思うと、小学校のバザー(弦巻小・松丘小・桜小)であったり、クラフト市のようなブースもあったり、お母さんが趣味で作った「お品」だったりと、まぁ~、それらの「ごった煮」です。

こーゆーカオス的な雰囲気って、惹きつけるモノがあります、よね。

(因みに「市田柿」の旗を、代官餅販売スペースの近くで発見(^_^)。世田谷駅の近くでも、発見。)

で、

私は何を購入したのかというと・・・・・(↓o(^-^))。

イメージ 4


























明治8年に文部省が発行した「日本地誌略」・「日本略史」・「萬國史略」、「高等読本」(これは明治26年発行)。

神保町へ行けばこーゆーのを取り扱っている古書店はあるんでしょうけれど、意外な場所での出合いは購買意欲がプラスされます(それ、衝動買いです。まあお値段との相談ではありますが)。

(スタッキングシェルフのところへ置いておきますo(^-^)。)

そーそー、弦巻小学校の3年生。朝イチで出店者の人たちに「取材」しているんです。数人のグループで、質問用紙を挟んだボードを首から提げて、

「どちらから、ここへ出店されているのですか?」とか、

「よく売れる品物は何ですか?」とか、

月曜日とはいえ、さすがに10時を過ぎる頃には、人でごった返し始め、いつの間にか弦巻小学校の生徒は退散したようです(なんか「初めてのお使い」みたいで、応援したくなりました)。

(結局私のこの日の万歩計は19000歩オーバー。)


---

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。濃淡のあるストライプ雲。

イメージ 5










































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 6



諏訪大社の御柱祭は「山出し→木落し」が終了し、いまは一休み。

あとは「里曳き→建御柱」が待っています。

一方、下伊那各地で行われている御柱祭は、もう全行事が終了したところも多いみたいです。

地元紙のwebで知りました(↓)。

イメージ 1




























イメージ 2
























イメージ 3


























イメージ 4























同じ御柱祭でも、場所が違うと「カスタマイズ」されるのでしょうか?

特に(゜Д゜)だったところに赤線を引いておいたのですが、諏訪大社の氏子の皆さんからしたら、「おいおい・・・・・・(´д`)。」って思うかも知れませんね。

これも過疎化(氏子の減少)と高齢化(飯沼諏訪神社の300階段を曳き上げるには「援軍」が必要)への対応という現実ゆえ、か。

伝統行事を途絶えさせないためには、工夫が必要です。「伝統」やしきたりだけでは続きません。

何百年も続く老舗に学ぶこと、そこには(私も好きな言葉)「不易流行」が必ず存在しています。


-------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 5









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 6




私は確か6年前は飯田市民だったハズなんですが、「お練りまつり」はまったく見ていません(どうしてだろう?)。

今年は参加団体が47とこれまでで最高だそうで、「丘の上」のあちこちで屋台獅子が舞っていました。

その中でも、目玉が2つ。

東野大獅子(↓)、

イメージ 1








































イメージ 2








































イメージ 3




























確かにでかい。

もうひとつは大名行列(↓)、

イメージ 4










































「本町三丁目」の出し物だそうですが、行列に必要な人数は120名、でも現在「本町三丁目」には14世帯34人しか住んでいないのだそうな(信毎3/22付・特集記事より)。

