先週、令和7年度長野県公立高等学校生徒募集定員について、長野県教育委員会から発表がありました(こちら)。
募集人数の多い順に並べてみました(↓)。
人数:学校名
320:松本県ケ丘
280:長野、屋代、上田、上田染谷丘、佐久平総合技術、飯田OIDE長姫、松本美須々ヶ丘、松本深志、松本蟻ヶ崎
240:須坂、須坂創成、長野吉田、長野西、長野工業、篠ノ井、上田千曲、上田東、諏訪清陵、伊那北、飯田
いろんなことが見えてくる---そんな募集定員ですね。
で、
今日の標題は、今から約40年前、一世代前の頃と比較してみての実感です。
そう、あの頃は第二次ベビーブーム世代が高校に進学してくることもあり、長野県でも新設校が毎年のように開校していました。
1980年:下諏訪向陽
1982年:田川
1983年:長野南
1984年:中野西
1985年:明科
(たぶん)これ以降の新設校はありません。
この当時、よもや、40年後には子どもの数が「こんなふーに」なるなんて、誰が予想したことでしょう!
私の記憶が正しければ、そんな中(=ウチのところにも高校を作って!的な声がある中)、上田小県地域(旧第5通学区)では、高校の新設は行わず、学級増で第二次ベビーブームを乗り切ったのでした。
そんな雰囲気の中、当時(=「平成の大合併」前)の上田市内の普通科3校では、募集定員が500人くらいあったと思います。
当然、教室数が足りないから、急遽、プレハブ校舎を設置。
プレハブ校舎にはエアコンがあったものの、そんなに効かなかった・・・・とか?
学年が一緒なのに、なんで、ウチのクラスだけプレハブ!?---こーして、公教育でありながらも不公平感を知っていくことになるのですね('A`)。
それはそーと、
令和7年度長野県公立高等学校生徒募集定員で、
1 全日制
2 多部制
3 定時制
4 通信制
と順番に見ていって、「えっ!」と声を上げたことがありました。
それは、通信制二校の募集定員です。
さっきの募集定員上位校の中に書き込んでみましょう(↓)。
人数:学校名
320:松本県ケ丘
300:長野西通信制(望月サテライト含)、松本筑摩通信制
280:長野、屋代、上田、上田染谷丘、佐久平総合技術、飯田OIDE長姫、松本美須々ヶ丘、松本深志、松本蟻ヶ崎
240:須坂、須坂創成、長野吉田、長野西、長野工業、篠ノ井、上田千曲、上田東、諏訪清陵、伊那北、飯田
そーなのです、通信制の1学年の募集定員は、なんと300人(*2校)。
目を広く全国に転じて、私立「広域通信制」高校についてみてみると、今年3月の卒業生(令和5年度卒業生)数が、次のような状況であることがわかります。
1:N(沖縄)約5500人
2:屋久島おおぞら(鹿児島)約3900人
3:クラーク記念国際(北海道)約3500人
4:鹿島学園(茨城)約3100人
5:鹿島朝日(岡山)約2100人
N、屋久島おおぞら、クラーク記念国際の3校を合わせた卒業生数が約13000人、長野県立の全日制全校(=77高校)の令和7年度生徒募集定員が12920人で、ほぼ同数。
夫々に「学び方」が違うとはいえ、高校卒業資格が欲しい場合の選択肢が、第二次ベビーブーム世代が高校に進学してきた頃とは、ここでも正に隔世の感をいだくのでした(当時も「通信制」はあったものの、これほどまでに「私立」の広域通信制がふえるとは・・・ねぇ)。
【追記2024.11.19 15:00】
当地(旧・第9通学区)での募集減は、下伊那農業で-40人。
「あれっ?」
確か下農はアグリサービス科、農業機械科、園芸クリエイト科、食品化学科の4学科構成で160人定員だったはず。
ところが来年度募集から、栽培科学科、地域資源科、生物活用科に変更する(120人募集)。---とのこと。
---
今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
【追記2024.11.19 15:00】
当地(旧・第9通学区)での募集減は、下伊那農業で-40人。
「あれっ?」
確か下農はアグリサービス科、農業機械科、園芸クリエイト科、食品化学科の4学科構成で160人定員だったはず。
ところが来年度募集から、栽培科学科、地域資源科、生物活用科に変更する(120人募集)。---とのこと。
---
今日の南アルプス(↓11:00撮影)。
今日のストームグラス(↓)。
オ・マ・ケ(↓)。三日坊主めくりカレンダー。いい子じゃないですか、「ぶーたれ」たりしないんですからWWW。