ドーナツ化現象を象徴する数字です。ですから助っ人が加わります。

「丘の上」を舞台に下伊那オールキャストでお送りする郷土芸能祭は、今日まで(天気もよろしゅうございました)。

-------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 5









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 6









先日、ピンクのクラウンを見ました。CMでビートたけしと松嶋菜々子が乗っていた、あれ---ではなく、ピンクはピンクなんだけれど、そのオープンカー(↓)。

イメージ 1




























乗っているのは、巫女さん(↓)。

イメージ 2




























場所は、愛知県犬山市。大県神社豊年祭にて。

ナンバープレートは、「品川」ナンバーでした。

オマケ(↓)。

イメージ 3









































このお祭りの取材に、ロンドンブーツ1号2号の田村淳が来ていました。

インタビューで、

「今は海老だそうですが、昔は鮑だったんでしょ、変えちゃっていいんですか?」

「(インタビューしていた一般人の)おばさん、アソコに海老が付いてるわけじゃないでしょ。」

等々、放送可能な内容にまとめていましたo(^-^)。



田舎に住んでいると、芸能人に出会うことは殆どありません(会ったからって、あたしゃ、それがなにか・・・くらいの感覚)。

この前はいつだったんだろうと思い出してみると、数年前に中川村でウド鈴木を見かけた---そんな程度ですo(^-^)。


-------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。

イメージ 4









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 5






先週末は、地元の収穫祭でした(行ってないけど)。

最近のこーゆーイベントには、かならずゆるキャラ(R)が登場します。

案の定(↓いいことなんですけど、ね。 盛り上がって、特に子供たちは)、

イメージ 1















6~7体揃ったらしい。

左から柿丸くん(高森町)、「なみまる・ふうちゃん」(御前崎市)、うだつまる(美馬市)、かきまるくん(川崎市麻生区)、だんQくん(豊丘村)、アルクマ(長野県)。

柿丸くんとかきまるくん。

発想(デザイン等、意匠)はやっぱり、似たり寄ったりになりがちです(漢字表記とひらがな表記という点は、配慮したものと思われます)。

同一名称、あちこちにありますし。たとえば、

伊達市(福島県・北海道)

府中市(東京都・広島県)

「平成の大合併」でもそのような動きがありました。でも、

1970年の自治省通知「同じ漢字の市名は既存の市の名称と同一とならないように十分配慮すること」に抵触するため、「ひらがな」表記や「別の漢字」表記のところが、あちこちに誕生。

三好市(徳島県) *みよし市(愛知県)

鹿島市(佐賀県) *鹿嶋市(茨城県)

*これらはもともと「三好」・「鹿島」という表記。

ということは、柿丸くんのほうが誕生が早かったのか(どーでもいいことですけど)?

一応、念のためcheck!


あら、

「平成19 年に柿生中央商店会が主催する禅寺丸柿まつり内のコンクールで、多くの小中学生の作品の中から選ばれた最優秀作品です。」

とあります。


(2012年6月5日更新)とあるので、「かきまるくん」のほうが5年も早く誕生していました・・・・、とさ(というオチで)。


-------------

今日の南アルプス(↓11:00撮影)。3連休、快晴の初日です。

イメージ 2









































今日のストームグラス(↓)。

イメージ 3


あけましておめでとうございます。

昨年中は当店をご贔屓いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。

本年もよろしくお願いいたします。

(3回目の正月を無事迎えることができました。)

さて、

図書館から借りてきた書籍、『「昔はよかった」と言うけれど 戦前のマナー・モラルから考える』 大倉幸宏著(2013) (株)新評論。

週刊文春の連載、池上彰氏「そこからですか?」でも紹介されていた、これも「目から鱗」本です。

出版社が「新評論」なので、あっち系かと思いましたが、そのような「色」はあまり感じません。

著者の最初のつかみは、

国会議員の委員会での発言から。

-----------------以下引用

まず、二〇〇六(平成一八)年五月二六日、衆議院の教育基本法に関する特別委員会における大前繁雄委員の発言です。

今の日本の国のモラルの低下というのは実に深刻なものがございますので、私は、戦前というのはいろいろ批判されますけれども、モラルという面では非常に水準が高かったと言われております、日本人のモラルというのは。

ですから、戦前のことをある程度参考にして、迷ったときは原点に返れといいますから、過去のそういうものを、いい点をとって現在の教育に生かしていただきたいと思います。(国会議事録検索システム)

(中略)

最後にもう一つ、二〇一一(平成二三一年一〇月二七日の参議院の文教科学委員会では、義家弘介委員が教育行政のあり方に関する質問のなかで次のように述べています。

親殺しや子殺し、虐待、そして、例えば親が亡くなったことさえ届け出ずに、その年金を当てにして生活する、そんな事件が相次いで起こっております。

日本の根幹あるいは教育というものはどうなってしまったのか。

これは多くの人々が感じていることであろうと思います。

公共の精神の欠如、そして個人主義に入り込んで、自分さえ良ければいい、とにかく今楽しければいい、そういった傾向をまさにつくり上げてきたのがこの日教組教育であろうと私は思っております。(前掲システム)

以上の五つの発言を大雑把にまとめると、次のようになるでしょう。

現代の日本人は道徳心が低く、親殺しや子殺しといった事件も珍しくない。

一方、戦前の日本では道徳教育がしっかりなされていたので、こうしたことはなかった。

今日の日本人に関する指摘は、たしかにその通りかもしれません。

ただ、比較されている戦前の日本人は本当に道徳心が高かったのでしょうか。

今の日本人は、戦前の日本人に比べて本当に道徳心が低いと言えるのでしょうか。

-----------------引用終了

こんな問題意識から戦前の新聞各紙(読売が多い)の記事を丹念に読み込んでいきます。

目次をみるだけで、

「ゲッ! そうなの!?」

という状況が目に浮かびます。

目次は、次のような並びです。


---

序章 道徳が崩壊した戦後の日本

第一章 駅や車内は傍若無人の見本市
■ 秩序が失われた駅の雑踏
■ 弱者に席を譲る美風の喪失
■ 列車内を汚す乗客たち
■ 車内で化粧や着替えをする人々
■ 尽きることのない不正乗車
■ 守られなかった乗客へのお願い

第2章 公共の秩序を乱す人々
■ ゴミや痰唾で汚された道路
■ ゴミ捨て場と化していた河川
■ 身勝手な人々に荒らされた公園
■ 不潔きわまりない銭湯の湯
■ 書物が大切にされなかった図書館
■ テーブルからモノが消えるパーティー会場

第3章 誇りなき職業人たちの犯罪
■ 横行していた抜き取り
■ 不正枡を利用してもうける商人
■ 日本製は粗製濫造の代名詞
■ 食品を扱う業者の低いモラル
■ 患者の信頼を裏切る医師たち
■ 教師たちの恥ずべき行為

第4章 繰り返されてきた児童虐待
■ 子どもを虐げる大人たち
■ 望まれずに生まれた命の処遇
■ 児重虐待防止法の施行

第5章 すでに失われていた敬老の美風
■ 老いた親を虐待する家族
■ 実際に行われた姨捨
■ 高齢者に冷たい風潮
■ 多かった高齢者の自殺

第6章 甘かったしつけと道徳教育
■ 度が過ぎていた子どものイタズラ
■ 厳格ではなかった家庭でのしつけ
■ 模索の途上にあった道徳教育
■ 『礼法要項』の作成と普及

終章 道徳の崩壊はいつから始まったのか


---

終章で、まとめの意味を込めて次のように述べています。


-----------------以下引用

二〇一一年の東日本大震災に際し、日本人の冷静に行動する姿、マナー・モラルの高さは世界中で称賛の的となりました。

非常時においてもパニックを起こさず、みんなが助け合い、譲り合う気持ちをもち続けている。

商店への襲撃、物資の略奪、あるいは暴動といった事態が起きない。

日本人にとっては当たり前の行動が、外国人の目には驚きに値する光景に映ったようです。

(中略)

日本人のマナー・モラルは、その低さによって教々の大問題が露呈していた戦前に比べ、格段に高まっていることはまちがいないでしょう。

この点において、「昔はよかった」という認識はまったく説得力をもちません。

繰り返しになりますが、現在の基準で考えれば、「戦前を生きた人々よりも、今の人たちのほうがむしろ高い道徳心を身につけている」とはっきり言うことができるのです。


-----------------引用終了

そして「あとがきにかえて」で、日本人の「心性」ともいえる今を見る目を次のように指摘しています。

---

何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ

『徒然草』の一節です。

現代語に訳すと、「何事につけても、古い世ばかりが慕わしく感じられる。今風のものは、ひどく下品になっていくようだ」となります。

一四世紀ごろに書かれたとされるこの作品にも、今を否定し、昔を懐かしむ気持ちが描かれています。

数百年を経た時代を生きる現代人にも、同じような考え方は引き継がれているようです。


---

「日本人は、そーゆーものだという感覚」を客観的に持っていた方が、どんなアヤシイ指摘に対しても、ちゃんと距離を持って対応していけるのだと思います。


今日の南アルプス(↓11:00撮影)。風が強くて体感気温は低め。

イメージ 1








































今日のストームグラス(↓)。ピント、ぶれてました。

イメージ 2













↑このページのトップヘ